今回は読者の皆様にちょっとした思考実験的なものを投げかけてみたいと思います。
以前の記事で、一見相反する様に感じるお笑いと怪談が「巧みな話術で相手の感情を揺すぶる」という点で同じ性質を持つという話をしました。
これは私がこのブログでもちょくちょく話題に出している抽象化でもあり、別の言葉でLUB(least upper boundという「二つ以上の概念の上位概念」を見つけるという風にも言ったりします。
また、前回の記事で「差異はグラデーションである」という話もしました。
一見すると両極端に見える概念も、その境界線をきれいに引くことは不可能に近く、引くのならば人が意図して境界線を引かなくてはいけないという事です。
イメージ的には、自然界に存在する虹は日本では七色とされますが、国というか文化によっていくつ色があるとされるかは違う事に近いですかね。
これは、「文化によって」本来存在しない境界線を人の意志によって作り上げているとこういう事なのです。
この記事の冒頭に書いた思考実験とは、今説明した、複数の事象から「共通する一つの要素を抽出する」または「曖昧な境界線を何らかの基準ではっきりさせる」という事をあるテーマに対して行ってもらいたいという物です。
そのあるテーマとは、他者に何かを伝える事です。
私は、人の感覚をそのまま伝えるのはほぼ不可能と言える程に難しいという風に考えています。
それは人の頭にあるイメージを別の誰かに伝えようとする時に、必ず言葉だったり、身振りだったり絵だったり、何かしらの別媒体を通さないと伝えられない為、その変換における情報のロスが必ず生まれるからです。
そういった情報のロスを少しでも減らす為に、話を論理的に構築したり、情報を出来る限り多く出して、前提の認識を共有する方向で伝えようというのがかつての記事で書いた苫米地式の文章の書き方や話し方の手法です。
簡単に言うと「誤解なく相手に伝える為に、言葉を尽くしてリアリティを高める」という方向性ですね。
私は、他者に何かを伝える方法にはもう一つあると思っていて、それは「最低限の情報だけ与えて相手の想像力に委ねる」という方向です。
分かり易い例で言うと、私が好きなお笑いコンビのラーメンズや、バカリズムのコント等ですね。
特にラーメンズのコント作品に関しては服装もほとんどが白か黒に統一され、舞台上もほぼ箱と最低限の小道具程度です。
情報を絞る事によって、逆に見る人一人一人に最適化された情景が浮かぶという現象が起こっているわけですね。
因みに先程紹介した苫米地式の書き方に関する記事において私は、正確に伝える事と想像力を膨らませる事には感覚的に大きな隔たりがあるという風に書きましたが、最近の記事を書いていて面白い閃きがあったのです。
ちょっと長くなりますがここでラーメンズのコントを3つ見てもらいましょう。
いかがでしたか?
特に注目して頂きたいのは最初意味不明な単語だった「カマンチョメンガー」という単語が3つ目の動画を見た時に一気に見る人の共通認識の乗り物に変わった事です。
勿論、このシルエットにどのような細かいディティールが乗るかは見る人の数だけ違うという事に変わりは無いのですが、一つのオリジナルの単語の意味が一気に限定されるという現象は大変興味深いと思います。
※因みにラーメンズのコントというのはこういった仕掛けがふんだんに使われているので他の作品も是非見てみてください。
こう考えると、以前の私の認識にあった正確に伝える事と、想像力を膨らませる事の隔たりも境界線はグラデーションなのでしょう。
であるならば、この「誤解なく相手に伝える為に、言葉を尽くしてリアリティを高める」と「最低限の情報だけ与えて相手の想像力に委ねる」はLUBを取ったり境界線を引くことが出来る筈です。
皆さんならこの他者に何かを伝える事に対してどのような共通項を見つけますか?それとも境界線を引きますか?
頭の体操がてら考えてみてもらえるとうれしいです。
