のんべえのブログ
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ネットの陥穽とリーダーなき暴走と東海テレビの社内テロ

 フジテレビの韓流番組が多すぎるというタレントの批判をきっかけに、ネットでは猛烈なバッシングが起こり、ついに明日はフジテレビへのデモが予定されるという。同時に最大のスポンサーについても不買運動を行うという予告がネット上で踊っている。
 原発を巡る推進派、反対派の運動は、推進派の多数派工作と組織力、資金力で抑えてきたが、こうした、突発性の、ある意味何かに当たりたい的なゲリラ的デモは、しばらく鳴りをひそめてきただけに、予断のできない危険性もはらんでいる。
 韓流ドラマやK-POPなどの韓国製のエンタテインメントに、日本はすっかり席巻され、高視聴率が期待でき、多くの動員が見込める韓国コンテンツは“還流”というジャンルをすっかり確立している。必然的に編成的にもそれが目だつように編成されることになる。
 それが特に目立つフジテレビが、今回、反韓流の標的になった。きっかけは高岡蒼甫がツイッター上で、韓流番組は見ないし、その編成が多すぎるフジテレビは見ないという発言だった。高岡がどういう意見を持とうが、それは自由だし、それに同調者が出るのも、異論が出るのもこれまた自由。ただ、この意見をきっかけに日ごろのうっぷんもたまっていたのか、一気にフジテレビへの抗議行動と、スポンサーの花王の不買運動に発展した。
 
 国の放送免許を受けて放送局はジャンルをバランス良く放送するのが基本で、もちろん公序良俗に反し、先導するかのような番組編成は許されるものではない、また、何かに肩入れしたかのような意図的な番組制作もできないことになっている。
 
 それでも、今回は一人のタレントのつぶやきがこれほど大きな話題となっている。デモを呼び掛ける側の論理として、1.高岡蒼甫は所属事務所を解雇され、今後の芸能活動ができなくなっているが、それは、フジの圧力2.スポンサーも全面的にそれを支援しているから、そのスポンサーの商品の不買運動を呼びかけよう。 というのが狙いだろう。
 
 このデモ、一体だれのためにやろうというのか、高岡がんばれなのか、韓流一色はけしからんなのか、スポンサーが悪いのか、どれも説得力に欠ける。それでもそれなりの数の若者がお台場に集結し、こぶしを上げるだろう。ある意味、日ごろのイライラをこれに集約し、怒りをこの問題に集約して大声を上げたいという現象なのかも知れない。国民が自らの意志の発露ということでは、久しくなかったことだから、その意味でもこの動きは注目に値する。
 
 一方、名古屋ん東海テレビがワイド番組の通販コーナーで流した、「セシウム米」のテロップには得体のしれない計画性とメッセージ性が込められているように感じる。きっかけというか、訴えたいことは反原発かと推測するが、それよりその手法に恐ろしさを感じる。検証番組では社長のお詫びは当然として、なぜこのようなあってはならないテロップが放送されたかについて、詳細な説明があった。しかし、一応業界人としてどの説明もふに落ちない。
 1、通販の当選者名のテロップは、手書きのはず。であればリハーサルにはボードだけでもよく、なぜあのような手の込んだことが記入されていたのか2.番組で放送されたタイミングは通販の途中であり、あのようなタイミングで全く別のテロップが放送されることは、誤ってというレベルでは出ない。3、放送されていたのは23秒間、画像でも確認したが、仮に操作を誤って放送されたとしても、この時間は長すぎる。画面を監視するマスターの責任者が不体裁を覚悟の上で画面を落としてしまえは、これほどの時間放置sれる事はなく、少なくとも誤った操作の言い訳にはなる。と、つまりは、これはある種の意志が複数の人間の合意がなければできない現象ということになる。では、何のためにこれをこれほど長時間放送したか、ミクロでみれば社内のトラブルのはけ口だが、マクロでみると放射能汚染の進む国の政策への自棄的行動、ある意味テロではないかと結論付けられる。だから恐ろしい。こうした動きが各局内から出てきたら、放送の情報の安全性は一気に崩壊し、放送の持つ最大の強みである、正しい情報機関という位置づけすら失われてしまう。そんな背景のないことを祈りたいが、かつてない放送の危機をフジテレビバッシングと東海テレビの不体裁報道から感じずを得ない。放送免許にも言及するほどの大きな問題を秘めていることを忘れては

地デジ完全移行とメディア

 地上波テレビという表現にすっかり慣れた向きも多いと思う。衛星放送に対する地上波で、テレビの黎明期には表現すら存在していない表現だ。英語ではTerrestrial Broadcastというので、日本だけの表現ではない。その地上波テレビが7月24日に58年の歴史を閉じた。
 1998年10月のプランの発表から13年がかりの国家的システム変更で、2001年7月に電波法が改正施行され、その時にアナログ放送の終了期限を7月24日としたことが、この日がアナログ放送終了と決められた根拠となっている。全国の放送局はこの日でアナログの放送免許が切れる。だから24時までの終了というのは免許を忠実に守った結果ということもいえるだろう。
 震災の被害の大きかった東北の放送局は国会の放送法の限定修正を待って、来年3月までのアナログ免許が継続された。だから東北の宮城、岩手、福島の3県をエリアとする放送局に限り、デジタル、アナログ両方の放送免許を持っていることになる。
 1998年というと、ちょうどインターネットが普及を加速させ始めたころであり、携帯電話の普及が始まったころでもある。デジタル放送への移行を決めた頃は、2000年の衛星デジタル放送、CS放送の開始前であり、まだまだ地上波テレビの影響力の大きな時期だった。しかしその後、インターネットのブロードバンド化が進み、携帯が飛躍的に普及して、メディアは大きな変化を遂げた。広告メディアとしての4大メディアはその基盤が崩壊し、週刊誌や月刊誌は廃刊が相次ぐようになった。ネットによる音源ダウンロードがオフラインでの流通を大幅に上回るようになった。その結果、ラジオもFMに若者への影響力がなくなり、音楽のヒットチャートも日々のダウンロード数がその正確な指標となってきた。当然広告メディアとしての価値が下がり、営業に大きな影響を与えている。半面、インターネットの検索サイトはあっという間に巨大メディアとなり、広告媒体としての価値と、ダイレクトマーケティングのツールとして、一大広告メディアとなっている。
 新聞も減少に歯止めがかからず、宅配システムがかろうじて部数の維持をつなぎとめているが、若者はネットで情報を取り、部数減は深刻。広告の減少がその原因だが、コスト減によるジャーナリズム精神の喪失は、やがて、画一化された情報ばかりという危険をはらんでいる。いや、もうその傾向は顕著に出ている。メディアの記事は、会社の後押しによる記者の粘り強い報道への執着がなくてはできない。
 そしてテレビ。デジタル化が進んで、画面はきれいに、大きく、見やすくなった。しかし、画面がいくら美しくなっても、内容が伴わなくてはいけない。
 高齢者の中には、このデジタル移行を機にテレビ視聴をやめるという人が少なくない。その理由は見るべき番組もなくなって、先行きを考えたら高額をかけて改修する必要を感じないというものだ。テレビは震災など災害時には、正確な情報を得るための唯一の手段であるということに変わりはない。だが、維持するには費用がかかり、操作が分かりにくくて高齢者向きでないとしたら、何のためのデジタル化か。
 ネットでニュースインデックスを見て、各紙の記事を検索することで情報が得られる時代。テレビの画像もインターネットで共有できる。しかしその情報は誰が取材し、その費用は誰が負担しているのか。ボーダーレスに情報が飛び交う時代に、本当に守るべきものは何か。デジタル化を機に、よく考えなくてはならないと思う。

団塊からみたSNS

 震災後、身を守るためにもあらゆる通信手段を確保したほうがいい、と比較的SNSメディアに縁がないという人たちにツイッターの世界へお誘いし、皆さんなんとなく使い始めた。ただ、なぜメールではいけないのか、不特定多数を相手にしても仕方ないという反応が多く、納得して使っているとは言い難い。全部の方が納得して使うことはないが、いざという時にどう役立てるか、そのためには、距離感を持ったままでも、その機能がどのようなものかだけは知っておくべきであり、それがいずれ身を助けることになるかもしれないと思う。
 そんな折、齢70を超えて、あらゆる機能を使いこなす先輩から、ブログが送られてきた。まさに、わがツイッター仲間の悩みを払しょくできる要素がそこにあったので、ここにそのまま転載する。ところどころ簡単に受け入れてたまるかという、矜持を感じるが、圧倒的な速さで進むネットメディアのパワーを否定しきれないという観念が垣間見える。共感を持たれる団塊以上の方が多いのではないかと推察する。ちなみに書かれたのは70代半ば過ぎ、かつての巨大企業の大幹部だった方である。侮ってはいけないという最後のコメントがすべてのような気がしている。まずは一読を。


『メールのいろいろある私の欠点の一つが「情報量に乏しい歓談を楽しむ」ことが出来ない点だ。ところが困ったことにそういう「歓談システム」がITの世界で流行って来た。Blog、Twitter、Facebookなどがそれだ。時代遅れの老人にはなりたくないから「準会員」としてこれらと付き合っている。

 これらを総称して社会媒体=Social Mediaという。一般庶民が発信する集団的媒体だ。「文殊の知恵」のような集合知を形成することもあるが単に歓談を楽しむレベルも多い。社会媒体には、email上の対話Forumもあり、Blog、YouTubeなどの動画投稿サイト、写真投稿サイトも含まれる。
最も典型的なのは、世界的にはFacebook、日本ではMixiなどのSNS=SocialNetworking Serviceであり、Web上で気の合う仲間がクラブのように情報交換をする。Twitterには「自分はこの相手の発言を逐一受信する」と勝手に登録するFollower制度があるから、SNSに分類されることもあるが、仲間作りの指向は薄いのでSNSとは別の社会媒体と考える人も居る。

 Blogは元来Home Pageの簡易版で、多くの人にHome Page発信の機会を提供した。それを見た人が感想やコメントを容易に加えられるようにした点がBlogの偉大な特徴だ。Trackbackという機能で、コメントが加えられたことが元のWeb頁にも記載される。そのお陰でBlogの愛好者Bloggerの間で対話が進み、集合知が形成されるようになった。しかし気軽に発信できるという長所の反面、文字数の割に情報量が少ないBlogがWebに横行している。Blogだけを検索するエンジンはあるが、Blogを除いて検索して欲しいと何時も思う。従って私は知人のBlogを時々は見るだけだ。Text EditorでHTML言語で記述することに痛痒を感じないから、Blogは書かない。

 BlogからTwitterが生まれた。Blog Systemを開発した複数人が、140文字以内の文章だけという制限下で気軽に即時に対話する需要があると考えて試作し、Twitter社を創立した。1件だけの要点をすぐ発信でき、返信も簡単にできる。何を言っているか分からぬBlogの氾濫を反面教師としたに
違いない。英字でも140文字、漢字でも140文字だから、日本語Twitterは英語Twitterより多くの内容を伝えることが出来、本来の趣旨を若干外れている。即時性を徹底するために、Follower制度を導入し、emailと同様に発信内容をFollowerに送り込む。これをPushと言い、Web頁を見に行く
Pullと対比される。Pushの導入がTwitterとBlogの大きな差である。

 私はTwitterもROM=Read-Only Memberを決め込んでいる。楽天の三木谷浩史氏は英語化運動の最中だけに英語で書いていたが、あまり頻度が上がらないのでFollowを止めた。同じ理由で旧友のGoogleのEric Schmidt CEOを見るのも止めた。Sarah Palin氏の過激な発言を見ている。NASAが宇宙写真へのLinkをしばしば発信している。孫正義氏はHeavy Userだ。世論形成努力、消費者の意見吸い上げ、などに積極的に取り組んでいる。ユーザが良い意見を出すとすぐ「やりましょう」と即答するので、部下は尻拭いに大童だろうと想像できる。元ミス東大の片山さつき氏は東奔西走の政治活動を伝える。小池百合子氏も@ecoyuriの名でよく発信している。
 Facebookは、Mixiなど他のSNSと異なり実名主義を貫く。だから無責任な発信が少ない。Facebookには(1)個人交友の頁、(2)企業PRの頁、(3)グループ掲示板という似て非なる3種の頁がある。(2)にはANA、ユニクロ、コカコーラなどのファンクラブが多い。TwitterよりもマルチメディアでBlog同様の表現力がある。加えて第三者ソフトの組み込みが出来る。

 創立者Zuckerberg(独語で「砂糖山」だが英語読みでザッカーバーグ)がHarvard大在学中に大学のDatabaseに侵入して得た女子学生の写真の人気投票ゲームを作って大学から叱られた。しかしそれをベースにFacebookの名の通りHarvard学生の自己紹介Systemを作り、大学生から高校生一般に広げ、機能を拡張しつつ一般人に拡大した。企業の頁の「いいね!」というボタンを押すと、記事が変更される度にPushされるようになる。

 エジプトの政変の運動家が「我々はFacebookで(限定メンバで)企画し、Twitterで(大勢に)広め、YouTubeで世界を味方につけた」という話を聞いた。私は好きになれないが、社会媒体を侮ってはいけない。』 
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