ブラームスと私(ブラームス回想録集第3巻) | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

 

 

(内容)※音楽之友社より

『ブラームス回想録集』も、『ヨハネス・ブラームスの思い出』(第一巻)、『ブラームスは語る』(第二巻)に続くこの第三巻『ブラームスと私』で最終巻を迎え、いよいよ圧巻の「ブラームス・レッスン」を収録。

笑いと涙に満ちたオイゲーニエ(シューマンの娘)の回想録から、スタンフォード、ゴルトマルクという二人の作曲家によるブラームスの思い出、唯一の作曲の直弟子イェンナーが伝える貴重な作曲法まで、回想録集全3巻完結にふさわしい傑作ぞろいの決定版。

ブラームスを直接見たり、会った人たちが書いた見聞録は強い説得力をもって語りかけてくる。そこにブラームスがいて語っているかのようだ。

 

◆◇

 

ブラームスと言ったらシューマン、シューマンと言ったら妻クララ(天才ピアニスト)、クララと言ったらブラームス…

私の中でこの3人は三竦み(すくみ)ならぬ三位一体である。

そんな中、なんとオイゲーニエ(シューマン夫妻の娘)がブラームスについて書いている!

しかも母のクララにも触れている!

これは絶対に読まねば~(ゴシップ的に笑)

と光速で購入、光速で読み終わった。

 

ブラームス…かわいい。

(「いらすとや」って、ないものはないんじゃないかってくらいなんでもあるな笑)

 

 

想像以上に面白く、モネ先生(ピアノの先生)にオイゲーニエの回想部分を(仕事中に隠れてコソコソ)コピーして差し上げたくらいの面白さ。

…って本そのものを差し上げないんか~い!と思ったそこのあなた!

聞いて驚け、この本の定価3850円ですぞ。たっか〜い。

モネ先生は興味ないかもしれないのに一方的に差し上げるには恐縮されちゃうレベルの高さじゃん?

という言い訳。

何はともあれちょっとしたプレゼントにしてはさすがに高いしね!

という言い訳。

 

目次は以下のとおり。

 

シューマン一家とブラームス(オイゲーニエ・シューマン)
第一章 私たちとブラームス
第二章 母とブラームス
第三章 思い出をいくつか

 

第二章の「母とブラームス」に興味津々よ。(ゴシップ的に笑)

お下品あもちゃん、ゴシップ心まんまんの前のめりで読んだ。

 

クララとブラームスには何かしら関係があったのではないかと噂されること約1世紀半(?)。

今となっては真相は神のみぞ知るだが、夫シューマンはあんな(メンタルは病むわ、自●未遂はするわ)だし、妻子残して早くに亡くなるし、たくさんの子どもらと突然世の中に放り出されたクララの人生は苦労が絶えず(しかし天才ピアニストゆえ生活はなんとかなった。やはり何があっても仕事は続けねばならぬ…と思ったね。)、そんな人生のひとときに偉大なる作曲家ブラームスと、体だろうが心だろうが何かしらの関係があったとしても許されると思うの。少なくとも私は許すぞ。

 

そんな母クララとブラームスの関係を間近で見ていた娘の二人への印象は!?

実際読んでみた感想はズバリ!

うーん、グレー笑!

二人の関係を娘オイゲーニエは「友人」と表現していたし、実際に挙げられた二人の間のいくつかのエピソードも微笑ましいものも多く、確かに「友人」ではあったが、どことなく何かしらのものを感じていた印象。

それは音楽家としての同志的なものか、それとも肉体的なものか、はたまた異体同心とまでは言わなくてもプラトニックな恋心なのか分からないが、二人だけの見えない絆をオイゲーニエは感じていたように思う。

 

あと私がずっと抱いていたクララの印象が結構違った。

ややこしい旦那を持って、しかも子供は多ければ多いほどいいとかなんとか旦那が言うから、生活は苦しいのに子供作りまくり(8人(うち一人は夭折))で育児しながら、家事育児演奏活動&旦那の世話を献身的にやっていた淑やかな女性〜

と思っていたのだが、確かにそれは事実なのだが、ただおとなしいお嬢様なんかじゃなく、旦那シューマンと離婚寸前かというほど音楽談義に燃え、ワーグナーの音楽に辛辣だったり、音楽家としてものすご〜〜〜〜〜く熱い人であったことに驚いた。

ああこの人もちょっと頭オカシイ人なんだ、と。

(←常々あもちゃんは「音楽やってる人は頭オカシイ、ただし私を除く」と言っております)

 

↓wikiより

>ロベルト・シューマンとは8人の子供を儲けた。1840年代はひっきりなしに妊娠しながら、ヨーロッパを回って演奏会を行っており、大変なハードスケジュールであったことが日記に残されている。

 

「ひっきりなしに妊娠」というパワーワードよ笑

 

家事育児に時間を取られてピアノに力を入れづらかった時期、旦那のシューマンから深くアナリーゼ(楽曲分析)などを学んだりしたらしい。

ピアノから離れていてもいつも音楽のお勉強。

 

ブラームスがクララにイタズラをする話は、最初わかりづらっっ!と思ったのだが最後まで読むとブラームスが何をしたかったかわかります。

訳文が悪いのか、表現の仕方が悪いのか、ここだけじゃなく全体的にややこしい表現が多く、こちら側が前向きに理解していかないとわかりにくい部分が多い。

ちなみにブラームスのイタズラと言いますのは、クララの子供時代から愛用している五線譜(クララの名前入り)を何枚か勝手に持ち出して、そこにブラームス自身が作曲したばかりの曲を書き付け

「少女時代に作った曲なんじゃないかい?覚えてないの?」

とクララに聞く、といったもの。(※クララは作曲もする。しかも素晴らしい曲。天才かよ。)

クララはその曲を見るなり

「これは素晴らしい曲ね。お父様の(シューマンのこと)匂いもするけれど、ブラームスさんの傾向が強い。とにかく私が作ったものではないわ」

と冷静に答えたとのことです。イタズラは失敗に終わった、というお話であった。

 

音楽家のするイタズラって高度すぎてわからんわ笑

(この時ブラームスが書いた曲はオイゲーニエによると、おそらく「ピアノ小品集Op76」ではないか、とのこと。)

 

それはともかくブラームスとクララの関係の記述よりも1億倍面白かったのは、ブラームスがピアノの練習方法についてオイゲーニエに詳細にレッスンしているところ。

そのレッスン内容はすごく具体的で細かく興味深い。

 

9ページ

「優しく我慢強く、私の能力と進歩の程度に合わせてくれた。彼が重点を置くのは指練習である。(略)ブラームスは指練習やテクニック全般を、母よりもずっと大切に考え、音階(スケール)、分散和音(アルペジオ)はもちろんのこと、練習曲を沢山弾かせた。レッスンでは親指の訓練が中心で、思い起こせば自身の演奏でも、そこに細心の注意が払われていた。(略)」

 

親指って扱いがすごく難しいんだよね。日々私も感じるし、今でもよく言われる話である。

そもそも他の指と生え方が違うんだもの、そら難しいわ。それをブラームスも感じていたんだなあ。

 

またバッハについては割とページ数を割いて説明していて興味深かった。

 

12〜14ページ

「バッハを勉強するとき、ブラームスが重きをおいたのは、リズムである。その指導は私の中で息づき、音楽生活をする間中、成長を続けているようだった。微妙なリズムの動きを感じるようになったのである。(略)

 シンコペーションは、意味合いを考えてはっきりと響かせると、他の声部との間に不協和音が生まれる。ブラームスは、そこで醸し出された和音をじっくりと聴かせた。掛留音にも同じような見方をさせたが、彼が満足するような演奏など、できるものではなかった。レッスンで一番楽しかったのは<フランス組曲>だ。この曲集を、先ほどのような方法で演奏すると、見事に響く。ブラームスはそれまで気づかなかったことを気づかせてくれたのだ。もう二度と見過ごすことはないだろう。

 バッハの作品ならば、時に応じて音が切れないように重く弾くこと(ポルタメント奏法)は是としたが、スタッカートは絶対にだめだと言われた。

 「スタッカートでバッハを弾いちゃいけない」

 「でもママはよく、スタッカートで弾いている」と口答えすると、

 「お母さんの若いころは、バッハをスタッカートで弾くのが流行していた。でもお母さんだってそんな弾き方をするのは、決まった箇所だけだよ」(略)」

 

令和の時代もバッハをどう弾くかというのはよく議論になる。それがブラームスの時代もだったとは。そうやって時代は繰り返していくのだなあ。

 

↓ハイドンのソナタ全楽章の演奏で無理難題をふっかけられるお話(笑)

 

 

>ハイドンのソナタ62番って面白くて、古典派なんだけどちょっとモダンで、でもやっぱりバロック的な箇所も出てくるんですよ。で、私はあ〜バッハっぽい〜ってザクザク無機質に弾いたら、先生に無機質に弾こうっていう意識はわかるんだけど、無機質すぎるし、曲の方向性が見えなくなるって。あまりメッタぎりにしないで。でも音は絶対につなげないで。って言われて。次のレッスンまでの間、そこをどう演奏しようか悩み続けましたよ。

>ザクザク弾くな、でもつなげるな、ってどないせえ言うんじゃ〜。

そして小節線やら音形の意識を超えて、青い波を1つのブロックと考えて弾けとな。

 

 

モネ先生が言っていることとブラームスが言ってたこと、なんか同じかも知んない。

と今思ったのであった。

 

このシューマン夫妻の娘オイゲーニエだが、最終的にはピアノ教師となる。

クララとブラームスからピアノを教えてもらってピアノ教師になるとか、羨ましい環境。

だが、やはりほら凡人からすると(って周りが天才すぎるだけでオイゲーニエも十分ピアノ上手いんですよ!多分。)、常時天才たちに囲まれている環境って苦しいよね。

そもそもこのエッセイの始まり方も切なかった。

 

「1872年の春のこと、「この夏、ブラームスさんにレッスンを頼みますからね」と母に申し渡された。新しい先生に影響されれば私も新鮮な気持ちになって、やる気を出すと考えたのだろう。とても悲しかった。ママは満足していないのだ。できるだけのことはしているのにーーそして何より、ママのために勉強するのがいちばん好きだったのに。」

 

つ…つらい。

切なすぎるーーーーー!!!!

 

切ない書き出しで始まった、このブラームスについてのエッセイの最後は、胸が締め付けられるような寂しい事実が綴られ、それでいてとても温かな描写で締められる。

うーん、オイゲーニエは音楽の才能はご両親からあまり遺伝しなかったのかもしれないが、文才はお父上の血を強く受け継いだのかもしれない。(※シューマンは文学にも通じていた。)

 

正直この本はあまり期待せず読んだのだが、思いのほか面白く、今回はシューマンの娘さんのエッセイだけ取り上げたが他の方からみた「ブラームス」像も色々と面白かった。

やっぱり音楽やっている人は〜〜〜〜〜〜〜略!