セックスの哀しみ | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

セックスの哀しみ (白水uブックス173 海外小説の誘惑)/バリー・ユアグロー

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友よ、我々のうち最高の賢者とは、
男を狂気に追いやり瘋癲院(ふうてんいん)に送り込みかねぬ女
ー美しくあれ醜くあれ、聡明であれ愚鈍であれー
に出会わずに済んでいる幸運な者のことなのだ。
(ドニ・ディドロ『これは物語ではない』より)


あまりの感動に、
記事のあちこちでネタバレさせてます。。。。


(あらすじ)※裏表紙より
恋愛をめぐるさまざまな場面をテーマにした、
不思議でおかしく、少し哀しい奇想の数々。
個々の作品がそれ自体の舞台とストーリーを持ちつつ、
雰囲気、イメージなどの連鎖によってゆるやかにつながる。
イメージの奇才による連作短編集。


衝撃的すぎるタイトルからして、
間違いなく携帯からでは見られないと思うが、
こんなにも切なく狂った短編ラブストーリーがあっただろうか。
と思わず声を挙げてしまうほどの良書。

それにしても相変わらず、柴田元幸氏の訳はすばらしい。

マーティン・ドレスラーの夢

で、柴田氏の訳の際の言葉を選ぶセンスのよさに感服した記憶がある。

さて。

この作品のすごいな、いいな、と思うところは、
作者のイメージする夢想が映像となって
読者の脳内に自然にすべりこんでくるところである。
そのイメージは作品によって、時にリアル、時に奇妙奇天烈。

それは、風のように流れる動画であったり、
カタカタと音を立てて進むコマ割りの映像であったり、
静かに壁に掲げられる一枚の絵画であったり。

ある一枚の「映像」を引用してみたい。

「私たちは美しい銃を持って公園に出かける。
 公園には私たちのお気に入りの、人目につかない場所があって、
 2人で寝転がって、午後のあいだずっとただ雲を撃つのだ。
 あるいは一緒に腹這いになり、肱をつき、耳栓をして、
 2人の指を引き金に絡ませ、
 私たちペアのイニシャルを、緑の、我慢強い木々の幹に念入りに撃ち込む。」
(「銃」より)

この短編集の中で、私が一番好きな「映像」である。

恋人はこうでなくちゃ。
何をすることもなく、美しい銃に互いの指を絡ませ雲を撃ち、幹を撃つ。
なんという贅沢な時間。
恋人が恋人である証拠。


この短編集のどの作品にも共通していえることは、
脳内に映し出される絵は、色鮮やかに描かれながらも、少し感傷的。
その作品を鑑賞した私たちは、胸をえぐられるような痛みを伴うのである。

真剣に誰かに恋をしたり、
真剣に誰かを愛したり、
真剣に誰かから愛されたり、
大切だった人を失い、平凡でも幸せだった日々を失ったり。

そういう経験した人にとってこの作品は、
自分の思い出や経験、痛みや愛情が流れ込み、混濁するため、
胸をえぐられるような痛みを我慢しながら読み進めないといけない。

第1章から大量の短編が綴られ、
それがゆるゆるとどこかしらでつながっていく。
イメージとイメージの連想作品。

一環してそんな印象的な絵画や映画のような動画を見せられていく中、
突然第9章において、突然作者自身、作者の描く主人公の生身の声が
読者の耳に聞こえてくる。

「ガールフレンドが私を捨てて出ていく。」
「私は精神の平衡をすっかり失い、可燃液体を頭からかぶって、体に火をつける。」
とか
「ガールフレンドに捨てられた悲しみのあまり、
 私は首にロープを巻き付け、すべてを終わらせる。」
とか
「一生ずっとこのままなんだろうか ー
 たった一人の女の子のせいで、美しい瞬間、美しいものに出会うたび、
 追想と後悔の念に涙ぐむことになるのだろうか?」
等々・・・。
(表現はおどろおどろしいが、結局生きているのでご心配なく。。。。)

第8章までは、
美しい恋人と過ごしていた時間、
やがてその恋人を失っていくことや、
愛する人を手放してしまった後悔が描かれているものの
それは美しい絵画の奥に隠されていたり、
甘美な比喩のオブラートに包まれていた。

しかし第9章に入ると、
今までの印象的な風景、美しい心象風景から一転して、
上記のような
はっとするような刺激的な言葉の波がダイレクトに押し寄せてくる。

そして第10章「青」が、
第8章までゆるゆるつながっていたイメージの連鎖、
第9章でのダイレクトな感情、
それらの回答編のように、おもしろおかしく綴られる。

主人公の「私」は闘い続ける。
それでも生きている。
「私」の全てを捧げて恋人を失い、「私」の精神の全てが崩壊してしまっても、
それでも「私」は生き続ける。

この第10章「青」のおもしろさと完成度は別格。
文章のリズムもいい、もちろん内容もいい、少し笑いを混ぜながら、
最後、切なくて涙が出る。
この作品が存在するからこそ、この短編集は秀作である、と断言できる。

この「青」はこの印象的な一文から始まる。

「私たちの関係の余波として生じたおぞましいもつれあいの中、
 私はやっとどうにか、持てる力をふり絞り、
 私を捨てたかつての恋人とのつながりを全て断ち切る。」

おぞましいもつれあい、とは、
第9章までにイメージや絵画で語られてきた話の数々である。

しかしつながりを断てば断ったで、
恋人との思い出や辛さ苦しみが胸を突き、
そのたびにカーテンを閉め切った室内で悶える日々を過ごす私。

「四方の壁に向かって不平の文句を叫び立てながら部屋のなかをのたうち回り、
 正義と復讐を求めて咆哮を上げる。」

正義と復讐を求めた「私」は妙案を思いつく。

そうだ!
肉体的に相手を襲う、なんてことは到底できないから、
(なんだかんだいっても私に非道なる辛酸を嘗めさせたあの人物に対し、
 私はいまだ、おぞましい、病的な情愛を捨てきれずにいるのだ。)
頭の中で復讐しちゃえばいいんだ!

その「私」の頭の中で行われる復讐が
身もだえるほど切なくて、おもしろくて、狂っている。

第1回目の空想では、鼈甲のヘアブラシで彼女のお尻をペンペンする。

復讐がかわいすぎるんですけど。
ペンペンされちゃった彼女。
ペンペンされすぎちゃって、彼女のお尻に穴があいてしまう。
わっっっっ!
あわてた「私」は折檻を中止する。

いやいや、想像ですから!
別に中止しなくても彼女、死にませんよ。

空想で彼女を痛めつけようとする「私」なのだが、
どうしてもうまくいかず、それどころか彼女が反撃してくるのである。
それにマゴマゴする「私」。
「私」を叱りつける彼女。
そんな彼女を畏れる「私」。
恋人時代となんら変わらない・・・えーんえーん。←泣いてるのね。

空想での復讐がどんなに失敗しても、
どう頑張っても彼女を再びその手でつかむことができなくても、
それでも「私」は傷心を抱えながら生きて行かなければならない。
そして「私」はとうとう「その日」を迎えるのであった・・・。

キューン・・・
キューン・・・
キューン・・・

これだけ狂わなければ愛じゃない。


梅雨空でうっとうしい日々が続く。
狂った愛の作品集を読んで、湿気100%になりませんか?


最後まで私をつかんで話さなかった作品であったが、
あえて難を言うならば、
似たような表現と、同じようなテンションの作品が100近くも続く。
さすがの私も、かなり疲れた。