春は名のみの風の寒さや。 | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

大学時代に仲良くしていた友人たちのうち、数人かが結婚だの就職だので上京している。

(ちなみに就職での上京は私。まるで出稼ぎである(笑))

 

このたびご主人の転勤で関東圏に上陸してきた友人を含めて、上京組で会うことになった。

初上陸の友人は十数年ぶりに会う。

お互い姿形が変わってわからなかったらどうしよう・・

とドキドキしたが、一目見てお互いすぐわかった。

お互い十数年の年月の経過はあるものの(シワとかシミとかシワとかシミとか笑)、案外わかるものである。

みな、元気そうでよかったです〜。

 

友人たちの許可は得てないので(というかブログやってることは言ってない!)、私だけ。

先日、目に鉛筆を入れる、という技術を覚えたので、早起きして頑張って目を描きました!

 →参考記事『どんだけー!

 

早速、この写真を後輩ともとも(美容に詳しい)に見せましたらば、

 

「目元が締まってて、いつもよりかわいいです!」←おべっか上手。

 

と及第点の言葉をいただいた。

早起きして恐怖と戦いながら鉛筆をプルプルさせてよかったっす〜。

毎度力作を披露できないのが残念ですじゃ(笑)

 

ちなみに我ら友人たちで繰り広げられた会話は大学時代の話はほとんどなく(加齢により覚えてない笑)、育児(私は関係ないけど甥&姪で得た知識を引っ張り出しました!)、老後、親の介護・・の話で盛り上がりました。

 

お互い年をとりましたな。

 

◇◆

 

どうせ近くまで来たのだから・・と上野公園を散策することに。

 

ソメイヨシノは咲いていなかったが、他の桜が咲いていた。

 

友人1「見て見て!正岡子規記念球場だって〜」

友人2「なんで正岡子規!?」

私「『野球』って名付けたからじゃない!?」

友人1&2「なるほど〜」

私「あ、でも、ほんとかどうか知らんよ!」

 

 

で、今、WIkiで調べましたらば・・・

 

「ベースボール」を、初めて「野球」と日本語に訳したのは、第一高等中学校の野球部員であった中馬庚である。

明治期の俳人で、1889年(明治22年)に喀血してやめるまで捕手として好んで野球をプレイした正岡子規が翻訳したという俗説があるが、子規が自らの幼名である「升(のぼる)」にちなんで「野球(のぼーる)」という雅号を用いていたことが誤解されたものと考えられている。

ただし、子規が現在にまで残る野球用語を数多く翻訳したのも事実であり、2002年にはその功績によって野球殿堂入りを果たした。

 

 

野球には貢献した人だったけど、「野球」って訳したのは正岡子規じゃなかったわ・・

嘘ついてゴメンよ、友人たち。

 

 

パンダのポスト!!

 

私「消印もここで出したら、パンダの消印が貰えるんだって〜」

 

というわけで、もし上野公園に行くことがあれば、ぜひこちらのポストで投函を!

私も今度絶対投函した〜い。

 

上野公園内になぜか東照宮。

 

私「東照宮って日光だけじゃないんだねえ。全然知らなかった〜。」

友人1「というか、上野公園の中ってたくさん寺だの稲荷だのがあるんだね」

 

私「今年、そういや初詣行ってないや」

友人2「あもちゃん、今年喪中だったもんね。」

私「う・・うん。」

 

ま、喪中だったから初詣に行ってないわけではないんです・・ただめんどくさかっただけ。

 

私「せっかくだからおみくじ、ひいてみよーっと。」

 

 

私「きぇーーー!大吉ーーーー>< 初めてかも〜。」

友人1&2「・・おめでとさん」

 

私「どれどれ恋愛は・・」

友人1「もう既婚者なんだし、恋愛はいいのでは・・」

友人2「相変わらず恋多き女だねえ・・」

 

呆れる友人たちを横目に、「恋愛」に熱視線を送りますれば〜

 

私「恋愛・・一線を超えるな!だって〜。今流行りの一線は超えてません、ってか。」

友人2「せいぜい文春砲に狙われないようにしたまえ。」

 

上野公園内をくだらない話をしながら巡っていると、急に風が冷たくなってきた。

 

3人「なんか急に寒くない?」

3人「朝が暖かかったから、薄着なんだけど。」

3人「風邪ひいちゃう。」

3人「そろそろかえろっか。」

3人「じゃ、また近いうちに会おうね〜」

 

というわけで、冷たい風におばちゃんたちは尻尾を巻いて退散したのであった。

 

春は名のみの風の寒さや。

 

『早春賦』

 

春を愛するあもちゃん、チビあも時代からこの曲が大好きでした。

曲も好きだったし、1番と3番の歌詞が好きだったなあ。