平成22年11月28日(日)、
「マルタ・アルゲリッチセレブレーション2010」(inすみだトリフォニーホール)を
聴きに行く。
マルタ・アルゲリッチの演奏が東京で聞けるなんて、そんなチャンスは滅多にない。
今聴かずしていつ聴くんだ、と意気込んでチケットを購入した私。
ここでケチっちゃ、女が廃る、と
おこづかいを全投入し、がんばってS席を買った。
そして誰も見ちゃいないが、史上最大のおしゃれをして出かけたのであった。
一人で。 ←どうせ寝るだけの夫の分なんて買うだけ無駄。
で。
チケットの席番号を見ながら辿り着いた私のS席←強調!
すっげー場所にあって少々驚いた。
一番前の一番はしっこ!
見づらっっっ!
聞きづらっっっ!
それでもあえてよかったこと、と言えば、
そのはしっこがピアノの響板側だった、ってことだろうか。
(それでも音の聞こえ方に多少の違和感あり。あと数席後ろだったらよかったのに~。)
マルタアルゲリッチが顔をあげるたびに、前を向くから、
私とよく目があったわ~・・・・←思いこみ?
♪
出演
マルタ・アルゲリッチ[ピアノ]
クリスティアン・アルミンク[指揮]
新日本フィルハーモニー交響楽団[管弦楽]
曲目
ショパン/ピアノ協奏曲第1番 ホ短調
ベルリオーズ/序曲≪ローマの謝肉祭≫
ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調
マルタアルゲリッチという一流のピアニストを迎えた、
新日本フィルのど緊張したショパンの出だしの音色に、
聞いてる私までもが緊張してしまった。
そしてマルタアルゲリッチのピアノが入る。
し・・・・ん。
思わずためいきをもらしそうになる私。
こんなに悲しいショパンを弾く人がこの世にいたなんて知らなかった。
私の心が悲しかったから、余計に私の心に響くのだろうか。
マルタアルゲリッチの音色は、私の心のずっとずーっと奥の方にまで届いた。
そして心の部屋の奥にまでやってきた音は、
部屋のあらゆる棚に、そうっと音を置いて出て行った。
アルゲリッチの演奏(ショパン第二楽章とラヴェル第二楽章)は、
その繰り返しであった。
悲しさは二倍に、淋しさは三倍に、切なさは四倍に。
寄せては返す波のような、そんな音楽。
マルタアルゲリッチの印象が、この日、ガラリと音を立てて変わった。
今までの印象は、情熱!激情!激昂!そういう印象。
けれども、この日は全く違った。
均整のとれた、美しい曲作り。
正直、かつての激しさや強さやわがままさや強引さはなくなった。
もう御年60を超えてるのだから当然といえば当然なのかもしれない。
しかし、だからこそ出せる音、というのがそこにはあった。
とにかく美しかった。
しかもとても楽しそうに弾くの。
私はこれが大好きなのだ。
楽しくなきゃ、音楽じゃ無い。
らんらん♪とかそういう楽しさじゃなく、とにかく私には音楽しかない、という楽しさ。
彼女は本当に楽しそうに弾いていた。
ピアノが弾ける喜びに満ちていた。
微笑んでいた。
私と目があった。←気がする。
また微笑む。
私も微笑む。
彼女のやさしい音を、私は微笑みで返すのだ。
今月のおこづかいがすっからかんになるほどの値段ではあったが、
それ以上に、堪能させていただきました。
アンコールは
ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調より第3楽章
ショパン/マズルカ第15番 ハ長調 作品24-2
の二曲。
ショパンのマズルカ、最高であった。
久々、彼女のソロを聞いた。
そしてやはり切なかった。
彼女の弾くピアノから出る音そのものが泣くのだ。
しくしく。
しくしく。
すすり泣く。
こんなに切なくなったコンサートも、後にも先にもこれが最後なのかもしれない。
私、本音を申しますと、ショパンがあまり好きじゃない。
いいと思うのだが、要するに相性が悪いのだ。
しかし、今回、彼女が弾くショパンを聞いて、
ショパンの魅力もわかる気がしたのであった。
(ま、だからってピアノソナタ以外を弾く気にはなれないんだけど。)
(おまけ)
それにしてもやはり一流のピアニストが来ると、音って締まるんだなあ。
楽団員全体の高揚感が違う。
彼女に置いて行かれないようにしなければ。
彼女のために、彼女の演奏を楽しみにくる観客のために、
一番いい音をだしてあげなければ。
そんな緊張感と締まり具合がそこにはあった。
こんなにうまかったっけ?というくらいの、キリリとした音。
心と音ってこんなにもつながっているものなのだろうか。
毎日ピアノを弾いていた頃は気づかなかったけど、
日々、私の心に合わせて私の音色も変化していたのだろうか。
等々、いろいろと考えられたコンサートであった。
あと、アルゲリッチって意外と気遣いの人なんだなあ、
と一人で感心していた私。
ほら、日本人って、いいよ、っていうまでアンコールするじゃない?
いつになったら帰れるんだろう?とか思っても、
とりあえず拍手するじゃない?
彼女はそういう日本人の特性を知っているのだろう。
アンコールはこれでおしまいよ、ということを
コンマスにコソコソと告げたのであろう、
アルゲリッチが袖に下がった後、
コンマスも立ち上がり、お辞儀をし、オーケストラみんなで舞台袖に下がって行った。
でお開き。
とても印象深い、感傷的な夜を過ごした私なのであった。
「マルタ・アルゲリッチセレブレーション2010」(inすみだトリフォニーホール)を
聴きに行く。
マルタ・アルゲリッチの演奏が東京で聞けるなんて、そんなチャンスは滅多にない。
今聴かずしていつ聴くんだ、と意気込んでチケットを購入した私。
ここでケチっちゃ、女が廃る、と
おこづかいを全投入し、がんばってS席を買った。
そして誰も見ちゃいないが、史上最大のおしゃれをして出かけたのであった。
一人で。 ←どうせ寝るだけの夫の分なんて買うだけ無駄。
で。
チケットの席番号を見ながら辿り着いた私のS席←強調!
すっげー場所にあって少々驚いた。
一番前の一番はしっこ!
見づらっっっ!
聞きづらっっっ!
それでもあえてよかったこと、と言えば、
そのはしっこがピアノの響板側だった、ってことだろうか。
(それでも音の聞こえ方に多少の違和感あり。あと数席後ろだったらよかったのに~。)
マルタアルゲリッチが顔をあげるたびに、前を向くから、
私とよく目があったわ~・・・・←思いこみ?
♪
出演
マルタ・アルゲリッチ[ピアノ]
クリスティアン・アルミンク[指揮]
新日本フィルハーモニー交響楽団[管弦楽]
曲目
ショパン/ピアノ協奏曲第1番 ホ短調
ベルリオーズ/序曲≪ローマの謝肉祭≫
ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調
マルタアルゲリッチという一流のピアニストを迎えた、
新日本フィルのど緊張したショパンの出だしの音色に、
聞いてる私までもが緊張してしまった。
そしてマルタアルゲリッチのピアノが入る。
し・・・・ん。
思わずためいきをもらしそうになる私。
こんなに悲しいショパンを弾く人がこの世にいたなんて知らなかった。
私の心が悲しかったから、余計に私の心に響くのだろうか。
マルタアルゲリッチの音色は、私の心のずっとずーっと奥の方にまで届いた。
そして心の部屋の奥にまでやってきた音は、
部屋のあらゆる棚に、そうっと音を置いて出て行った。
アルゲリッチの演奏(ショパン第二楽章とラヴェル第二楽章)は、
その繰り返しであった。
悲しさは二倍に、淋しさは三倍に、切なさは四倍に。
寄せては返す波のような、そんな音楽。
マルタアルゲリッチの印象が、この日、ガラリと音を立てて変わった。
今までの印象は、情熱!激情!激昂!そういう印象。
けれども、この日は全く違った。
均整のとれた、美しい曲作り。
正直、かつての激しさや強さやわがままさや強引さはなくなった。
もう御年60を超えてるのだから当然といえば当然なのかもしれない。
しかし、だからこそ出せる音、というのがそこにはあった。
とにかく美しかった。
しかもとても楽しそうに弾くの。
私はこれが大好きなのだ。
楽しくなきゃ、音楽じゃ無い。
らんらん♪とかそういう楽しさじゃなく、とにかく私には音楽しかない、という楽しさ。
彼女は本当に楽しそうに弾いていた。
ピアノが弾ける喜びに満ちていた。
微笑んでいた。
私と目があった。←気がする。
また微笑む。
私も微笑む。
彼女のやさしい音を、私は微笑みで返すのだ。
今月のおこづかいがすっからかんになるほどの値段ではあったが、
それ以上に、堪能させていただきました。
アンコールは
ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調より第3楽章
ショパン/マズルカ第15番 ハ長調 作品24-2
の二曲。
ショパンのマズルカ、最高であった。
久々、彼女のソロを聞いた。
そしてやはり切なかった。
彼女の弾くピアノから出る音そのものが泣くのだ。
しくしく。
しくしく。
すすり泣く。
こんなに切なくなったコンサートも、後にも先にもこれが最後なのかもしれない。
私、本音を申しますと、ショパンがあまり好きじゃない。
いいと思うのだが、要するに相性が悪いのだ。
しかし、今回、彼女が弾くショパンを聞いて、
ショパンの魅力もわかる気がしたのであった。
(ま、だからってピアノソナタ以外を弾く気にはなれないんだけど。)
(おまけ)
それにしてもやはり一流のピアニストが来ると、音って締まるんだなあ。
楽団員全体の高揚感が違う。
彼女に置いて行かれないようにしなければ。
彼女のために、彼女の演奏を楽しみにくる観客のために、
一番いい音をだしてあげなければ。
そんな緊張感と締まり具合がそこにはあった。
こんなにうまかったっけ?というくらいの、キリリとした音。
心と音ってこんなにもつながっているものなのだろうか。
毎日ピアノを弾いていた頃は気づかなかったけど、
日々、私の心に合わせて私の音色も変化していたのだろうか。
等々、いろいろと考えられたコンサートであった。
あと、アルゲリッチって意外と気遣いの人なんだなあ、
と一人で感心していた私。
ほら、日本人って、いいよ、っていうまでアンコールするじゃない?
いつになったら帰れるんだろう?とか思っても、
とりあえず拍手するじゃない?
彼女はそういう日本人の特性を知っているのだろう。
アンコールはこれでおしまいよ、ということを
コンマスにコソコソと告げたのであろう、
アルゲリッチが袖に下がった後、
コンマスも立ち上がり、お辞儀をし、オーケストラみんなで舞台袖に下がって行った。
でお開き。
とても印象深い、感傷的な夜を過ごした私なのであった。