自己評価とブランディング
今働いている会社ではmonthly meetingがあり、
その後quarterly drinkにそのまま流れる。
そんな催しが先週あり。
そのお酒の入った場で、
ある先輩のターゲットになってしまい。。
その人はお酒が入ると自称「タチが悪くなり」、
人が気にしている事や触れられたくないところを
ずばり辛辣な言葉で突いてくる。(しかも女子限定)
だから飲み会の時は
可能な限り遠い席に座るようにしてたんだけど、
こないだは近くなってしまい、
恐れていた通り、仕事の説教が怒涛のごとく降ってきた。
彼の言う事は単なる個人批判ではなく、
日頃一緒に仕事をする上で不満に思う事を
ずばりぶちまけるんだけど、
言ってる内容は事実なの。
彼の独断と偏見と一方的な視点に満ちているとはいえ、
人が人を評価する時なんて皆そうなわけだし。
酔っ払いにからまれるっていうのは
愉快ではなかったけど、
耳にしてムカッとくるのは
それが図星だから以外の何物でもなく。
私の意見は意見としてその場で伝えたけど、
彼は性格的に日頃から人の言う事に耳を傾けるタイプではないので、
2倍3倍になって返ってくる。
キリがないから、途中で私は相手にするのやめた。
私としては、
例え批判めいたとしても、
忠告や助言は言ってもらえるうちが華だと思っていて。
だからカモフラージュではなくきちんと彼の言い分には耳を傾けたし、
改めたいと自分の意志で思った部分もある。
それは、自分でも気づいていたけど、
どこかで甘えていてそのままにしてた部分。
だからこそ耳が痛かったし、
話してる時は落ち込みもしたし苦しかった。。
でも、「火のないところに煙はたたず」の通りで、
真摯に受けとめるべき部分があるな、とは思ったから、
お酒の入った席での言葉っていうことも彼に加味して
(私自身はお酒を言い訳にするのは嫌い。フェアじゃないと思うから。)
心に留めるものは留め、流す部分は流す、
そうやって抽出して折り合いつけて、べつにそこまで傷ついてもなかった。
ところが、、、
周りにいた人たちは、
私が泣き出すんじゃないかとハラハラしていて、
あの手この手で話題や彼の鬱憤の矛先を変えようと手を尽くしてくれて。
場が解散した後も皆一様に、
「気にしなくていいから!」って言うのね。
しかも1人や2人じゃなく、一度や二度じゃなく。
皆すごい励まして慰めてくれて、
彼は誰にでもああだから、ってフォローしてくれた。
翌日にわざわざプライベートにメールくれた同僚もいて。
そこで私ははたと思う。
「そこまで気にするべきことだったのか?」
つまり内容がどストレートで図星だったから、
皆こんなに心配するんじゃないか、と。
そっちのがへこむ、、、
そして一方で、
打たれ弱いと思われてるんだろうなーと
人から見た自分像を客観的に感じる機会にもなった。
自分では、
うまいこといなしていて、
早く向こうが飽きないかなとしおらしく見せていたり
“演技”してるだけだったんだけど。
それが成功したといえばしたのだろうけど、
それにしても皆のあの心配っぷりは私が正直腰を抜かすほどだった。
そしてあれだけ心配されてしまうと、
気にするべきなのかとだんだん鬱屈としてしまい…
むだに落ち込んだふりしてたら本当に落ち込んできてしまった、、、
言葉って態度ってこわい。。。
「だいじょぶだいじょぶ、あの子はけろっとしてるから」と
「大丈夫かなあ心配だなあ」とは
性格も年齢も関係あるけど、
やっぱりどう思わせるか、ってブランディングだなーとは思った。
私は普段、何でも知りたいから、
何でも気軽に言ってもらうためにうんうんって聞くようにしてる。
だからからかわれたり話のネタにされたり
こういう風にターゲットになることもあるけど、
それって役得だと自分では思ってて。
からみづらい人、話しかけづらい人、話しかけるのに緊張させてしまう人、
それって情報を取りこぼす可能性が高いと思うの。
それってもったいない。
だから私はオープンでフレンドリーでいるように、
それは意識してるなー。
でもその意識が、今回は思ってもない方向に作用したけど。
でもそれはそれで、皆にこんなに心配してもらえること、
皆のあたたかさ、優しさを感じられた貴重な機会だったな、と
ありがたく頂戴(?)することにした。
評価って不思議だなーと思ったひとときでした。
自分は自分、こういう性格で、ってわかってるつもりだけど、
それを定義するのは結局他人なわけで。
ということは、自分が自分のことをどう解釈してようが、
人がそう思わない限り、それって意味を成さないってこと。
結局は、他人がどう見るか、どう見られたいか、を
意識して、自分の性格をつくって見せていかなきゃ
なんだなあと思った。
見られたい自分、を意識してつくること、
でもそれは素直な自分でいることに時に制限をかける必要があるのか、
社会的価値と、自分の幸せと、天秤なのか。
むずかしいね。。
私は奔放に自分が好きな自分でいたいし、
どう思われてもかまわない、と思う反面、
今回のような出来事があると考えてしまうなー。