前回の記事に書いた私が所属している空手の会派の師範による護身術セミナーに出席してきました。本当の意味での護身は何かについて深く考えるきっかけになったので皆様にも私なりの要点をお伝えします。

 

 今回のセミナーで意外だったのが座学の多さです。実に半分くらいは資料に向き合っての講義でした。しかし、ある意味で本来の護身の意味としては正しい配分であったとも思います。

 

 最初の内容としては護身の種類に関するものでした。一人で自分を護る、一人で誰かを護る、みんなで誰かを護る。の三種類です。

 

 どのパターンにおいても自分は必ず生き残らなくてはいけません。自分を護ることに関しては当たり前ですが、残り2つのパターンにおいても自分を捨てて誰かを護っても次の危機に対処できなくては意味が無いということです。

 

 またそれぞれのパターンで重要なポイントも少し変わります。一人で誰かを護るという場合は、まず護る対象を危険から遠ざけてその後なんとか助けを呼ぶ必要があります

 

 助けを呼ぶことで状況をみんなで誰かを護るという状況に変える事が出来ます。そうするとリスクがかなり減りますが今度は連携や協力が重要になります

 

 1つ目の一人で自分を護るこれに関しては個人レベルの争いは自分次第であるという話でした。ネット上の誹謗中傷や、一昔前の不良の喧嘩の売り買いの様な物も完全に相手だけが悪いという事はそうそう無い。ということです。

 

 何か火種があったとして、それに対して双方に少なからず敵意が生まれるから争いに発展するのです。

 

 この考え方自体は過去に書いた争わない考え方であったり、炎上から身を守るであったり、対立構造を作らない考え方に近いものがあるかなと思います。

 

 まずは不要な争いを生み出さない。それが最も簡単な第一歩です。しかし、この考え方で対処出来る事はあくまでまともな相手が前提の話です。 

 

 近年起こっている無差別大量殺人事件に関する法務省の研究によると、反抗の動機で特定の個人への不満が原因となっているものは20%弱です。

 

 約17%の不明を除くおよそ60%以上が表現が違っても犯人の利己的な意思になるということです。

 

 さらに怨恨の相手の投影として標的にされるパターンもあることを考えると、身に覚えが無いことで襲われる可能性はそう低くない事を理解しないといけません。

 

 また、犯行の現場は路上や駅構内等人が多い所で行われる事が多いようです。これはある意味で自分もその場に居合わせる可能性がありますが、助けを呼びやすい状況であるとも言えます。

 

 これらの事を踏まえて突発的な危険に対してどの様に対策を取るべきか、私なりの要点としては以下のような事が言えると思います。

 

・頭の片隅に日常に起こり得る危険に対する意識をおいておく

・一人で立ち向かおうとしない

・必ず助けを呼び連携するそれまでの時間稼ぎをする

 

 急な危険にさらされると人は瞬間的に思考と動きが止まります。ここにつけこまれて攻撃されると何も出来ません。

 

 しかし、何か起こるかもしれない、その時に止まっちゃいけないと理解するだけでも実際に何か起こった時の動きに差が出ます。

 

 ある意味でこの記事を読んでおくだけでも最初に挙げた要件は達成されていると言えます。その程度でも大きな違いです。

 

 また、例え武術をやっていたとしても相手が凶器を持っていた場合、全く危険なくその場を切り抜ける事は有りえません常にリスクが伴います。

 

 一人で立ち向かう危険性を理解し、即座に周囲に助けを求め、それまでの間の時間稼ぎのみに注力することが大事です。

 

 日本においては凶器は刃物であることがほとんどです。そういった場合はカバンやタオル等手近な物を持つだけで直接刃に触れる危険を遠ざけることが出来ます。そういった周りのものが利用できるというマインドを持つのも大事です。

 

 以上の様な内容の講義を受けました。今回の記事ではその後にやった体の動かし方等についてはあえて乗せません。

 

 重要度が高いのは危険に関する心構えと備えだからです。危機意識を頭の片隅に置き、日常用品が刃物をそらすのに使える事を理解し、何かあったらすぐに助けを呼ぶという答えを持つ。たったそれだけで全然違うのです。

 

 護身とは技の術理では無く危険に対する策全てがそれに当たります。皆さんも心がけるようにしてください。