平成19年8月11日(土)、蜷川幸雄演出『エレンディラ 』を観に行く。
原作はガルシア・マルケスの
「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」
である。
私は、この癖をいい加減にやめないといけないな、と思うのだが
作家のことをまるで調べない。
そして思わぬところで、えーーそんな人だったんだーと知らされ、
驚かされることが多いのだ。
ガルシア・マルケスもその一人。
どういう人か知らずに、この「エレンディラ」の原作者と知らずに
違う本を読んでいたところだった。
(読み終わったらまたアップします。)
彼はノーベル文学賞受賞者であった・・
と、この「エレンディラ」のパンフレットで知った私・・・。
そんな偉大な(?)人とは知らず、読んでいた私は、なんという無知。
それはともかく、演劇の感想。
あんなに泣いたの、初めてかもしれない。
最後、マイケル・ナイマンの大音量のBGMに任せて、大声で泣いていた私・・・。
もーねー、タオル持参でよかったよ。
マスカラしていくんじゃなかったよ。
この演劇、6:30開演で、10:40に終了という、長丁場の演劇。
その時間を蜷川氏はぜいたくに使っていた。
第1幕目が終わり、休憩に入ったとき・・・
夫と二人で
「もしかしておもしろくないのでは?」
と言い合っていた。
とにかく、色々な人や出来事がビーズのように小さいもので提示され、
そのビーズを糸の端と端だけに留めている感じ。
私たちはそのむき出しになった糸を眺めているむなしささえ感じる。
いつかビーズが糸いっぱいになっていくのを待たされている。
蜷川氏、ぜいたくに時間を使いすぎ!!あん、ツンデレ?
というわけで、途中で帰って行く人もいた。
多分、待ちきれなくて。
私は12,000円も払ったんだから(夫と二人で24,000円ですよ。)、
絶対に最後まで見てやる!と思って見続けていた。
そうそう。
エレンディラとウリセスの性交渉シーンで、ウリセスが絶頂に達したとき
「エレンディラァァァ!」
と叫んだ瞬間、夫が笑った。ンフってかなり失笑。
それがおかしくて、私に伝播し、私もンフって笑っちゃった。
隣の人が
「ハ?」
って感じで見てた、私たちを。そりゃそうだ、笑うシーンじゃないもの。むしろシリアス?
夫は休憩時間に言った。
「あれ、蜷川マジックだね。絶対笑わそうとしてる。」
・・・・いや~、あれはまじめにやってると思うんだけど。
それが証拠に笑ってるの、私ら二人だけだったし。
そして第3幕。
怒濤の愛、怒濤のスケール、怒濤の演出。
とにかく、すごいエネルギーとスピードに胸にグングン突き刺さる。
細い糸でビーズをつなぎとめていく感じ、と第1幕の時思ったが
第3幕に入ると、そんな細い糸はぶった切られ、ビーズははじけ飛び、
『天空の城ラピュタ』の天空の城を浮かばせる飛行石並の大きさのダイヤモンドを
大きな綱でしばりあげている、それを私たち観客は固唾をのんで見守ってる、そんな感じ。
夫に、
「今までで見た演劇で一番よかった」
と言わしめたほど。
ラストの大どんでん返し、そして果たしてどっち、的なエンディング、
そしてこの瞬間の愛・・・。
はっきりとした回答が出ない最後だが、それすら感情のうねりを引き起こす。
ロビーでは原作の文庫が売られていたので即購入。
(文庫は出版社の都合ですぐ廃盤になるので、
気に入ったものについては、見つけたときに購入するようにしている。)
きっと原作はもっとおもしろいと思うのだ。
それにしても、さいたまくんだりまで出かけていって、
かなりブーブー言ってたの、私。
BUNKAMURAでいいじゃ~ん、とか。
でもなぜさいたま彩の国劇場なのか、始まったらわかった。
舞台が巨大なのだ。
奥行きといい、高さといい。
そしてあの「エレンディラ」という作品、スケールがでかすぎる。
私たちが想像できるスケールの実際は10倍はスケールがでかい。
あのスケールを表現するには、あそこじゃないとダメなのだ。
(他の劇場をあまり知らないけど。)
※客席には、六平直政さんや白石加代子さんを見かけました。
ロビーにはお祝いの花がたくさんあり、いい匂いがプンプンしてた。
お祝いの花は、北野武氏のが一番目立ってた。どうでもいいけど。