誰かと意見を交わす事はお互いに見えない視点を共有することになりとても有意義な事です。新しい発想に至ったり、より確固たる主張に洗練される等、一人で考えるだけではたどり着けない境地へと向かう事が出来るので是非とも奨励されるべきことだと思っています。 

 

 しかし時には誰かと議論をしていた筈が口論に発展してしまったり、主張のぶつかり合う相手の事が嫌になってしまうことが無いでしょうか?

 

今回はせっかくの議論を無駄にしないために、有意義な結果を得るために役立つ思考をいくつか紹介します。

 

 初めにお伝えする思考は主張≠人格と認識することです。 

 持論というものには人によってその結論に至るまでの経緯があります。その主張が強いという事は自分の内面に深く関わっているとも言えて、反対意見があった時に自分の人格まで反対されていると感じてしまいやすいのです。意見の対立を嫌う傾向にある人は主張の否定=人格否定=悪という構図が成り立っているのです。

 それだけでなく、主張と人格が近いということは言わば視点が近いのと同じです。極端な言い方をすれば映画をスクリーンから5cmの距離で見るような物で広い視点なら気付けるものにも目を向けられなくなってしまいます。

 自らの主張の良さを際立たせる為にも一歩引いた視点から見直す事を心がけましょう。そうすることで反対意見に傷つかなくなりますし、新しい視点を取り入れてさらなる進化を望めるようになります。

 

 次にお伝えする思考は言いたいことが伝わると思わないことです。

 これは特にTwitter等のSNSでは顕著だと思います。対面で話していても自分の意図した通りに相手に伝わるのは難しい事です。

 それはお互いが持つ語彙の違いであったり、主張が構築されるに至る知識や経験といった個人の内面を共有することが困難であることに起因します。

 さらに文面でのやり取りでは、話している時なら受け取れる仕草や声色といったニュアンスの情報も無くなり、字数に制限がかかるタイプのSNSはさらに幅が狭まります。

 実はお互いに納得できる落とし所があるにも関わらず表現の違いという些末な事象で引っかかる事はよくあります。

 すれ違いのまま論点がブレ始めるのを防ぐためにもきちんと意図した通りに相手に伝わっているかには注意を向けましょう。

 

 3つ目にお伝えしたいのは主張の要素を細かく分析することです。

 これは自分の主張に関しても、相手の主張に関しても言えることです。凄く極端に簡略化した例を挙げるてみましょう。

 仮に「チーズケーキが美味しいか不味いか」で主張が割れたとします。大雑把に美味しいか不味いかだとチーズケーキそのものの是非になってきてしまいますし、対立は100%の食い違いです。ここでチーズケーキの要素を「甘い」「ほのかな酸味」「柔らかな食感」等簡単に分けてみます。恐らくその3つは認識として共通させることが出来ると思います。そのうえで「甘いものが好き」「酸味が苦手」の要素で対立していた事が分かれば全部で5つの要素中3つは共通の認識があるということが分かるのです。

 さらに細かく分ければより共通認識も増えるでしょうし、本当の問題点にフォーカスすることにも繋がります。

 これは先に挙げた主張=人格になりつつある人が相手になっても比較的有効です。共通認識があることが分かれば割合としてダメージが減ることになるからです。

 

 そして最後にお伝えするのは

上記の考えを実践している人は以外と少ない

 と思っておくと良いということです。

 これは上記の考えを理解できる人が少ないと言うわけではありません。むしろ私と違う表現だとしても同じような理念を持つ人は多く見受けられます。

 ただ自分も含め咄嗟に感情が揺さぶられた時や明らかに攻撃的な言葉を投げかけられた時に等にその考えが抜けてしまうことは大いに有り得るということです。

 この考えは自戒として使っても良いし、議論する相手に何らかの理由があって上記の考えが欠落しているかもと認識して備えておくのも有効です。

 

 これらの視点を持つことで、主張の違いを怖がる理由が無くなり有意義な議論をすることが出来るでしょう。相手と不必要に馴れ合ったりマウントを取り合う理由はありません。むしろ主張の違いを楽しむくらいのスタンスで行きましょう