7月末、マルクの結果、
生着が確認された。

まだ血球を作る能力は低いが、
徐々に数値も増えてきている。

これからいろんな菌やウィルスに遭遇しながら、
抵抗力を高めていく。
見た目はオッサンだが、
造血の機能は赤ちゃんだ。


8月始めには、マスクをして病棟外に出られるようになったが
感染すれば高熱、というリスクとは相変わらず常に隣合わせだった。

健康な身体では何てことないウィルスが
今は命取りになる可能性がある。

こんな状態が、もうどれくらい続くだろう。

まだまだ生命の危険はあるが
比較的順調な回復に家族も安堵していた。

8月半ば、退院した。
待機している患者が多いので、
数値上改善すれば退院となるらしかった。

何てことないウィルスに感染していたが
週一回の通院で服薬治療することになった。
が、ウィルスが増殖すれば命取りだ。

主治医の予想では、このまま合併症が出なければ
1月か2月には復職可能かも、とのことだった。

が、入院中の運動不足による筋力低下で、
日中起きているだけでしんどい。

少しずつ自宅周辺を歩いたり
愛犬と遊びながら体力をつけて行った。

基礎体力がないので、反日程度歩くとそのあとは臥せってしまう。

本職のリハビリを自分がやることになろうとは、Tも想定外だったに違いない。


9月末には、1時間くらいの車の運転はできるようになった。
が、相変わらず運転中に脳内出血を起こす可能性があるので
医師からは禁止されていた。

一度だけ、自転車にも乗った。

相変わらず口内炎が辛い。
髪もまだ生えないので、
職場へ挨拶に行くのも躊躇してしまう。


10月、次女に長男が産まれた。
初孫であり、娘三人のTにとっては初めての男の子だ。

この子とどれくらい一緒に居られるだろう。
この子が歩く頃まで、生きていられるのか。
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Tは喜びと不安に揺れた。

新しい生命の力強さを家族皆が感じていた。

そして、孫の産まれた日、再入院が決まった。

病院へ向かう前、孫に会いに行った。
難産だったが、母子ともに元気で安心した。


今回は、もとの自分の細胞と新しい細胞が混在している状況を脱するための
念のための入院だった。

免疫抑制剤を中止するので、
副作用や不足の事態に備えねばならない。

この治療は日に一回の注射と輸血のみなので退屈だ。

新しい自転車のヘルメットを注文したばかりだったのが残念だった。

髪は少しずつ生えてきた。
以前は生えていなかった部分からも生えてきたのが嬉しかった。

赤ちゃんの髪の毛やなぁ。
そこだけ天パじゃないかもなぁ。

と、娘にからかわれた。
一回目の抗癌剤治療では
白血球の回復が見られなかった。

病気は更に重症化したようだった。

この骨髄異形成症候群という病気は
前急性骨髄性白血病とも言われ
急性骨髄性白血病に移行しやすい。

骨髄異形成症候群から急性骨髄性白血病になった場合
健康な身体から急性骨髄性白血病になるよりも
予後が悪い。

つまり
急性骨髄性白血病になったら
それが末期ということだ。


この移植は病気との最終戦だ。

六月、臍帯血移植が行われた。

無菌室からは生駒山が見える。
あの山の向こうが我が家だ。


移植前も、無菌室に入っても、
毎日のように妻はやってくる。

妻と三人の娘たちが千羽鶴を折りはじめた。

Tからは見えないが、隣の無菌室の廊下には
それは見事な千羽鶴が飾ってあるそうだ。

隣はまだ30代くらいの男性で
毎日幼い娘さんと奥さんがお見舞いに来ている。

娘たちは、鶴を折っては
廊下側の窓に並べていった。

並べられた鶴が可愛いと
看護師さんたちに評判だった。

ただ、このペースでは
千羽鶴が先か、自分の退院が先か
分かったものではなかった。

無菌室と、家族が入れる廊下は
ガラス張りになっているので
姿は見えるが、声はインターホンを介さないと聞こえない。

お父さんは声が小さい、と
インターホン越しに文句を言われた。

インターホンさえも面倒になって
身振り手振りで会話することもあった。


心配だったのが脱毛だった。
抗癌剤治療前に剃った髪はちゃんと生えてくるのか。

もともと薄くはなっていたが
全く毛が無いのはなんとも心許なかった。

若い学生と接する仕事なので、いつも身だしなみには気をつけていた。
髪も毎朝セットするし
加齢臭対策にコロンもつけていた。

シャツは、学生時代からボタンダウンと決めている。
ネクタイは細くないと嫌だ。
デニムは履いたことがない。


6月半ば、次女が結婚した。

10月に赤ちゃんが産まれると聞かされたときは流石に驚いたが
もともと結婚することは決まっていたので、Tは何も言わなかった。

もし健康だったら
一言物申していたに違いない。


長女の夫が、結婚式の一部始終をスカイプで実況中継してくれた。
何度もスカイプのテストをして、
当日に臨んだ。

バージンロードのすぐ脇から映像を見ることが出来た。
本当なら、一緒に歩いてやりたかった。

カメラ越しに目が合った瞬間
小さい頃から泣き虫だった次女は
嬉しそうに泣いた。

結婚式は4時間以上あったが
Tは休むことなく全て見た。

点滴をしに来た看護師さんもお祝いしてくれた。

次女の友達が、カメラ越しに手を降ってくれた。
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パジャマ姿のTは
向こうから見えない位置にズレてみたりした。


熱が出たりしていたが、GVHDは比較的軽いようだった。
これが重症化すれば、生命に関わる。


無菌室は退屈だった。
テレビはあるが、見たい番組もなく、新聞も古本も、古紙は全てNGだった。

iPadで自転車や車の部品を見ていた。
元気になったら、すぐに自転車に乗ろうと思っていた。

愛車のビッグホーンに
長いことエンジンをかけていないのが気がかりだった。

移植直前は放射線照射によって0だった白血球が
移植後の6月末に800個に増えた。
これは、もともとの自分の免疫機能が、
新しい細胞を攻撃させないようにする免疫抑制剤や
新しい細胞の白血球を増加させるための刺激薬の影響もあるので
実際にどれだけ造れているのかはわからなかった。


これが5000個くらいになれば薬をやめ、
白血球が自然に増えるのを確認でき次第、一般個室に移れる。
2012年1月、念願の復職が叶った。
アザシチジンが効いていた。

土日も休まず働いた。

毎日が楽しかった。


3月、職場の仲間たちが屋形船を貸し切って
復帰祝いを盛大にしてくれた。

少し熱っぽかったが
仲間たちの気持ちが嬉しかったし
まだしばらくは働けるという希望でいっぱいだった。

次の日、発熱で再入院した。
白血球の減少による感染症治療のためだ。

マルクの結果も思わしくなかった。
この先新薬を使っても、効果は期待できないとのことだった。

なぜ新薬が効かなくなったのか、その理由はわからない。
10万人に3人というこの病気には
あまりにもデータが少なすぎた。

あんなに自分の復帰を歓んでくれた仲間たちに申し訳なかった。
自分の身体が情けなかった。

誰かに弱いところは見せたくなかったが
流石に落ち込んだ。


いったい、Tが何をしたというのだろう。
神様がいるとしたら、彼は本当に残酷だ。


職場の仲間にメールを送った。

「新学期早々の時期にこの体たらくで何とも申し訳なく
お詫びの言葉もありません。
小生としては病院通いが日課の人生よりは
寿命を縮めてでも今の社会性を保ちたいのですが、
それでは先生方や他のスタッフに及ぼす迷惑を考えれば
独りよがりではあります。

次の治療に入る前に伺って、
辞職も含む相談をしたいと思っています。」


次の治療とは、移植のことだ。

このまま寝ていても復職は望めない。
自分のためにも、移植を望む妻のためにも、
Tは決意した。


現在移植の適応は50~55歳以下に限られている。
また、造血幹細胞移植に伴うGVHDなどの合併症の死亡率も無視できない。

60歳という年齢もあり、移植はかなりのハイリスクだ。

無菌室から、もう戻って来られないかもしれない。

自分は病人として、ひとりガラスの向こうで死んでいくかもしれない。

遺書を用意した。

辞職を申し出るも、職場の返事はNOだった。

「治療に専念してください。
みんなT先生を待っています。」

温かい言葉をもらった。

自分はなんと人に慈まれたことだろう。

造血幹細胞移植には二種類ある。

一つは骨髄移植。

白血球の血液型であるHLA型が、ドナーと移植対象患者との間で適合しないと
拒絶反応やGVHD(移植片対宿主病)が起きる。

HLA型が適合して移植が可能になる確率は、同父母の兄弟姉妹間で25%。

非血縁者間では数百~数万分の1といわれている。

通常親子間では適合しないことが多い。

血縁者にドナーが見つからない場合は、骨髄バンクなどを介して非血縁者間移植を行うこともある。

2人の妹とも、娘たちとも適合しなかった。

10万分の3には当たるのに
4分の1には当たらなかった。

そういえば宝くじも当たっていない。

骨髄バンクのドナーは三人いたが、これはかなり少ない人数らしかった。

骨髄移植にはドナーの選定・調整に時間を要するため、
ある程度人数が確保できないと移植はできないということだった。


もう一つの方法、臍帯血(さいたいけつ)移植を行うことになった。

これは、赤ちゃんのへその緒から
造血幹細胞を取り出し、移植するものだ。

赤ちゃんの細胞なので、成人の造血幹細胞より若く
造血機能があると考えられている。

また、細胞が未熟なため、移植患者を異物として攻撃する力が弱く
ドナーの細胞が患者の細胞を攻撃するGVHDが起こりにくいとされている。


このようなメリットがある反面
移植する細胞数が少ないため、
幹細胞の生着(自分の細胞として落ち着くこと)不全のリスクや
再び自分の細胞として血を造り出すのが遅いというデメリットもある。


更に、移植前には致死量を超える大量の抗がん剤投与及び放射線照射が行われる。

患者の造血機能を完全に破壊する為、その後必ず移植を行わないと死んでしまう。

この前処置による生命の危険をうまく回避し
移植後のGVHDや感染症リスクを乗り越え
細胞が生着し
再発することなく造血機能が復活する

という、気の遠くなるような試練を乗り越えて
初めて成功と言える。

もはやTに選択肢は残っていなかった。

もう一度復職したい。

そのために闘うのだ。


移植といっても、外科的手術ではなく、造血幹細胞を静脈から注入するだけである。

順調にいけば2週間ほどで注入したドナーの造血幹細胞が生着し
正常な血液を造り出すようになるはずだった。

重度のGVHDが起これば生命に関わるが、適度であれば再発の可能性が低くなる。

つまり、しんどければしんどいほど
生着した時に丈夫で心強い細胞になってくれるというわけだ。
その分、ここで生命を落とすケースも多い。

全てが順調であれば移植後3ヶ月ほどで退院可能とのことだった。

5月、移植に向けて抗癌剤治療が始まった。

抗癌剤をやると、口の中の水分がなくなって気持ち悪い。
味覚障害や吐き気、口内炎で食欲がなくなった。

退屈な入院中、病院食は口に合わなかったので
レトルトのカレーを食べることが多かった。

感染症予防のため、真空パックしてあるレトルトや缶詰しか食べられない。
レトルトを温めてもらうために看護師さんに来てもらうのは申し訳なくて
いつも冷たいまま病院のごはんにかけて食べる。

デザート系も、蓋が二重になっているものしか食べられない。

例えば、アイスクリームではハーゲンダッツくらいしかない。
こんな病気にならなければ、滅多に食べない高級アイスだ。

妻や娘たちがいろんな味のハーゲンダッツを買ってきたが

Tはバニラが1番好きだ。

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移植で髪が抜ける前に、坊主にした。