● アカデミー賞の平手打ち事件から見えること 暴力の捉え方編その2

 

 前回の記事ではアカデミー賞平手打ち事件に関しての日米の評価の違いに関して、「暴力観」が違うのではないか、日本はこうではないかということを書きました。

 

 

 精神的な暴力に敏感な日本に対してアメリカは…ありていに言うと差別と暴力が遥かに顕在している状況だといえると思います。

 

 暴力に関してもまず一番大きいのは銃の所持が日本より遥かに容易であるということが言えます。

 

 例えば誰かと口論になったとき、そこから発展したところで命のやり取りに発展することはまれです。

 

 対してアメリカはその後当然報いを受けるとはいえ、殺そうと思えば民間レベルでも簡単に人を殺せます。

 

 差別に関しても日本より遥かに身近にあると言えます。

 

 日本に差別感情が無いと言えば嘘ですが、アメリカと違って黒人、白人というような見た目にはっきりわかる違いが国内には少ないため、その点においては大きな規模で差別対象を即座に判断して迫害するという事は起こりにくいと言えます。

 

 対してアメリカの人種差別問題は全く進んでいないということはないものの、解決には程遠い状態というのも事実です。

 

 黒人が白人の警官に不当に射殺されたり暴力を振るわれたりという事は近年でも普通に起こり、「黒人の命を重視しろ」という運動が起こったり、それに対して「大事なのは黒人だけでなく全ての命だ」という対抗運動もあったりします。

 

 余談ですが、このアカデミー賞平手打ち事件事の発端の病気を揶揄した人物が白人だったとするならウィル・スミス氏が手を上げるまでもなく酷いバッシングがあっただろうという話もあります※日本人記者の記事に書いてあった文言なので正しく文化を把握していない可能性はあります。

 

 これはアメリカというか欧米諸国にも似た風潮があるそうですが、「弱者が強者をネタにするのはOK」という文化に起因するそうです。

 

 今回の事件では白人、黒人の差は無かったものの、社会的ステータスはウィル・スミス氏の方が高いのでウィル・スミスの方が悪いのだそうです。

 

 正直トンチキな話だとは思ってしまったものの、激しい差別とそれに対する戦いの歴史の中で醸成された文化なのでしょう。

 

 白人と黒人は白人の方が強者であると、文化レベルで認めている事になりますが、そこに疑問を感じるどころではないのかもしれません。

 

 これら身体的暴力や差別が日本より遥かに身近にあるという状況を鑑みると、アメリカが暴力だけに敏感なのも納得出来る気がしてきます。

 

 マズローの欲求五段階説に近づけて考えると、アメリカはまず安全の欲求が脅かされるという実感が強くあるため、その先にある侮辱という社会的な部分に対する攻撃にまで議論する余裕がないのだと思います。

 

 厳密な話をすると日本が安全の欲求を満たせているかというと実際はそうでもないのでしょうが、バイアスを込みにしても安全の中に居る認識は日本の方が高いのはあり得る話だと思います。

 

 このように身近に接する暴力には日米違いがありそうです。

 

 ちょっと長くなったので切りますが、次回はこういった暴力観の違いの総括と捉え方について書きます。