文学界 2010年 4月号(座談会:トルストイを復活させる) | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

文学界 2010年 04月号 [雑誌]/著者不明

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1910年、一人の作家がロシアの小さな駅で、家での果てに亡くなった。
男の名は、レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ。

『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』といった大作を生み出しながらの、
後年はみずからそれらの作品を否定。
広大な土地の領主でありながらも、やがて私有財産の否定を唱える。
宗教的探究心に溢れ、進行の世界に傾倒したがゆえに、
ロシア正教会から破門をされるという、波乱と矛盾に満ちた生涯であった。
没後100年という機会に、この偉大な作家の生と文学を新たに見つめる。

(辻原登×沼野充義×山城むつみによる鼎談)

トルストイにはまって半年。
まだまだ奥の深そうな(だってあんまり読んでないし)トルストイについて
もっともっと知りたく、トルストイの魅力について語る雑誌に手をのばした。

以下、メモ。

山城「トルストイは、生命感覚というか、
   自然に照らして不自然な悪を直観的・身体的に拒絶する感覚が
   ものすごく鋭い作家ですが、そういう感覚は
   カフカース(英語名:コーカサス)で養われたんじゃないか。」
  「トルストイは、
   そういう(赤ちゃんが反射的に生命にとってよくないものを吐き出せる力)
   非常に鋭敏な自然の感覚をふんだんに持っていて
   それで世界や人間を判断している。彼の善悪判断は理屈ではない。」

「幼年時代」を書き上げたのもカフカースにいた間である。

辻原「僕はずっとトルストイというのは時間の芸術家だと思っていたのだが
   実はよく読んでみると、空間の配置がものすごくうまい。」

トルストイとドストエフスキーの比較について

沼野「トルストイは伯爵家の生まれで、(略)大きな領地を持っていたので、
   都会からはるか離れた豊かな自然のある場所で幼年時代を過ごしています。
   (中略)
   ドストエフスキーはペテルブルグという都会の作家ですから、
   基本的にほとんど都会しか描いていません。」

山城「ドストエフスキーも別の意味で空間的なんですけど、
   それは狭苦しい密室空間で、小さな部屋の中に十人、二十人入れて
   ワイワイガヤガヤやるのが、ドストエフスキーの得意な世界ですね。
   賭けのありかたも、トルストイの場合は競馬でしょう。
   広い場所で馬を走らせるという自然的な賭けが好きなわけです。
   ところが、ドストエフスキーは狭い密室でやるルーレットです。」

※トルストイの「競馬」とは、多分、アンナ・カレーニナに出てくるシーンのこと。
 あの描写に限らず、トルストイの描く大自然の表現はすばらしい。
 他の誰の追随も許さない、他に類を見ない力強い雄々しい描写力であると思う。
 
辻原「僕が驚いたのは、アンナ・カレーニナで犬のラスカが口を利くでしょう。突然。
   オブロンスキーとリョーヴィンが猟をしている途中で。」

沼野「幻想小説に切りかわる訳でもなく、寓話を書くというわけでもなくて、
   彼にとって、リアリズムの中に、そういう描写が入ってきても自然なんですね。」

※ちなみに私も「えっ?」と声に出して驚いた。
 だって本当に突然ラスカ(犬)が当たり前のように口を利きだしたので。
 でも、かわいかったけど。私、無類の犬好きだから☆


というわけで、この座談会に挙げられていたトルストイの『幼年時代』。
図書館に予約中なのであります。
2人待ち。
こんな本読むような奇人変人なんて、私だけ。と思ってたのに、
意外とそうでもないらしい。