● 言語と非言語
前回の記事では「何かを伝えることの難しさ」と「何かを伝えるための手段」に関して書くと言いつつその話の前段階として言語情報と非言語情報の違いとその割合についてのお話をしました。
そもそも今回の記事を書くきっかけになったのは以前の記事でも紹介したラーメンズのネタの中で象徴的な場面を見つけたためです。
ちょっと宣伝がてら過去の記事を置いておきます。
そして、今回の記事を書くきっかけになったのはこちらの動画です。
特に中盤のあやとりの糸の取り方を説明するシーンが秀逸だなあと感じました。
ネタとして極端に同じ間違いを繰り返すなどの要素が入っているものの、「動作を言葉だけで説明する」ことの難しさがよく描かれているなと思いました。
あやとりの手順を知っている人の中では当たり前になっていて無意識下に落ちている情報が、あやとりの事が分からない人からすると足りない情報になってしまっています。
分かる人はスルーしてしまうハードルに引っかかってしまっているんですね。
これはもちろんあやとり以外にも言える事でしょう。
例えばあやとりのやり方を伝えるときは理想は対面で、既に技術を習得している人2人で実際の動作を見せ、その後片方と交代して手を動かしてもらいながら覚えさせるのが最適だと思います。
対面が無理な場合は最低限動画を使って視覚的なアプローチは必要になるでしょう。
では視覚的アプローチだけで足りるかというときっとそううまくはいかないはずです。。
仮にあやとりの知識ゼロの状態で音声を消した動画を見せた場合、どこに注目して動かすのかが分からなくなるので非常に習得に時間がかかるでしょう。
言葉があればポイントがどこにあるのかを示しやすいのでより分かりやすくなり、習得が容易になります。
ただ、この時、言葉選びも重要になります。
「鷹の足が手だった場合の親指と人差し指版」というのが顕著で、ネタとしてここまで回りくどくいっていますが、「鷹の爪みたいに」で相手が察しをつけてくれる場合もありますし、逆にもっと細かく説明しなくてはいけない場合もあるでしょう。
言葉は適切に使えるか否かで発揮する力が大きく変わるのです。
そして、このネタの秀逸な所は言語情報と非言語情報のバランスにあるとも言えると思うのです。
過去の記事でも書いたように、ラーメンズのネタは衣装も揃え、小道具もほぼ無し、非言語の情報量もかなり絞られていると言えます。
そういった中で、身振りや動き、やり取りで直接的な説明をしないで「パーティのバックヤード」というシチュエーションが観客に伝わるのです。
あやとりのくだりのように言語情報の大切さと難しさを伝え、他の部分では意外と言語情報が絞られているのに伝わってしまうという構図も凄いと思います。
言葉は、コミュニケーションは絶対的な伝達手段は存在せず、様々な情報のバランスで成り立つ。
これを頭に置いておくと伝え方、受け取り方が変わると思います。
