2012年1月、念願の復職が叶った。
アザシチジンが効いていた。
土日も休まず働いた。
毎日が楽しかった。
3月、職場の仲間たちが屋形船を貸し切って
復帰祝いを盛大にしてくれた。
少し熱っぽかったが
仲間たちの気持ちが嬉しかったし
まだしばらくは働けるという希望でいっぱいだった。
次の日、発熱で再入院した。
白血球の減少による感染症治療のためだ。
マルクの結果も思わしくなかった。
この先新薬を使っても、効果は期待できないとのことだった。
なぜ新薬が効かなくなったのか、その理由はわからない。
10万人に3人というこの病気には
あまりにもデータが少なすぎた。
あんなに自分の復帰を歓んでくれた仲間たちに申し訳なかった。
自分の身体が情けなかった。
誰かに弱いところは見せたくなかったが
流石に落ち込んだ。
いったい、Tが何をしたというのだろう。
神様がいるとしたら、彼は本当に残酷だ。
職場の仲間にメールを送った。
「新学期早々の時期にこの体たらくで何とも申し訳なく
お詫びの言葉もありません。
小生としては病院通いが日課の人生よりは
寿命を縮めてでも今の社会性を保ちたいのですが、
それでは先生方や他のスタッフに及ぼす迷惑を考えれば
独りよがりではあります。
次の治療に入る前に伺って、
辞職も含む相談をしたいと思っています。」
次の治療とは、移植のことだ。
このまま寝ていても復職は望めない。
自分のためにも、移植を望む妻のためにも、
Tは決意した。
現在移植の適応は50~55歳以下に限られている。
また、造血幹細胞移植に伴うGVHDなどの合併症の死亡率も無視できない。
60歳という年齢もあり、移植はかなりのハイリスクだ。
無菌室から、もう戻って来られないかもしれない。
自分は病人として、ひとりガラスの向こうで死んでいくかもしれない。
遺書を用意した。
辞職を申し出るも、職場の返事はNOだった。
「治療に専念してください。
みんなT先生を待っています。」
温かい言葉をもらった。
自分はなんと人に慈まれたことだろう。
造血幹細胞移植には二種類ある。
一つは骨髄移植。
白血球の血液型であるHLA型が、ドナーと移植対象患者との間で適合しないと
拒絶反応やGVHD(移植片対宿主病)が起きる。
HLA型が適合して移植が可能になる確率は、同父母の兄弟姉妹間で25%。
非血縁者間では数百~数万分の1といわれている。
通常親子間では適合しないことが多い。
血縁者にドナーが見つからない場合は、骨髄バンクなどを介して非血縁者間移植を行うこともある。
2人の妹とも、娘たちとも適合しなかった。
10万分の3には当たるのに
4分の1には当たらなかった。
そういえば宝くじも当たっていない。
骨髄バンクのドナーは三人いたが、これはかなり少ない人数らしかった。
骨髄移植にはドナーの選定・調整に時間を要するため、
ある程度人数が確保できないと移植はできないということだった。
もう一つの方法、臍帯血(さいたいけつ)移植を行うことになった。
これは、赤ちゃんのへその緒から
造血幹細胞を取り出し、移植するものだ。
赤ちゃんの細胞なので、成人の造血幹細胞より若く
造血機能があると考えられている。
また、細胞が未熟なため、移植患者を異物として攻撃する力が弱く
ドナーの細胞が患者の細胞を攻撃するGVHDが起こりにくいとされている。
このようなメリットがある反面
移植する細胞数が少ないため、
幹細胞の生着(自分の細胞として落ち着くこと)不全のリスクや
再び自分の細胞として血を造り出すのが遅いというデメリットもある。
更に、移植前には致死量を超える大量の抗がん剤投与及び放射線照射が行われる。
患者の造血機能を完全に破壊する為、その後必ず移植を行わないと死んでしまう。
この前処置による生命の危険をうまく回避し
移植後のGVHDや感染症リスクを乗り越え
細胞が生着し
再発することなく造血機能が復活する
という、気の遠くなるような試練を乗り越えて
初めて成功と言える。
もはやTに選択肢は残っていなかった。
もう一度復職したい。
そのために闘うのだ。
移植といっても、外科的手術ではなく、造血幹細胞を静脈から注入するだけである。
順調にいけば2週間ほどで注入したドナーの造血幹細胞が生着し
正常な血液を造り出すようになるはずだった。
重度のGVHDが起これば生命に関わるが、適度であれば再発の可能性が低くなる。
つまり、しんどければしんどいほど
生着した時に丈夫で心強い細胞になってくれるというわけだ。
その分、ここで生命を落とすケースも多い。
全てが順調であれば移植後3ヶ月ほどで退院可能とのことだった。
5月、移植に向けて抗癌剤治療が始まった。
抗癌剤をやると、口の中の水分がなくなって気持ち悪い。
味覚障害や吐き気、口内炎で食欲がなくなった。
退屈な入院中、病院食は口に合わなかったので
レトルトのカレーを食べることが多かった。
感染症予防のため、真空パックしてあるレトルトや缶詰しか食べられない。
レトルトを温めてもらうために看護師さんに来てもらうのは申し訳なくて
いつも冷たいまま病院のごはんにかけて食べる。
デザート系も、蓋が二重になっているものしか食べられない。
例えば、アイスクリームではハーゲンダッツくらいしかない。
こんな病気にならなければ、滅多に食べない高級アイスだ。
妻や娘たちがいろんな味のハーゲンダッツを買ってきたが
Tはバニラが1番好きだ。
移植で髪が抜ける前に、坊主にした。
アザシチジンが効いていた。
土日も休まず働いた。
毎日が楽しかった。
3月、職場の仲間たちが屋形船を貸し切って
復帰祝いを盛大にしてくれた。
少し熱っぽかったが
仲間たちの気持ちが嬉しかったし
まだしばらくは働けるという希望でいっぱいだった。
次の日、発熱で再入院した。
白血球の減少による感染症治療のためだ。
マルクの結果も思わしくなかった。
この先新薬を使っても、効果は期待できないとのことだった。
なぜ新薬が効かなくなったのか、その理由はわからない。
10万人に3人というこの病気には
あまりにもデータが少なすぎた。
あんなに自分の復帰を歓んでくれた仲間たちに申し訳なかった。
自分の身体が情けなかった。
誰かに弱いところは見せたくなかったが
流石に落ち込んだ。
いったい、Tが何をしたというのだろう。
神様がいるとしたら、彼は本当に残酷だ。
職場の仲間にメールを送った。
「新学期早々の時期にこの体たらくで何とも申し訳なく
お詫びの言葉もありません。
小生としては病院通いが日課の人生よりは
寿命を縮めてでも今の社会性を保ちたいのですが、
それでは先生方や他のスタッフに及ぼす迷惑を考えれば
独りよがりではあります。
次の治療に入る前に伺って、
辞職も含む相談をしたいと思っています。」
次の治療とは、移植のことだ。
このまま寝ていても復職は望めない。
自分のためにも、移植を望む妻のためにも、
Tは決意した。
現在移植の適応は50~55歳以下に限られている。
また、造血幹細胞移植に伴うGVHDなどの合併症の死亡率も無視できない。
60歳という年齢もあり、移植はかなりのハイリスクだ。
無菌室から、もう戻って来られないかもしれない。
自分は病人として、ひとりガラスの向こうで死んでいくかもしれない。
遺書を用意した。
辞職を申し出るも、職場の返事はNOだった。
「治療に専念してください。
みんなT先生を待っています。」
温かい言葉をもらった。
自分はなんと人に慈まれたことだろう。
造血幹細胞移植には二種類ある。
一つは骨髄移植。
白血球の血液型であるHLA型が、ドナーと移植対象患者との間で適合しないと
拒絶反応やGVHD(移植片対宿主病)が起きる。
HLA型が適合して移植が可能になる確率は、同父母の兄弟姉妹間で25%。
非血縁者間では数百~数万分の1といわれている。
通常親子間では適合しないことが多い。
血縁者にドナーが見つからない場合は、骨髄バンクなどを介して非血縁者間移植を行うこともある。
2人の妹とも、娘たちとも適合しなかった。
10万分の3には当たるのに
4分の1には当たらなかった。
そういえば宝くじも当たっていない。
骨髄バンクのドナーは三人いたが、これはかなり少ない人数らしかった。
骨髄移植にはドナーの選定・調整に時間を要するため、
ある程度人数が確保できないと移植はできないということだった。
もう一つの方法、臍帯血(さいたいけつ)移植を行うことになった。
これは、赤ちゃんのへその緒から
造血幹細胞を取り出し、移植するものだ。
赤ちゃんの細胞なので、成人の造血幹細胞より若く
造血機能があると考えられている。
また、細胞が未熟なため、移植患者を異物として攻撃する力が弱く
ドナーの細胞が患者の細胞を攻撃するGVHDが起こりにくいとされている。
このようなメリットがある反面
移植する細胞数が少ないため、
幹細胞の生着(自分の細胞として落ち着くこと)不全のリスクや
再び自分の細胞として血を造り出すのが遅いというデメリットもある。
更に、移植前には致死量を超える大量の抗がん剤投与及び放射線照射が行われる。
患者の造血機能を完全に破壊する為、その後必ず移植を行わないと死んでしまう。
この前処置による生命の危険をうまく回避し
移植後のGVHDや感染症リスクを乗り越え
細胞が生着し
再発することなく造血機能が復活する
という、気の遠くなるような試練を乗り越えて
初めて成功と言える。
もはやTに選択肢は残っていなかった。
もう一度復職したい。
そのために闘うのだ。
移植といっても、外科的手術ではなく、造血幹細胞を静脈から注入するだけである。
順調にいけば2週間ほどで注入したドナーの造血幹細胞が生着し
正常な血液を造り出すようになるはずだった。
重度のGVHDが起これば生命に関わるが、適度であれば再発の可能性が低くなる。
つまり、しんどければしんどいほど
生着した時に丈夫で心強い細胞になってくれるというわけだ。
その分、ここで生命を落とすケースも多い。
全てが順調であれば移植後3ヶ月ほどで退院可能とのことだった。
5月、移植に向けて抗癌剤治療が始まった。
抗癌剤をやると、口の中の水分がなくなって気持ち悪い。
味覚障害や吐き気、口内炎で食欲がなくなった。
退屈な入院中、病院食は口に合わなかったので
レトルトのカレーを食べることが多かった。
感染症予防のため、真空パックしてあるレトルトや缶詰しか食べられない。
レトルトを温めてもらうために看護師さんに来てもらうのは申し訳なくて
いつも冷たいまま病院のごはんにかけて食べる。
デザート系も、蓋が二重になっているものしか食べられない。
例えば、アイスクリームではハーゲンダッツくらいしかない。
こんな病気にならなければ、滅多に食べない高級アイスだ。
妻や娘たちがいろんな味のハーゲンダッツを買ってきたが
Tはバニラが1番好きだ。
移植で髪が抜ける前に、坊主にした。
