マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法 | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

 

 

 

(内容)※Amazonより

本書は世界的なピアニスト、マルタ・アルゲリッチについての、おそらく世界初の伝記である。
アルゲリッチ本人に密着取材し、彼女の生地ブエノス・アイレスにおける子ども時代から、彼女の受けたピアノ教育、グルダ、ミケランジェリ、ホロヴィッツ、ポゴレリッチら個性的な名ピアニストとの出会い、1965年ショパン・コンクールでのセンセーショナルな優勝、3度の結婚生活と、父親の違う3人の娘のこと、闘病生活、日本のこと(別府音楽祭)などが非常にオープンに綴られていく。

類い希な才能を持ちながら、人前で弾くことを苦にするあまり、コンサートをキャンセルしてしまうことも多かったアルゲリッチ。
そのさえ渡るピアノの蔭にあった苦悩のひとつひとつが浮き彫りになり、いまや大巨匠の位置にあるピアニストのあたたかな人間性が胸に迫ってくる一冊である。

 

 

※内容に触れる部分があります。

 

◇◆

 

マルタ・アルゲリッチと言えば、泣く子も黙る「鍵盤の女王」である。

簡単に言えば、天才ピアニスト、である。

若い頃はキャンセル魔としても知られ(時代だね〜笑)、ピアニストとしての彼女の演奏や彼女の音色、そして特色等はよく知っていても(そして愛していても)、彼女の私生活やら性格やらを全く知らない私からすると「気難しいお方」という印象である。

だって、まず顔がこわい(笑)

舞台に登場する時の顔がこわいんだわ。

めっちゃ怒ってるやん。

・・からのショパンのピアノ協奏曲第1番の音色はとにかくすばらしかった。

演奏中、時折微笑んでたりなんかして、私と目があったりなんかして(私の思い込み)、幸せであった。

→『マルタ・アルゲリッチセレブレーション2010』(10年も前だ〜)

しかしこの本の表紙の写真(若かりし頃)を見るととっても美しい方なんだなあ。と思う。

女優さんみたいだ。

 

そんな謎に包まれた彼女のプライベートが赤裸裸に語られている(彼女本人はあまり語っておらず、周囲の友人や知人を取材してアルゲリッチの人となりやエピソードが綴られている、らしい)。

 

彼女の幼少期のエピソードを読むと、正直ピアノを多少弾くものとしては絶望を感じるとともに(笑)、やっぱり天才は生まれたときから天才なんだなあ、と思うわけであります。

 

彼女、ピアノを習っていたわけでもなく、幼稚園だかの同級生の男子から

「お前、ピアノなんて弾けないだろ」

とかケンカを売られて、負けず嫌いの彼女が

「ピアノくらい弾けるわよ!」

と言い返し、見よう見まねでピアノを弾きますれば、大層美しく大層上手に演奏したそうで。

 

・・・こりゃかなわん(笑)

そもそも比べる対象にもならん。

 

そんな娘の天才ぶりに彼女の母は熱狂した。

これがヒッジョーに重くて圧がすごい。

宮沢りえちゃんのステージママの存在感の1000倍は暑苦しい。

アルゲリッチもそんな母をうっとうしく思うも、結局母なしには生きられなくて(色々勝手に決めてきてたいてい言うとおりにする、しないときもあるが、結局母に屈服)、読んでいるこちらがちょっと・・かなり苦しかった。

にげてーーー!アルゲリッチ、にげてー!!!とずっと思っていた。

 

当然順番からいくと母親が先に亡くなるので、そんな母が亡くなった際、友人であるギドン・クレーメル(これまた天才バイオリニスト)が

「母親が亡くなったことで、彼女は子供っぽい面がようやくなくなるよ」

と言ったとか。

母が娘に対する影響がいかに大きいか、周りもよくわかっていたらしい。

とはいえ、母が娘のためになしたことはとても大きく、天才の娘をさらに磨いていくべくアルゼンチンからヨーロッパに移住する際も積極的に行動し(大統領にかけあって大統領の権限でアルゲリッチの父親を大使館勤務にさせてヨーロッパに家族全員で移住させる、というアクロバティックな対応を引きだす)、コンクールに出場させたり、あれやこれや・・

しかし娘の結婚や出産に関してはなかなか否定的で、娘の邪魔(ピアノ人生の邪魔)をするものは孫とて許さん、みたいなこわい婆さんでもあった。

とにかく娘第一、で、アルゲリッチの弟さんはとても淋しい思いをしていたそう。そらそうだ。

娘しか目に入ってないんだもの。

弟さんがまだ小さいとき、母親の気をひきたくて

「僕もピアノが弾けるよ」

と演奏したが(年齢と曲目を考えると、とても上手だったんだと思われる。)、そりゃ姉が天才ですから、母の目には凡人にしかうつらないわけであります・・・

天才の身内に生まれた悲哀・・・。せめて母親が平等であればなあ・・

 

結局、弟含め家族の崩危機を感じた父親が、ヨーロッパにはいられない、アルゼンチンに帰ろう、と提案するも、母親は娘にとってヨーロッパにいなくてはいけない、と断固拒否。

離婚することになりました〜。ま、そうなりますわな。

父親は弟を連れて祖国アルゼンチンに戻っている。

 

今も精力的に演奏活動している彼女しかしらないので(コロナ禍の今はともかく)、癌をわずらっていて何度か大手術を行っていたということは全く知らず、この記述にはかなり驚いた。

 

(以下、引用)

「手術の前日、マルタは不安を2人の医師に訴えた。胸郭までの切開にあたってモートン(※医師の名前)は電気メスを使うので、筋肉の一部を切ることになり、場合によっては側面までダメージを受ける可能性もあった。ピアニストは演奏するために全身を使う。そのことをマルタは医師たちに指摘した。恩師のスカラムッツァによる解剖学の素描が記憶によみがえっていた。ドナルド・モートンとデヴィッド・ダヴティアン(2人の医師)は『作動中』の状態を詳細に調べてみたいので、マルタにテーブルの縁で演奏のシミュレーションをしてみてくれと頼んだ。2人は広背筋が重要な役割を果たしていることに気づいた。(略)」(254〜255頁)

(引用終わり)

 

このとき1996年。

今から20年以上も前だが当時の最先端医療を受けたんだろうなあ・・

天才ピアニストの手術ともなれば、もう世界の至宝にメスを入れるようなもの。

私が医者なら震えちゃうわ・・。

 

ところでピアノは全身を使う、という表現があるが、それはそのとおりでしかも背中が大事というのは今はわりと常識であると思う。

実際、私も背中、そして全身を意識して演奏するようモネ先生にたびたび言われております。

 

ちなみにこの大手術の際、付き添ったのが日本人ピアニストの海老彰子さんだそうです。

マルタの母が海老さんの才能を非常に高く評価し、あれこれよくしてくれたそうで、海老さんもマルタの母に大変恩義を感じていたそう、そして夢でマルタの母から

「娘の世話をしてちょうだい」

と言われたように思って、マルタに献身的に尽くしたそう。

 

全体的にこの本はあちこち話しが飛びまくっているわけだが、マルタはとにかく気性は激しいわ、寂しがりやだわ、甘えん坊だわ、わがままだわ、でもとっても人懐っこい一面もあるわ、で、私の知らない彼女の側面というものもたくさんあったが、最初に抱いていた「気難しい」という印象は最初から最後まで覆らなかった。

なんだかんだ言っても、やはり芸術家なんだなあ、という姿がそこにはあった。

 

マルタのつらいところは、ピアノを弾くのも人の演奏を聞くのも好きなんだけど、人前で弾くのが嫌い、というところである。

これがキャンセル魔となった一因でもあるのだが、人前で弾くのが怖いのだそうだ。

幼い頃は、幼なじみにステージ下にいてもらって、ずっと声かけしてもらっていたんだそう。

顔なじみがいる、というだけで安心していたとか。

しかし演奏中に・・・ヒソヒソ・・マルタ〜私がいるよ〜とか・・こりゃ大変だ。友人が(笑)

 

そんな感じではあるが、マルタは来る人拒まずで、雑に表現しちゃうと「ヒッピー」みたいな人。マルタの家には日々いろいろな人が出入りしていて、それを苦にしないのである。

1人でいるより、気に入らない人でも一緒にいたほうがいい、と言っちゃう人、それがマルタ。

・・・うーん、私は彼女と仲良くなれる気がしないわ〜(笑)

 

しかししかし!

ブラームスにピンとこないというマルタ。シューマンが大好きなマルタ。

私もーーーー!

と共感しながら読んでいたのであった。

以上の2点が共通点です。

 

そんな気分屋マルタは、一番両極にありそうな「日本」が大好きなんだそう。

エヘヘ。となぜか私が照れる。

もってまわった言い回しをする距離感が好きなんだそうです。

へー。誰かと一緒にいたいのに、一定の距離感がほしいって不思議。

 

(以下、引用)

「三島由紀夫の国の神秘、その祭式、洗練に彼女は魅せられている。西洋ブルジョワのしきたりにはいらだちながらも、島国日本で先祖伝来の法には喜んで従う。日本人の性質には心を奪われる。彼女は日本人のことを知的で鋭敏だと思い、何より彼らの婉曲な表現の流儀を好んでいる。日本人の話術に対しては、つねに暗号解読にような解釈が必要だ。マルタは日本人たちが入念にヴェールでぼかした言葉の裏を読み解くことができる自分を嬉しく、そしておそらくは誇らしく思っている。

(略)

日本でなら、気分屋であろうが、矛盾やパラドクスを抱えていようとも、マルタは自分が愛されているという自信が持てる。すぐにくよくよし、人から寝たまわれないよう気を使う彼女にとって、日本人の距離感や配慮はありがたいことなのだ。」(262〜263頁)

(引用終わり)

 

なるほどなるほど、と鼻高々で(なぜ笑!?)読んでいたのだが、突然出てくる三島由紀夫に焦る私。

アルゲリッチが三島由紀夫の作品が好きだったのか、作品だか生き方だかに影響された、とかなのか、なのだろうが、アルゲリッチにとって三島由紀夫がなんだったのか、それがち〜っとも書かれていない。ううーん、知りたいがもう知ることはできないだろうな。

アルゲリッチ、自分のことを語るのが好きじゃないらしいんじゃ・・・

 

ところで『マルタ・アルゲリッチセレブレーション2010』で私がナニゲに書いていた箇所を引用したい。

 

「あと、アルゲリッチって意外と気遣いの人なんだなあ、と一人で感心していた私。
 ほら、日本人って、いいよ、っていうまでアンコールするじゃない?
 いつになったら帰れるんだろう?とか思っても、とりあえず拍手するじゃない?
 彼女はそういう日本人の特性を知っているのだろう。
 アンコールはこれでおしまいよ、ということをコンマスにコソコソと告げたのであろう、アルゲリッチが袖に下がった後、コンマスも立ち上がり、お辞儀をし、オーケストラみんなで舞台袖に下がって行った。
でお開き。
 とても印象深い、感傷的な夜を過ごした私なのであった。」

 

日本人の性質をよく知っているからこそ、そして愛していてくれるからこその行動だったのでありましょうなあ。と思いたい。

 

そしてどれだけ日本のことを愛しているか、といえば、やはり別府音楽祭であります。

アルゲリッチの名を冠している音楽祭が、我が日本で存在していること、それは世界に誇るべき名誉だと思うの。

一度は行ってみたいと思っていて、チケット争奪戦を勝ち抜き、去年行ってまいりました!

ベスト・オブ・ベストシリーズVol.7 オーケストラ・コンサート〜第21回別府アルゲリッチ音楽祭

 

今思うと、行っててよかったなあ。

新コロで今後、どうなるかわからないもんな・・アルゲリッチにだって二度と会えないかもしれない。

 

どれだけ彼女の日本への思いが強いかという表記は別にもある。

(以下、引用)

「このアルゼンチンのピアニスト(※マルタのこと)は即興で物事に向きあうということ以外、何もかも嫌いなことだらけなのだが、こと日本に関わることとなると、打って変わって従順になる。ふだんは褒賞など気にもとめず、勲章も鼻で笑う彼女が、2005年に日本美術協会によって高松宮殿下記念世界文化賞を授与されたとき、さらに同じ年に旭日小綬賞を日本国天皇の手から贈られたときは、感極まっていた。クレムリン、ホワイトハウス、エリゼ宮から受勲のための招待打診があっても、応じたことはなかったのだ。なのにその翌年の別府音楽祭で、72歳の皇后(当時の美智子皇后)と連弾したときには、晴れがましい様子であった。」(262頁)

(引用終わり)

 

どうでもいいけど、美智子皇后(当時)、アルゲリッチと連弾できるレベルのピアノの腕前であることに驚く。

上手い上手いとは聞いていたし、実際の演奏もちょっとだけ聞いたことあるのでそのうまさは知っていたが、ここまでとは。

私、アルゲリッチと連弾しろ、って言われたら、手が震える・・というか、一年以上も前から死ぬ程練習するに違いない。そして本番大失敗、と(笑)

 

日本生命 presents オーケストラ・コンサート〜アルゲリッチ Meets プロコフィエフ

 

ここでも美智子皇后(当時)がいらっしゃっていたものね。

身分や国籍は違えども、音楽やピアノがその仲を繋いでいるのかもしれん。

 

マルタのピアニストとしてのエピソードも多数書かれていて、たとえば〜

暗譜は生まれてこのかた、苦労したことがないんだそうですよ。

楽譜を見たら、すぐに覚えられるんだそうな。

う・・うらやましい。

私、もはや暗譜そのものを放棄してますからね。

 

あとは指のための練習曲というものは全く弾かず、演奏する曲そのものの練習もあまりしないらしいのだが(夜型なので真夜中に練習したりするそうです)、曲を練習するとなると、蝸牛が這うようなスピードで1粒1粒音をデザインしながら練習するらしく、その姿は圧巻だそう。

ううーん、聞いてみたい!

 

そしてマルタは何度も結婚離婚を繰り返していて、恋多き女なのかと思いきや、あまりそういう印象は受けなかった。自分でも女性という性は自分の中にない、と言っていて、人間としてのおつきあいの延長上に結婚、妊娠、出産があるというイメージか。

あの有名なシャルル・デュトワとの結婚、離婚の大騒動(日本でのコンサートキャンセルという大事件にもつながる)もあけすけに書かれておりました。・・書き過ぎなのでは・・(汗)とこちらが心配になるレベルで。

 

そしてマルタはそれぞれ父親の違う娘3人を産んでいるのだが、なんというかマルタは母としてはあまりいい母ではないな、という感じ。しかし娘さんらがとにかく賢いので、いい家族関係を築いている。

女性という性もないが、母性という性もあまりないようである。

まあ、天才ってそういうもんなんでしょうね。よくわかんないけど。

ピアノしかない人生だったんだもの。

いやいや、そういうと語弊があるが、極端にいうと好むと好まざるとにかかわらずピアノとともに歩んだ人生だった。

たくさんの国を渡り歩いただけあって、語学は大層すばらしいらしい。耳もいいんでしょうからね。何カ国語も話せるようです。英語スペイン語フランス語ロシア語はもちろん、他にも話せそう。

 

等々、色々な彼女のエピソードがあちこちにちりばめられていて、1つ1つ読んでいくだけでもう大変だった。

何が大変ってね!

彼女の変わった生態やら天才エピソードがいちいち大変っていうわけではなく、この本を書いたオリヴィエさんと私の相性が悪いのか、翻訳が悪いのか、も〜とにかく読みづらいっ!!!!

時系列が無茶苦茶だし、今誰の話してる!?と困惑させるような表現でだいぶ前に出て来た人物がまた突然出て来たり、登場人物がめちゃくちゃ多いし(出てくる人物出てくる人物が超絶一流の人ばかり・・)、早く色々知りたいのに、それをこの本自身が阻む〜。

 

という状態で、長々と読み進めて、ようやく読み終えました・・・。

天才エピソードもたくさんある上に、こんな状態ですけえ、すっげー疲れた。

 

でも終盤に綴られていたお金のトラブルはちょっと悲しい話であった。

祖国アルゼンチンでのアルゲリッチ音楽祭をめぐるお金のトラブルがね〜。

ここにあの最強に暑苦しい母親がいてくれたら、強引に仕切ってくれてここまでのトラブルに発展しなかったんじゃないかって思ったりもする。

 

この本を読んだら、マルタの演奏に対する気持ちに変化があったりして・・とこわい気持ちもあったのだが、この本を読んでもマルタの演奏は変わらず私の中で光り輝いていた。

どんなに人間性が気難しくて、愛らしいところがある一方で気分屋さんで、KYで、神経質でも、超一流の作品には傷一つ入らないことがまた証明された。

(また、というのは、私の愛する大谷崎こと谷崎潤一郎の人間性はとんでもないがその作品は超一流、ということで証明済みということです(笑))

 

 

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