韓国39時間縦断ツアー
弾丸ツアーというとゼロ泊3日とか1泊4日とか、長い時間を航空機の中ですごし、現地ではわずかな時間を一つの目的だけのためにすごすというツアーを指す。W杯やオリンピックなどでの特定選手の応援などでよく見かけるツアーだ。
先週私が体験したのは、その逆のパターン。名古屋を夕方〈17時45分)に発ち、夜、韓国ソウルに到着、夕食を済ませて現地の酒を楽しんだあと、ホテルで6時間ほど休み、翌朝、金浦空港から国内線でソウルから全羅南道の麗水(YEUSU=ヨース)という町に向かった。
韓国は、何事も国を挙げて取り組む特徴があり、それがIT部門での躍進につながり、IMF管理からの脱却にもつながった。今その方向は、マッコリに向かっていて、私が訪れた高興(こうはん)という町にマッコリ製造を目指すある会社があった。
私の韓国の友人がその会社のコンサルティングを依頼され、日本に向けてマッコリを拡販できるならという条件で韓国政府の援助も受けられるという。私は、日本のお酒の販売商社を紹介したことから、その友人に招かれ、現地を訪問することになったのだ。
この高興という町は韓国の中でも柚子の生産が50%という農業の町で、まさに、この柚子をマッコリに混ぜた、柚子マッコリを生産しようと取り組んでいるところだという。もちろん、いわゆる普通のマッコリも生産するほか、ザクロのマッコリも作る予定という。
マッコリは、もち米やうるち米、ムギ、小麦粉などを蒸し、麹と水を加えて発酵させたもので、古くから農家などで自家製のものが飲まれてきた。
1960年代までは韓国内の酒類消費の60% を占める″庶民の酒″でもあったが、所得水準の高まりや輸入の自由化などでウイスキーやワイン、日本酒などが輸入されるようになり、アルコールの種類も多様化。マッコリの需要は次第に減少していった。しかし、昨年末からの景気停滞で消費者心理が冷え込み、焼酎やビール、ウイスキーの販売が伸び悩む中、マッコリだけは逆に売り上げを伸ばしている。一番の理由は、やはり焼酎やビールに比べて相対的に価格が安いことにある。
100ミリリットル当たりの価格で見ると、マッコリは約105ウォン(約
8円)で、焼酎やビールの4~5分の1にとどまる。また、甘くて満腹感が得られることもあり、おつまみなしで飲める“経済的なお酒″との認識が強い。健康志向の高まりも人気の要因だ。アルコール度数6~7%程度と、それほど強くない上、約10種類の必須アミノ酸が含まれるほか、自然発酵した乳酸菌やタンパク質、炭水化物、食物繊維、ビタミンも多く、「アルコール成分を除くと栄養剤のようなもの」といわれるほどだ。日本にも輸出が急増していて、ここ3年で数倍になっている。そこに韓国政府も目をつけたというわけだ。
前置きが長くなったが、この柚子マッコリは、マッコリよりさわやかで、女性がカクテル代わりに楽しめそうで、アルコール度数の低さも歓迎されるのではないかと思っている。
そんなマッコリ工場の現地を見学し、現地の役人の説明を聞きながら、韓定食をいただいて戻ってきた。ソウルに戻ったのは、夜7時。金浦からソウル市内の明洞に移動して、今度はウナギを韓国流でいただいた。言ってみればカルビのウナギ版。炭火の網の上で長焼をして、塩、コチュジャン、しょうゆを塗っていただく。3種類ともおいしかったが、塩は日本の白焼きに似ていて、コチュジャンは面白い味わいだった。
その日、ホテルに戻ったのは23時過ぎ。翌日は5時起床で、6時にはバスに乗って仁川空港に。名古屋に着いたのは午前11時。そのまま会社に向かった。2泊3日の韓国ツアーは普通なら50時間以上は現地で過ごす。増して国内移動もあり、本来なら4日間くらいかけるべきコースを39時間で走り抜けた猛烈なツアーだった。
先週私が体験したのは、その逆のパターン。名古屋を夕方〈17時45分)に発ち、夜、韓国ソウルに到着、夕食を済ませて現地の酒を楽しんだあと、ホテルで6時間ほど休み、翌朝、金浦空港から国内線でソウルから全羅南道の麗水(YEUSU=ヨース)という町に向かった。
韓国は、何事も国を挙げて取り組む特徴があり、それがIT部門での躍進につながり、IMF管理からの脱却にもつながった。今その方向は、マッコリに向かっていて、私が訪れた高興(こうはん)という町にマッコリ製造を目指すある会社があった。
私の韓国の友人がその会社のコンサルティングを依頼され、日本に向けてマッコリを拡販できるならという条件で韓国政府の援助も受けられるという。私は、日本のお酒の販売商社を紹介したことから、その友人に招かれ、現地を訪問することになったのだ。
この高興という町は韓国の中でも柚子の生産が50%という農業の町で、まさに、この柚子をマッコリに混ぜた、柚子マッコリを生産しようと取り組んでいるところだという。もちろん、いわゆる普通のマッコリも生産するほか、ザクロのマッコリも作る予定という。
マッコリは、もち米やうるち米、ムギ、小麦粉などを蒸し、麹と水を加えて発酵させたもので、古くから農家などで自家製のものが飲まれてきた。
1960年代までは韓国内の酒類消費の60% を占める″庶民の酒″でもあったが、所得水準の高まりや輸入の自由化などでウイスキーやワイン、日本酒などが輸入されるようになり、アルコールの種類も多様化。マッコリの需要は次第に減少していった。しかし、昨年末からの景気停滞で消費者心理が冷え込み、焼酎やビール、ウイスキーの販売が伸び悩む中、マッコリだけは逆に売り上げを伸ばしている。一番の理由は、やはり焼酎やビールに比べて相対的に価格が安いことにある。
100ミリリットル当たりの価格で見ると、マッコリは約105ウォン(約
8円)で、焼酎やビールの4~5分の1にとどまる。また、甘くて満腹感が得られることもあり、おつまみなしで飲める“経済的なお酒″との認識が強い。健康志向の高まりも人気の要因だ。アルコール度数6~7%程度と、それほど強くない上、約10種類の必須アミノ酸が含まれるほか、自然発酵した乳酸菌やタンパク質、炭水化物、食物繊維、ビタミンも多く、「アルコール成分を除くと栄養剤のようなもの」といわれるほどだ。日本にも輸出が急増していて、ここ3年で数倍になっている。そこに韓国政府も目をつけたというわけだ。
前置きが長くなったが、この柚子マッコリは、マッコリよりさわやかで、女性がカクテル代わりに楽しめそうで、アルコール度数の低さも歓迎されるのではないかと思っている。
そんなマッコリ工場の現地を見学し、現地の役人の説明を聞きながら、韓定食をいただいて戻ってきた。ソウルに戻ったのは、夜7時。金浦からソウル市内の明洞に移動して、今度はウナギを韓国流でいただいた。言ってみればカルビのウナギ版。炭火の網の上で長焼をして、塩、コチュジャン、しょうゆを塗っていただく。3種類ともおいしかったが、塩は日本の白焼きに似ていて、コチュジャンは面白い味わいだった。
その日、ホテルに戻ったのは23時過ぎ。翌日は5時起床で、6時にはバスに乗って仁川空港に。名古屋に着いたのは午前11時。そのまま会社に向かった。2泊3日の韓国ツアーは普通なら50時間以上は現地で過ごす。増して国内移動もあり、本来なら4日間くらいかけるべきコースを39時間で走り抜けた猛烈なツアーだった。
沈まぬ太陽
1985年8月12日に起こった日航機の御巣鷹山墜落事故は、私にとっても忘れられない事故だ。ちょうどお盆休みにかかって、交代で休みを取っている中、幹部社員は会議や東京の自宅へ帰省中という間の悪さで、当時、放送局の編成部にいたのは私一人。まだ異動直後で、専門用語もよく分かっていない時だった。しかも、墜落情報が確認されたのは事故が起こった18時56分よりしばらくあとのことで、キー局のほか、大阪と名古屋にしか放送局のなかったネットワークは大混乱した。特に東京発大阪行きの飛行機とあって、東京と大阪は取材に追われ、その動きにはさまれて、名古屋は身動きが取れない状態だった。
私は、ほかの部員と交代で翌日から休みで山に出かける予定だったが、いつ果てるとも分からない編成作業に追われて、気づけば、日付は変わり、夜が明けようとしていた。だから、刻々と変わるニュースの画面は実はよく見ていなかった。
昨年、「クライマーズハイ」で報道記者の目線で作られた御巣鷹山事故をテーマにした映画は、マスコミ人として大いに考えさせらたし、東京と地方という構図もよく理解できた。メディアの人間として大いに参考になった映画だった。
山崎豊子原作の「沈まぬ太陽」がようやく映画となって、昨日、それを見てきた。3時間20分の放映時間も破格なら、10分のインターミッションがあるというのも初めてだったが、そこに描かれる人間模様、日本の戦後体制に共通する政・官と企業との癒着、人としては、企業を見るか人を見るかという生き様が描かれ、御巣鷹山の事故を企業側の見方、それをも利用しようという官僚や政治家のあり方が、きちんと描かれ、ある種の衝撃を受けた。
この映画がこれまで何度も映画化を計画してつぶされた理由もこの点でよく理解できる。しかし、それがどうして映画化でき、ここまで原作にのっとって精緻に描けたか、それが民主党政権への移行と大いに関係があるのではないかと思った。もちろんクランクイン当時にはまだ政権交代は実現していなかったが、すでに、戦後体制は崩れ、こうした映画が容認される雰囲気は醸成されていたのだろうと思う。
折から、日本航空の経営危機、羽田空港のハブ化などが議論されているが、この会社が権勢を誇っていたころなら、このような映画はひねりつぶされていたことだろう。福知山線の脱線事故をめぐってJR西日本の企業体質が再び問題になっているが、根っこは同じで、戦後奇跡的な復活を遂げた日本だが、政・官がいかに緩んでいたか、国民がないがしろにされてきたかがよく描かれている。
映画を見ていた人のほとんどは中年層以上だったが、ぜひ、若い世代にも見てほしいと思う映画だ。企業人としての個人の立ち位置、出世という甘い罠、本当にいろいろ考えさせられた。
この映画の制作にあたって、通常なら必ずどこかの放送局がからんでいそうなものだが、この映画には放送局の影がない。国の認可事業としての何かを感じて加わらなかったのかと邪推している。
御巣鷹山事故をテーマに映画がここに来て作られるようになったことは、政治体制の変化の大いなる副産物とも思えるが、そうだとすれば民意は、大きな成果を得たことになる。
私は、ほかの部員と交代で翌日から休みで山に出かける予定だったが、いつ果てるとも分からない編成作業に追われて、気づけば、日付は変わり、夜が明けようとしていた。だから、刻々と変わるニュースの画面は実はよく見ていなかった。
昨年、「クライマーズハイ」で報道記者の目線で作られた御巣鷹山事故をテーマにした映画は、マスコミ人として大いに考えさせらたし、東京と地方という構図もよく理解できた。メディアの人間として大いに参考になった映画だった。
山崎豊子原作の「沈まぬ太陽」がようやく映画となって、昨日、それを見てきた。3時間20分の放映時間も破格なら、10分のインターミッションがあるというのも初めてだったが、そこに描かれる人間模様、日本の戦後体制に共通する政・官と企業との癒着、人としては、企業を見るか人を見るかという生き様が描かれ、御巣鷹山の事故を企業側の見方、それをも利用しようという官僚や政治家のあり方が、きちんと描かれ、ある種の衝撃を受けた。
この映画がこれまで何度も映画化を計画してつぶされた理由もこの点でよく理解できる。しかし、それがどうして映画化でき、ここまで原作にのっとって精緻に描けたか、それが民主党政権への移行と大いに関係があるのではないかと思った。もちろんクランクイン当時にはまだ政権交代は実現していなかったが、すでに、戦後体制は崩れ、こうした映画が容認される雰囲気は醸成されていたのだろうと思う。
折から、日本航空の経営危機、羽田空港のハブ化などが議論されているが、この会社が権勢を誇っていたころなら、このような映画はひねりつぶされていたことだろう。福知山線の脱線事故をめぐってJR西日本の企業体質が再び問題になっているが、根っこは同じで、戦後奇跡的な復活を遂げた日本だが、政・官がいかに緩んでいたか、国民がないがしろにされてきたかがよく描かれている。
映画を見ていた人のほとんどは中年層以上だったが、ぜひ、若い世代にも見てほしいと思う映画だ。企業人としての個人の立ち位置、出世という甘い罠、本当にいろいろ考えさせられた。
この映画の制作にあたって、通常なら必ずどこかの放送局がからんでいそうなものだが、この映画には放送局の影がない。国の認可事業としての何かを感じて加わらなかったのかと邪推している。
御巣鷹山事故をテーマに映画がここに来て作られるようになったことは、政治体制の変化の大いなる副産物とも思えるが、そうだとすれば民意は、大きな成果を得たことになる。
台風18号
今から50年前の昭和34年9月26日は、名古屋市にとって、最悪の天災被害を出した「伊勢湾台風」が上陸した日で、先週は、新聞もテレビもその日の様子を特集で振り返っていた。当時の台風15号は、潮岬に上陸した時点では985ミリバール(当時はヘクトパスカルとは言わなかった)で、最大風速は60メートルの巨大台風。気象台でもあまりの巨大さに、そのことを伝えようとしてもうまく伝えきれないまま、避難勧告が遅れたことが多くの死者を出した原因の一つともいわれている。まだ情報機関が速報体制を取れてはいなかったこともあった。満潮と重なって海面が6メートルも上昇したといわれ、未曾有の死者を出した原因となった貯木場の材木は、その海水にのって、運ばれた。
「伊勢湾台風物語」というアニメを神山征二郎監督が作っているが、かつて少しだけそれに関わったこともあり、その悲惨さは自らの体験以上に記憶されている。
この台風が来襲した50年前のことを記憶している人は、少なくなってきていて、われわれが戦争を知らないように、振り返っても知っているのは、高齢者ばかりというのが現実。先日、平均年齢75歳の法事の際には全員が「あの時は・・・」と記憶をたどって話し、大いに盛り上がった。そうしてみると自分も高齢者の仲間なんだと複雑な思いも去来する。
という私も、当時はまだ小学生になったばかり。木造の家が風で揺れ、畳が下から風で吹き上げられたという恐怖体験がいまだに記憶に残っている。翌日家の外に出たときの光景は衝撃的だった。電線は垂れ下がり、看板や瓦が飛び散って、道路は倒木でふさがれてしまっていた。飛んだ屋根のすき間から、あるいは壁の間から降りこんだ雨で家中水浸し、畳を上げ、板敷きの床にむしろを敷いて、囲碁の台をちゃぶ台代わりに、ろうそくの火を頼りに食事をしたのも記憶から消えてはいない。港からは離れていたし、少し高台だったので、水害にはあわなかったが、数千人が命を落とした港の近くだったら、私も人生をそこで終えていたかもしれないと思っている。
ライフラインという言葉も、あの台風を思い出すと切実で、停電が1週間続き、明かりがともったときの感激と便利さ、ガスが使えたときのありがたさは、忘れられない。
その後、報道記者として阪神淡路大震災の現場を直後に訪れたときの衝撃も大きく、台風直後の光景がよみがえった。自然災害の怖さ、それに対する備えの大切さは、身にしみている。だから、放送に関わって、災害のライフラインの一つとして数えられていることに責任を感じた。
昨日から今朝未明にかけて、2年ぶりの本州上陸となった大型台風18号は、50年前の忌々しい記憶を持つ人たちにとって、久々に緊張感を味わうことになった。台風が方向を定めた昨日の夕方には、気象台をはじめ、関係省庁が記者会見を開き、各自治体は人員を配置して万全の体制を組んだ。伊勢湾台風とほとんど同じ軌跡をたどって、未明に愛知県に上陸した台風は県内を縦断、折から満潮時にも遭遇しながら、冠水や浸水、一部でがけ崩れがあったものの、台風の規模から考えると、無傷に等しい。50年前の教訓は見事に生かされたといえるだろう。
長く続いた自民党体制が崩れたのも多分に油断がある。緊張感を持って、必要なことをきちんと積み上げるということの大事さをあらためて教えられた台風だった。
「伊勢湾台風物語」というアニメを神山征二郎監督が作っているが、かつて少しだけそれに関わったこともあり、その悲惨さは自らの体験以上に記憶されている。
この台風が来襲した50年前のことを記憶している人は、少なくなってきていて、われわれが戦争を知らないように、振り返っても知っているのは、高齢者ばかりというのが現実。先日、平均年齢75歳の法事の際には全員が「あの時は・・・」と記憶をたどって話し、大いに盛り上がった。そうしてみると自分も高齢者の仲間なんだと複雑な思いも去来する。
という私も、当時はまだ小学生になったばかり。木造の家が風で揺れ、畳が下から風で吹き上げられたという恐怖体験がいまだに記憶に残っている。翌日家の外に出たときの光景は衝撃的だった。電線は垂れ下がり、看板や瓦が飛び散って、道路は倒木でふさがれてしまっていた。飛んだ屋根のすき間から、あるいは壁の間から降りこんだ雨で家中水浸し、畳を上げ、板敷きの床にむしろを敷いて、囲碁の台をちゃぶ台代わりに、ろうそくの火を頼りに食事をしたのも記憶から消えてはいない。港からは離れていたし、少し高台だったので、水害にはあわなかったが、数千人が命を落とした港の近くだったら、私も人生をそこで終えていたかもしれないと思っている。
ライフラインという言葉も、あの台風を思い出すと切実で、停電が1週間続き、明かりがともったときの感激と便利さ、ガスが使えたときのありがたさは、忘れられない。
その後、報道記者として阪神淡路大震災の現場を直後に訪れたときの衝撃も大きく、台風直後の光景がよみがえった。自然災害の怖さ、それに対する備えの大切さは、身にしみている。だから、放送に関わって、災害のライフラインの一つとして数えられていることに責任を感じた。
昨日から今朝未明にかけて、2年ぶりの本州上陸となった大型台風18号は、50年前の忌々しい記憶を持つ人たちにとって、久々に緊張感を味わうことになった。台風が方向を定めた昨日の夕方には、気象台をはじめ、関係省庁が記者会見を開き、各自治体は人員を配置して万全の体制を組んだ。伊勢湾台風とほとんど同じ軌跡をたどって、未明に愛知県に上陸した台風は県内を縦断、折から満潮時にも遭遇しながら、冠水や浸水、一部でがけ崩れがあったものの、台風の規模から考えると、無傷に等しい。50年前の教訓は見事に生かされたといえるだろう。
長く続いた自民党体制が崩れたのも多分に油断がある。緊張感を持って、必要なことをきちんと積み上げるということの大事さをあらためて教えられた台風だった。