おはようございまーす!
さこぴです![]()
いつもはスマホからブログを書いているのだけど
今日はパソコンから書いてみています![]()
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ところで「優しい」って、一体なんなんでしょう?
私は自分は優しくないのだと思って、
人に対して優しくありたいと思ってこれまで生きてきました
なぜ自分のことを優しくないと思うかというと
それもやっぱり母との関係の中から生まれていて
母から「あんたは優しくない」というメッセージを受け取ったから
だと思います
実際母からは「思いやりを持った人になってください」
と成人した後も何度も何度も手紙がやって来るくらい
母にとっては私には思いやりが皆無だったらしい
ちなみにAI曰く「思いやり」の言葉の定義は
こんな感じで使っているらしい
母にとってどういう意味だったかは不明だけど
私にとっては
「相手のことを考えて、相手がして欲しいことができること」
が思いやりだと思っていた
AIの意味から考えると、
思いやりというのは、相手を助けることや、相手のために動くことの
その一歩前の段階の「相手の理解」の意味合いの方が大きいのかもしれない
行動も含む、とは書いてあるけれど
行動以前の相手の状況や気持ちを考えて、相手を尊重すること
ができた上での行動なんだと思う
母の言っていた思いやりってなんだろう?
は、推測でしかないけれど
「お母さんのことわかってよ」
だったんだろうね
あんたのせいで、お母さん困ってる
あんたのせいで、お母さん大変
もう少しお母さんのことを考えて
ってことだったんだと思う
その上で
お母さんに謝って
お母さんのこと励まして
お母さんのこと労って
お母さんのこと慰めて
というメッセージが込められていたんじゃないかと
子供の私に???
無理だろ!!
でも、私は
「相手のことを考えて、相手がして欲しいことができること」
をずっと求められていると思ったから、
私の中ではそれを一生懸命やって
母から「思いやりを持って」ともう言われないように頑張っていたなあと思う
では何をやっていたか?
それは「慰める」だった
私の中では「思いやりを持つこと」は「慰める」で
「優しくする」についても「慰める」とか「相手の言うことをきく」
と言うことになってしまっていた
ちなみに慰める、とは
実際はこう言う意味↑
私が慰めるを優しいに変換した原因には、
祖母との関係もある
祖母は私が物心ついた頃には、病気がちでもあり
「ばあちゃん・・・もう終わりだ・・・」
「さとこ・・・寂しいよ、会いたいよ」
と言うのをやっている弱者戦略の達人で
私は祖母を慰める係でもあった
そして祖母からの私の評価は「一番優しい孫」となった
祖母が辛い時、嫌な気分になった時、寂しさを感じた時
祖母は私に対して弱々しく訴えかけることで
私が慰めてくれることを学習してしまったし、
私は「もう終わりだ(そろそろ私は⚪︎ぬ)」と言われると
とても怖い気持ちになって大人になっても
ずっとずっと祖母に構い続けなくてはいけなくなっていたんだよね
その弱々しい祖母はまだ存命、もうすぐ89歳
ほんと無駄だったよと、幼き頃の私に伝えたい
私は本当に無自覚だったけど、
成人後は、母に対してもあらゆる場面で一生懸命慰め続けてきたはず
優しくない
思いやりのない
と言われ続けることが本当に嫌だったので
母に優しさを証明したくて、多分母を必死で慰めてきた
むしろ慰めオンリーで関わり続けてきたような気がする
そして私は、子供を産んで
子供に優しくありたいと考えた時
「慰める」が「優しい」だとすっかり思ってきたので
これまでもずっとずっと子供たちを慰め続けてきてしまったのだった
しかも「優しくない」ことには罪悪感というおまけまでついている
優しくしないと(慰めないと)⚪︎んじゃうぞ?
っていう呪いまでついていたんじゃないだろうか?
ちゃんとした親でありたかった私は、
自分の子供達に対して
可哀想扱いとクソ扱いをして精一杯対応してきたのが現実だった
慰めなくてもいいところを必死に慰め続け
思いやりを持たなければと思って、子供の言いなりになり
尊重もできず、言いなりになりっぱなしにもなれず
結局は対応しきれないから子供をコントロールしてきただけだった
それも当たり前だったんだと思う
だって「優しい」が何か知らないんだから
母も祖母も「優しい」が何かわかってなくて
自分の子供に「優しく」することができないどころか
優しくしてくれ!優しくしてくれ!
親に優しくするのが子供の役目だろ!!
って叫んでいただけだったんだからさ
ナリ心理学のブログを読んで結構な時間が経つし
ナリ心理学が伝える「優しさとは」についても何度も何度も読んできたけど
やっと最近、私のやってることは意味がなくて
たとえやっていたとしても、弱すぎて意味がないことがわかってきた
しかも、ずっと私の中で大事にしてきた「思いやり」すら
ってナリくんは言ってるぞ
母から何十年も言われ続けて、最重要なんじゃないかと思ってきたけど
実際相手の気持ちを理解したり、尊重したり、その上での行動は大事!
これ、最弱の優しさだってさ
しかも私の場合言葉の意味すら勘違いしてるしね
子供たちにも、そんな最弱の優しさは伝わないし
伝わるとしたら、クソ扱いと可哀想扱いの方で
僕はクソなんですね?可哀想なんですね?ということだけだった
だから私が辞めていったらいいことは
慰めるのをやめる
なんだなあと思った
子供達が嫌な気持ちになった時に、ご機嫌取りしない
なんとか気分や機嫌が変わるように取引しない
目の前に私がいると絡んでくるから、隣の部屋に行くなどして姿をちょっと消す
とか
母とか祖母に関しては、今は直接相手にすることはないんだけど
脳内では一生懸命罪悪感を送って来るので
その罪悪感が何かを私が自覚して
目の前の人を慰めなくたって、相手は自分でなんとかする力があると信じること
=放っておくこと
慰めるをやめる代わりに何かをしようとするのではなくて
まずは、しっかり慰めるのをやめること一本でやってます
それが優しいなのか、何が優しいなのかすら今の私にはわからないから
まずは、余計なものをやめていく
優しくなくたっていい
思いやりのない人だっていい
慰めなくたっていい
間違った「思いやり」や「優しさ」も
立派なゴミ価値観
しっかり捨てていく!
ちなみに「優しさ」を慰めるだと思ってたから、
私が自分に対して優しくしようと思った時
自分を慰める=逃げるになってしまっていたのも
性格もあるんだろうけど、
この勘違いも大きかったと思う
慰めても何も変わんなーい!!
優しさについて、参考にした記事のリンクを貼ってます↓






