映画「カランコエの花」を観てきた。






観ていて、
何度も泣きそうになって
エンドロールで、
分かる…!って思った瞬間、涙が溢れていた。


好きになった相手が誰であっても
恋ってとてもキラキラしていて
だけど、同時に苦しくもある
ということが伝わってきて
わたしは、このエンドロールがすごく好きだなと思った。


いまわたしの恋は
伝えたことによって“苦しい”のほうが大きくなってしまったけれど
好きだと気づいてからの
混乱も迷いも、そしてドキドキする気持ちも
とてもキラキラしていて
とても幸せだったな、と。
そして、いまだって苦しい気持ちだけじゃなくて、会えた時の嬉しさも、話せた時のドキドキする気持ちも、変わらずあって、苦しくても、伝えないほうが良かったなんて思ってなかった。
忘れそうになっていた気持ちを思い出した。



伝えようとして、でもやめてしまって
そのあとバスの中で泣いているシーン、
うまく言葉にできないけれど
すごく良い。
ふたりの表情も、言葉に詰まって下を向いた無言の時間も、
言葉になっていない沢山の感情がそこにあって
全部自分に引き寄せて分かるなんて言うのはおこがましいけど
でも、
ああ、分かる…って思った。



少し前に、TwitterでLGBT講話が話題になった。
その時もわたしはいろいろ考えさせられたけれど、今回映画を観て、改めて考えた。
何の積み重ねもなく、いきなりLGBTってこういうものです、差別はいけません、と教えることがどれだけ当事者を傷つけるか、そしてその授業を受けた子どもたちを傷つけるのか、ということを改めて、思った。

あの時Twitterに思いを書いていたあの子のことを思い出しながら、観ていた。



クラスにLGBT当事者がいるんじゃないかってなって、まるで犯人探しみたいになる中で
もしあの場にわたしが居たらどうするだろう…と考える。
とても、難しい。
当事者として居たらどうするだろう。
そうじゃなくて、誰が当事者か知っている立場だったらどうするだろう。

そもそも、そうならないためにどうすればいいんだろう。


わたしはずっと
差別は悪意が元になっていると思っていた。
でも、
それだけじゃないと、この作品を観て思った。


きっかけとなる授業を行った先生には
悪意なんてなかった。
だからって、悪意がないから仕方ないよね、とはならないけど、
でも、どうすればいいんだろう…と考えてしまう。


わたしは
改めて、当事者とひとくくりにされる人たちだって、やっぱりひとりひとり違うんだ、と言いたい。
だから、分かったつもりになってはいけないんだと思う。
どう思っているのか、どうしたいのか、ちゃんと聞かなきゃいけないと思う。


保健の先生は、話を聞いたあと
相談もしないで授業を行った。
なんで自分に話をしてくれたのか、何かしてほしいことがあるのか、聞けば違ったんじゃないかなあ。

そして、当事者であっても
ほかの当事者のことは、全ては分からない。

わたしは、それを忘れずにいたい。



自分と違う価値観を持った人や
自分と違う生き方をする人に出会った時の
戸惑いや
腫れ物に触るように接してしまう様子が
とても丁寧に描かれていて
いまもいろんなシーンを思い出す。

子どもたちの純粋な感情が
とてもリアルで、鮮烈で
そして、とても切ない。


カランコエの花ことばは
“あなたを守る”

大切な人を守りたい思いが交錯する話だった。


本当に良い作品。
観終わってから、大切な人に感想を送りたくなるような。


タイミング合えば、もう一度観たい。



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まだ上映しているので
お時間合う方はぜひ。

アップリンク渋谷の上映スケジュールは
こちらから確認できます。


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写真は、上映後の舞台挨拶。
左から
永瀬千裕さん、山上綾加さん、中川駿監督。