蜜蜂と遠雷 | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

 

 

蜜蜂と遠雷 蜜蜂と遠雷
1,944円
Amazon

 

ネタバレ多少あり。

 

(あらすじ)※Amazonより

俺はまだ、神に愛されているだろうか?
ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説。
著者渾身、文句なしの最高傑作! 
3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。

「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」ジンクスがあり

近年、覇者である新たな才能の出現は音楽界の事件となっていた。

養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵15歳。

かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら

13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳。

音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。

完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳。

彼ら以外にも数多の天才たちが繰り広げる競争という名の自らとの闘い。

第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?

 

◇◆

 

第156回直木賞受賞作である。

恩田陸の小説は好きな作品も多いが、クセが強いのも多く、

色々なタイプの作品を書きまくり、正直私の肌には合わないというのもあった。

きっと世の中の、いや、直木賞選考委員の方々も同じ思いを抱えていたのであろう。

ゆえに人気作家ではあるもののまだ直木賞を獲ってないんかい!という、

びみょーでなんとも言いがたいベテラン作家でもあった。

しかしこのたび、めでたく、ようやくこの大作にて直木賞をついに受賞した!

本当におめでとう。

胸を張って友人知人に勧められる作品が直木賞を獲って私も嬉しい。

あもる一人直木賞選考会では見事外しましたけども!!

 →参考記事『本物の直木賞選考会(第156回)~結果・講評~

      『あもる一人直木賞(第156回)選考会ー結果発表・統括ー

 

ど真ん中直球勝負の作品に私は心躍らせて読み尽くした。

どの頁からもあふれ出てくる著者の熱意に応えるべく、一心不乱に読んだ私。

人間の才能と運命を熱く描き、音楽の深さも妖しさもこれでもかとあぶりだしていく。

読むスピードに頁を繰る手が追いつかないなんて久しぶりのことであった。

 

この作品は「芳ヶ江国際ピアノコンクール」にそれぞれの過去と想いを抱えて出場する、

男女4人のピアニストを中心として描かれている。

日本の小さな地方都市のピアノコンクールと侮る事なかれ、

「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」ジンクスがあり、

世界各国から指折りの期待の新人ピアニストらが集う大会でもあった。

 

このコンクールの結果については最後に簡単な説明がなされるだけに終わっており、

コンクール後のエピソードについても多くは語らず、だからといって説明不足でもなく、

本当にスタンダードな終わり方で、奇抜な恩田作品を知っていた私としては

「本当に直木賞を狙ってきてるんだなあ」と嬉しくもあり、残念な思いもあった(笑)

推しも推されぬ日本の人気作家なのに、今更直木賞なんて要らんやろ!!的な〜

直木賞選考委員の浅田次郎氏もこの終わり方については安堵していた模様。

 

「想像力が非常に豊かなので、ともすると言葉の洪水になって、テーマがそれてしまったりする。今回は散らからずに、畳んでくれた。結末の予想はついたが、ヘンなことしないで終わってくださいよ、と思っていたら、終わってくれた。見事な着地でした。」(直木賞発表直後の選評より)

 

そんなわけで私たち読者はその結果そのものよりも、そこに至るまでの物語に一喜一憂し、

そしてコンクールの予選・本選を手に汗握りながら見守り、楽しむことができるのだ。

コンクールへのエントリーからの何度かにわたる予選、そして本選の模様を描く中、

それぞれの心情が細かく描かれていた。

しかしその4人のうちの16歳の少年風間塵、彼に限っては心理描写がほとんどなく、

彼の行動のみを一つ一つ描くことにより、

彼の捕らえ所のない正体不明の不思議さや圧倒的なピアノの才能を読者に印象づけるのだ。

他の3人については曲に対する自分なりの思いや理解があらゆるところで説明されるのだが、

風間塵の演奏については課題曲として演奏する曲に対する彼の感情は全く描かれない。

聴衆やライバルたちが彼の音や彼の演奏を説明することで、私たち読者の理解を助けている。

 

さすがベテラン巧みなバランスだなあ、と恩田陸のうまさに感心した。

というのも、彼の演奏や行動が周りに及ぼす影響ははかりしれなく、

それはコンクールの演奏者だけに止まらずコンクールの審査員にも同様で、この作品の肝の1つでもあるからである。

 

巧みなバランスと言えば、4人のピアニストの個性のバランスもすばらしかった。

音大出身だが今は楽器店に勤務するサラリーマンでしかも妻子もいる高島明石。

←コンクール年齢制限ギリギリ(28歳)で出場している。

かつて天才少女として国内外のJr.コンクールを制覇しCDデビューもしながら母の死去のよりクラシック世界から退いていた栄伝亜夜。

完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門音楽院のマサル・レヴィ・アナトール。

そして養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない謎の天才少年、風間塵。

誰もが個性的で、ステキで、そして皆がピアノを、音楽を愛している。

 

高島明石は他の3人と比べ、天才ではないが音楽への理解も深く、キラリと光るセンスがあった。

それだけに、それでもきっと予選の途中で落ちるだろうなあ、とわかったし、

本選にはやはり進めなかったのが、わかっちゃいたが残念であった。

判官びいき、ではないが、普通の人が勝ち抜いて優勝!というのが読者は見たいよね〜。

しかし現実はそうもいかないわけで、そのあたりのさじ加減も恩田さんは考えている。

本選には進めなかった代わりに、菱沼賞という特別賞が明石に授与された。

明石のキラリと光る音楽センスが日の目を見たのだ。(ちなみに奨励賞も同時受賞。)。

「菱沼賞」というのは作曲家の菱沼忠明が授与する賞で、菱沼忠明作曲の「春と修羅」を、

彼が一番気に入った演奏をしたピアニストを選ぶ賞である。

「春と修羅」はこのコンクールのために日本人作曲家の菱沼忠明が書いた課題曲で、

この難曲をどう弾くか(世界初披露の曲だから諸先輩方の演奏などはもちろんない)、

そしてその中のカデンツァ(ピアニストが自由に弾く部分でピアニストが作曲する箇所。)を

どう作っていくのかがこの小説の目玉の1つでもあった。

 

恩田さんは「『春と修羅』を巡る物語」を本当に丁寧に描いていて、全ての場面が私の心を打ち

その場面の一つ一つがまぶたの裏に浮かび、音の一つ一つが耳の奥から響いてくるのだ。

もちろん「春と修羅」は恩田陸の小説上の曲ではあるが(宮沢賢治『春と修羅』がモチーフ)、

耳を澄ませば遠くから本当に聞こえてくるようでもあった。

あめゆじゅとてちてけんじゃ

あめゆじゅとてちてけんじゃ

 

『春と修羅』 『春と修羅』
 
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改めて今作品を見てみると、最初に課題曲がずら〜〜〜〜〜っと並べてあって、

その次の頁には、4人の登場人物の課題曲がそれぞれ書いてある。

 ←上記課題曲から条件に沿って各人が好きなものを選んで演奏する。

 

コンクールという形がちゃんと整えられていて、私たち読者はその課題曲を目にしながら小説を読む。

そして私たち聴衆は、そのプログラムを読み、小説を聴いていくのだ。

 

全く知らない人にはちょっとわかりにくいかもしれないが、選曲ひとつとってみても

本当に4人の個性が表れている。たとえば第一次予選の課題曲は

(1)J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集より1曲。ただしフーガが三声以上のものとする。

(2)ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのソナタより第一楽章または第一楽章を含む複数の楽章

(3)ロマン派の作曲家の作品より1曲

*演奏時間は合計で20分を超えてはならない

とあり、(1)だけとってみても、

風間塵は第一巻第一番ハ長調を選んでいて、

何の気負いもなく好きだから、という理由でこの曲を選んじゃうのね〜。と

読者にこの少年の不思議さと大胆さの印象を深く植え付ける。

そしてこの曲を知らない人のためにも、ちゃ〜んとライバルのマサルがこの曲の説明をしている。

栄伝亜夜とマサルは超一流の演奏者でもあるのだが、音楽が大好きな一流の聴衆でもあり、

彼らの音楽への思いや行動や会話が、私たち読者の音楽への理解を助けてくれるのだ。

コンクールなんて出場したことはないが、こんな感じなんだろうなあという空気も楽しめた。

 

高島明石がコンクールに出場する、と打ち明けた際、明石の調律師は彼に

「嬉しいよ、嬉しいなあ。僕は昔から明石くんのピアノのファンだからね。

 ピアノは天才少年や天才少女のためだけのものじゃないんだから。」と言ってくれて、

でもそれは高島明石が天才じゃないと言っているも同然なのだが、

その言葉はコンクールなど知らない読者にも明石本人にも深く染み渡った言葉であった。

 

私はピアノを習っていて弾くのも聞くのも好きだが、技術そのものは大したことなくて、

そこそこの音大くらいは行ける?程度で、国際コンクールだなんてとんでもない!のだが、

それでも「あもちゃんの優しい音が好き」「どうしたらそういう音が出るの?」とか

言ってくれる人が時々(笑)いた。

そう、ピアノは天才少年や天才少女だけのものじゃない。

恩田陸の温かな目が感じられてよかった。

恩田陸もピアノが弾けるらしいので、同じ思いをしていたのかなあ、とも思った。

 

本選でのオケとの練習シーンはとても興味深く描かれていて、ピアニストとの呼吸を合わせるオケの方の苦労とか手にとるようにわかった。

また、オケのクセ(金管が弱いとか)を事前のCDで知って曲を選んだ、というピアニスト側からの豆知識も知れた。

 

本選に残った出場者6人ののピアノ協奏曲が全くダブらなかったことを受け、指揮者の小野寺昌幸は

 

「オーケストラにとってはありがたいようでもあり、ありがたくないようでもあり。

 以前、小野寺は別のコンクールで、本選の六人のうち四人がベートーヴェンの『皇帝』、残り二人がショパンの一番だったということがある。聞いている観客も飽きたと思うが、プロとはいえやはり人間なので、さすがに「皇帝」の四回目はオーケストラのほうも飽きてしまい、モチベーションを保のが大変だった記憶がある。

 ショパンの一番を続けて、というのも正直しんどい。ソリストには憧れの名曲といえど、オーケストラにとっては退屈という曲がいくつかあるもので、ショパンの一番はそれに含まれるのではなかろうかと思う。小野寺は、ショパンコンクールの本選はショパンの一番と二番という選択肢しかないから(※後述)、幾ら国の誇りであり、ショパン好きであっても、オーケストラはさぞしんどいだろうな、と密かに同情している。(略)」(451頁より) ※ショパンのピアノ協奏曲は2曲のみ。

 

と言っていて、その台詞を読んだときはクスっと笑ってしまった。

さすがにベートヴェンの『皇帝』を4回聴かされるのはキツイ。

そしてその後ショパンの第一番なんて、これはもうお腹いっぱいですわ。

恩田陸がどこまで取材をしているのか知らないが、もしそれが本当だとしたら、

音楽やってる人は奇人変人という偏見があったが、意外と普通の人と一緒なのね、と想った。

 

「意外と普通の人」といえば、

亜夜の友達である奏が、亜矢と塵とマサルの3人と一緒に散歩しているシーン。

 

「そういうえば、この子たちって写真撮らないわね。

 ふと、そんなことに気づいた。

 今の子たちはとにかくなんでも写真に撮る。カフェのメニュー、街角で見たもの。まるでカメラ越しでないとその存在を確認できないとでもいうように。

 でも、この子たちは撮らない。

 そのことがまた、奏に小さな疎外感を引き起こす。

 この子たちは、わざわざあえて人生を記録する必要がない。ささやかな人生を、記録の中につなぎ止める必要もないのだ。彼らの人生は、人々に記憶され、記録されて残っていくことが既に約束されているのだからー。

 (略)←写真を撮り始めた3人の様子。

 無邪気に写真を撮りあう三人を見ていて、奏はこっそりため息をつき、「ちょっとかいかぶりすぎたか」と密かに反省したのだった。」(320頁)

 

奇人変人でも写メは撮る(笑)。

マサルが

「えへへ、僕も撮っていい?実は、なんか失礼かなと思って我慢してたんだけど」

と携帯電話を撮り出すシーンが印象的。

すっげー普通の人じゃん!!!!

友達が有名人を連れてきて、写真撮ったら悪いかな、と思って我慢してる一般人、みたいな感じじゃん!

でもそれは誰かが撮り始めたら、みんな関を切ったように撮り始めるのよね〜。

恩田陸、この微妙な表現が巧すぎる。

 

ところで本選のピアノ協奏曲の話しに戻るが、

この小説の4人の選曲は(高島明石は予選落ちだが、事前に課題曲は提出済み。)

風間塵は、バルトーク「ピアノ協奏曲 第3番」

栄伝亜夜は、プロコフィエフ「ピアノ協奏曲 第2番」

マサル・カルロス・レヴィ・アナトールは、プロコフィエフ「ピアノ協奏曲 第3番」

高島明石は、ショパン「ピアノ協奏曲 第1番」

であった。

ううーん、本当に個性が出ているなあ。

 

ちなみに私が、地球上のピアノ協奏曲ベスト3の1つに挙げている、←表現が大げさ

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を他の本戦出場者が演奏していた。

それを聴いたマサルは、

昔はもっと自由だったのに今は専業化し過ぎている、自分は演奏も作曲もできるピアニストを目指す、そしていつか自分もラフマニノフの第2番(のような曲)を作るのだ、

と強く想うシーンが印象的であった。

皆の心を打つ曲、それがラフマニノフの第二番なの。恩田陸と膝を突き合わせて語りたい。

音楽観がすごく私と似ていて小説に寄り添って読むことができた。

真摯に音楽やコンクールや演奏者に向き合っている姿勢が大変よかった。

 

また第3次予選のトップバッターのハラハラする演奏を聞いた時の

審査員の嵯峨美枝子の感想がまるで私がしゃべっているようで笑えた。

「ちょっとー!ハラハラさせないでよね!」ってとことか(笑)

(ちなみにこの美枝子さん、私の脳内では彼女の容姿はアルゲリッチであった。)

 

こんなに大絶賛の作品だが、そうねえ、あえて文句を言うなら、

マサルが本選で演奏したリストの「ピアノソナタロ短調」の説明が異常に長くて、

ウンザリしたところくらいだろうか。

マサルがピアノソナタから感じる情景から自作の物語を作って、それを表現した。

という場面だったのだが、その自作の物語が妙にメロドラマ的で、

そこにそんなに頁を割かなくてもいいんじゃないの?と思ってしまった。

というか、私、リストが嫌いなんじゃ〜・・・という私怨が大きい。

それ以外は特に文句もなかった。

 

天才少年天才少女の描き方も意地悪でもなく、特異な感じもなく、

でもやっぱり天才という絶妙な描き方をしていた。

 

この作品で褒めるべき点はたくさんあるのだが、落選者の描き方がとにかく巧み。

第二次予選で中国系アメリカ人が落選するのだが、

演奏スタイルの評価や落選後の様子がもう笑えるくらい的確でおもしろい。

審査員に、私のすばらしい演奏が落とされる理由がわからない!って食ってかかるとことか、

中国人っぽ〜い。というか実際そういうことがありそう〜。わかる〜。その様子が目に浮かぶわ。

そして中心人物4人以外で、なぜかちょくちょく名前が出てきていたロシアの青年。

彼は第三次予選で落ちるのだが、その様子がよかったなあ。

落選した時の様子というよりも、ここまで予選を勝ち上がって来た過程がよかった。

登場人物の中心4人に全く関係のない彼の名前が、なんでちょいちょい出てくるのだろう、

と訝しんでいたのだが、なるほどここで伏線が回収されるのね、と妙に腑に落ちた。

 

落選者も本選出場者も、調律師もステージマネージャーも、選考委員も先生も、

出場者それぞれの家族も友人も・・・みんなステキな人物たちであった。

それも好感がもてたなあ。

 

今はいい時代だ。

曲そのものを知らなくてもYoutubeで聴いて確認しながら読むということもできる。

色々な楽しめ方ができるいい作品であった。

目で楽しんで、心で楽しんで、そして耳でも楽しめる爽快な小説。

作品の入り方も大変よくて、最後までグイグイ読ませちゃう不思議な引力がある作品。

そして私は忘れない。

恩田陸がこの作品で『選考委員に彼(異端児)を評価できるのか』と一石投じたことを。

恩田陸もある意味異端児っちゃ異端児だからなあ。文学界に一石投じました。

 

どうでもいいけど、この作品、ちょっとしたミスがありました。

「第二次予選からは曲の合間に拍手してもいい」という表現と

「第二次予選も引き続き拍手をしてはいけない」という表現が混在していた。

(おそらく正しくは前者。)

重版出来で修正してくるだろうか。

 

読後あもちゃん、プロコフィエフのピアノ曲に大変興味を持った。

有名な「戦争ソナタ」はもちろんのこと、小曲とか聴きまくってます。

そういう意味でも40過ぎた、カチカチの石頭の私でも、

まだクラシックについて、ワクワクと興味を抱けるいい作品であったのである。

 

『蜜蜂と遠雷』のコンクール曲が作中の演奏順に聴ける! in NAXOS MUSIC LIBRARY

 
こんなサイトを発見!
リストの「ピアノソナタロ短調」に恩田陸さんセレクトのマークが・・・
あのマサルのリストの演奏についての妙になが〜い描写は、
恩田さん自身に思い入れがあった曲だったからなのね〜。納得。
 
ところで今週の週刊文春(3月9日号)の『阿川佐和子のこの人に会いたい』の
対談相手は恩田陸であります。

 

 

『蜜蜂と遠雷』の裏話や恩田陸が原稿をよく落とすという話が語られている。

あと一番驚いたのが、この作品にとてつもなく長い時間がかけられていたという事実。

ななななななんと!連載7年、取材も入れると12年かかったそうな。

恩田さんが遅筆なせいもあるらしいがそれにしても長い。長過ぎる!

そりゃ直木賞に対する意気込みをひしひしと感じるわけだ。

 

しかし対談そのものはのんびりそのもの。恩田氏のクセのある作品を知ってる私からすると

恩田さんがこんなおっとりした女性だったとは知らなかった、とかなりの驚きであった。

肝っ玉の座った(笑)、かわいらしい女性であったよ。

これが文学界の異端児だなんて誰が思うだろうか。