佐賀県唐津市を歩く4
放浪日2019年8月17日
佐賀県唐津市のマニアックを探し
【名護屋城】の謎を解いてみましたが
解けませんでしたw
さて、お次はマニアックから外れて
有名な【唐津城】を歩いて観てみましょう♪
【唐津城】の始まりは
【名護屋城】と言われています
【名護屋城】は7年という短い期間で
廃城となりましたが、
その一方で、この地に“南蛮商業”や“能・浄瑠璃”“茶の湯”“唐津焼などによる安土桃山文化”“石工技術”等を唐津市に根付かせる結果となったのでした!!
秀吉の側近であった初代藩主“寺沢志摩守広田高”は唐津城下の河口大改造を行ったのです
新田開発の為に東に延びる砂洲に黒松の植林を行い、紀州から漁夫を雇い入れ、鯨漁を導入
【唐津城】は本丸・二の丸・三の丸・外曲輪に割り、外堀沿いに東西に町割りを行いました
おっさんであっても、まだまだ健脚なので
歩いて【唐津城】まで登っていきます
現代では唐津市のシンボルとなっている【唐津城】です
【唐津城】は唐津湾に面するために海城と言われ
山口県の萩城と同じく海にそびえる石垣が観られます
城から左右に広がる砂浜があり
鶴が翼を広げたように見えることから
“舞鶴城”とも呼ばれていました
健脚でもキツイ階段を登っています
おっ!フジの樹勢を回復させている!
昨年は残念だったのですね!
今年からは徐々に勢いを増していってくれるでしょう
藤棚は完璧ですから!!
おっと、、、石垣も修繕中でしたか!
実は建築当初、天守は天守台までしか建築されなかったそうです
江戸幕府の記録にも店主の存在を示す資料は確認されていないそうです
天守を描いた絵図や設計図もなく、現在の天守は“当時の様式で建築されていただろう”と昭和41年に造られたモノだそうです
まぁ、あまり細かいことは気にしないようにしましょうw
工事用仮囲いに石垣修繕のことが記されていました
築城の様子は諸説ありだったのですか!
徐々に謎が解明されていくと良きですね
旧石垣が存在しただと!!
では、現石垣は誰がどうして造ったのか?
解明するどころか、謎が増えていっていますw
【名護屋城】には豊臣秀吉が広めた“金箔瓦”が使用されていたのですね
では、【唐津城】にも使用されていた可能性もありですか?
ん?旧石垣の裏から“金箔瓦”が見つかった??
謎が謎を生むネバーエンディングストーリーが始まっていませんか?w
なるほど!第2の【名護屋城】がここに建っていたと予想しますか!!
それは、あり得るかもしれません!
『こんな石垣は初めてです!』と言っているw
多くの学者と共に調査しているのでしょうが、新たな日本歴史が生まれたのでしょうか?
調査チームは、全国に類のない石垣に大興奮だったでしょうね
現在の石垣の修復を行っていたのですね
全国に類を見ない石垣はどうなったのでしょうか?
なるほど!石垣を撤去しても天守には何も問題が無いのですね!
さすが!模擬天守!!模擬で良かったw
なるほど!石垣の裏部分にアンカーを打って強くするのですね!
石垣を撤去して不安定になった天守も仮に補強する徹底さです
コンクリート基礎杭を避けて斜めにアンカーを打設します
これによって、安定地盤と石垣裏の法面が一体化されます
なるほど!受圧板がメカニックでカッコイイ!!
そして、何もなかったように復旧します
なかなか困難なプロジェクトだったと思いますが
教えて貰わなければ分からないプロジェクトですね
小ぶりながらも美しい“唐津城天守”ですね
この様に昭和41年に建築された“唐津城天守”は
唐津市のシンボルとして、これからもずっと活躍できるでしょう
えっつ!偽観光案内人がいると!??
彼らの狙いは何か分かりませんが、なんとも物騒なことです
あもんは本当の観光案内人も必要としていないので、大丈夫でしたよ!
ということで、続きます




























