●アカデミー賞平手打ち事件から見えること 正義の多様性編
アカデミー賞平手打ち事件で思った事の第3弾です。
今回の内容は「絶対的な正義はない」という認識の確認が目的となります。
多くの人はこれを一定ラインまでは理解できているとは思うのですが、何事も想定を超えるということはあります。
自分の目には明らかに正しいと映ることが否定されることは心理的に結構な衝撃を与えるので、それをきっかけに判断力が鈍ったり、持論に反対する意見に過度に攻撃的になったりします。
「同じことがあったら自分も殴っていた」という芸能人もある種そういった状態です。
芸能人に関してはそういうポーズの可能性も大いにありますが、SNSなどを見ていれば本当にそういうスタンスになっている人もおおいに見受けられます。
私自身も正直このアカデミー賞平手打ち事件の日米の評価のギャップにかなり衝撃を受け、色々ともやもやして時間をかけた結果、ようやく改めて「それぞれの文化にそれぞれの価値観がある」という認識に戻りました。
同じようにこの事件のことでもやもやしている人もいるのと思うので少しでも納得のための助けになればと思います。
さて、初めにおさらいとして思い出してもらいたいのは、前々回の記事にも書いた日米の文化ごとの「暴力観」の違いです。
この記事の締めにも書いてありますが、文化にはそれぞれの成立するまでの歴史があり、必然性があってその価値観が生まれています
そこには差異こそあれど優劣があるわけではありません。
とはいうものの、もやもやする人はそれが頭で理解できていても違和感があるのだと思います。
少なくとも私はそうでした。
この「頭では理解できていてももやにやする」感覚は何に由来するものなのか…
ここから書き始めると相当長くなるので、次回に回します。
