qui est-ce que je suis? -18ページ目

自由、を後押しした親のスタンス

昨日、2年以上一緒に仕事をしている一番仲いいおねえさんに、


「自由だね~」


って何かの拍子で言われる。



一応、


というか一応もなにも、


私2年以上まじめに会社勤めしてますけど…!



そう口にしたけど、


「ううん、自由だよ~」


って。



「何をもって、彼女はじめ周りの人にそう言われるんだろう?」


と考えてみたけど、


それはたぶん、


私が自分の望むように選択を重ねているから、


に他ならないかなーと思う。



それは旅を発端にその後得た価値観でそうなっているんだけど、


旅に出る前の歩みをちょっと考えてみた。




私の親は結構厳しいタイプで、


見せてもらえるテレビ番組に制限があったり、

(たとえばバラエティの類は一切だめで、

 それゆえ「ガキ使」とか「めちゃイケ」とか見たことない)


かなり厳しく門限が設けられていたり、


すごく堅実な金額のお小遣い制でそれ以外は一切もらえなかったり、


細かい規定がすごくあった。



それについて、親に反抗したことももちろんあったけど、


基本的には規定内からはみ出ずに過ごしてきたかなー。



その“抑圧”を感じながら、


でも、 ぐれる という方向に進まなかったのは、


ひとえに勉強が苦じゃなかったから、と自分では思っていて、


早い時期から自分の意志で塾に通っていたけど、


学校後はいそいそと塾に向かい自習をしていた。



そんな地味な生活だったんだけど、


それが続いたのは、やっぱりそれが「自分の意志」であったから、なんだよね。



親に、


「勉強しなさい」


って言われた記憶がなくて、


「いい高校に行きなさい」「いい大学目指しなさい」「いい企業に就職しなさい」


っていう言葉を親の口から聞いたことは一度もないし、


そういう風に将来を示唆されたことが一度もない。



親は、

私が何かを言われてすることにものすごく抵抗を感じる性格だということを

心得ていたのか、


そういう節々で


「どう思ってるの?」


って聞いたことすらない。



今思えば、


私が自分で自分の未来について考えているということを

当然のようにわかっていてくれて、


私から「私はこう思ってるんだけど、どう思う?」って言うまで、


何も言わないでいてくれた。



私の性格にとってはこれがすごくすごくありがたくて、


しかもその自分なりに下した決定についても一切否定はしなかったことも、


大いなる助けだった。



高校進学時も「この高校を受けようと思うんだけど」って言ったら「そうなの」、

大学進学時も「こことこことここを受けたい」って言ったら、

「そんなに?」と驚きながらも「こういう理由があって受けたい」と説明したら

「わかった」と受験料を捻出してくれた。



それだけ子どもの決定や気持ちを尊重してくれていたんだな、って今ならわかる。



何度かの人生の局面の時、


親が自分の気持ち(もしかしたらあったかもしれない、「この大学に行ってほしい」とか)を

押し出さずに、


「私はこうしたい」という子どもの気持ちを汲んでくれたことは、


その後の局面でも私の背中を“見えざる手”で押してくれるだろうという心強さに


つながっていったことに、今は感謝でいっぱい。



「私の人生は私のもの」


っていう信念が11歳でもう芽生えていて、


だから誰かに何かを言われても「私の人生だもん」って貫いてきたけど、


それは親がそういう風に行動で示してきてくれたからなのかなー、って。



親とうまくいってなかった時期ももちろんあるんだけどね、、、


それをどう越えたかは、別の機会に。