放浪日 2021年11月14日
【音戸渡船】の倉橋島側の渡船場へ行って観ました
そして、この界隈にはあもんの好物であるエリアもあります
懐かしい昭和が残る裏通り【音戸旧道】です!
昭和30年代がそのまま残っているとは、よだれが出そうですw
音戸の瀬戸は奈良時代に朝廷によって難波津から大宰府を繋ぐものとして整備されていたと言われています
倉橋島は“長門島”と呼ばれ“潮待ちの港”が存在していました
更に、遣隋使の船がこの島で作られたとも言われています
北側には“渡子”という地名もあり、7~9世紀には渡船があったとも言われています
おお!さっそく“昭和30年代”の建物を見つけましたよ!
自己啓発系の本が早くも重版決定ですw
小さなショーウインドウがある奥ばった玄関
昔から色んな飾り物で楽しませてくれていたのでしょう
のらくろの置物!?しかもサンタ仕様!!
昭和30年代どころか、昭和一桁時代ですけど!
お宝探偵団レベルがサラっと置かれている高レベルな通りです!!
かつては銀行や商店、劇場、旅館などが並び、賑わっていた旧道沿いです
なかなかレベルの高い昭和が残っている雰囲気があります
なにですか!このピンクの洋館は!
これまた、あもんの大好物に出会いましたよw
色褪せたピンクにひっそりと迫る蔦!
徐々にジブリ化していきそうな勢いです!
なんとも素晴らしいビジュアルなんだ!!
ちょっと興奮気味にずっと眺めていました
すると、この建物の前のお宅からおばあちゃんが出てきました
『こんにちは~』とすかさず話しかけるが、あもんです
『この建物は何ですか?今は?』という質問におばあちゃんは優しく答えてくれました
『この建物は銀行じゃってからね~今は使うてないんよ~』
『銀行止めてから、製網会社が使いよったけど、やめちゃったみたいじゃね』
『うちも昔商売やりよったけど、もう止めたんよ~』
この建物は【旧呉銀行音戸支店】で明治4年に地元の商工業者が中心となって開設したそうです
昭和2年の金融恐慌により呉銀行に合併され、昭和20年に5行が合併して現広島銀行となりました
明治の建物が未だにちゃんと存在しています
ちょっと元気は無いけど、リノベーションしたらまだまだ働いてくれそうです
明治初期の熱い情熱が4世代を超えてもまだ残っている気がしますね
久々に建物を観て興奮をしておりますw
『昔は、音戸高校の生徒がようけ通りよったけぇ、楽しかったんよ~』
『生徒の成長を見ながら商売しよったけぇね』
『可愛がったり、怒ったりして、それでもおばちゃんって、寄って来てくれて』
『生徒たちが大人になって島から出て行って。。』
『今はすっかり生徒も通らんようになって、商売もできんくなってね~』
おばあちゃんはどんどん喋りはじめた
あもんはここでも聞き上手になり、おばあちゃんとのひと時を過ごしました
『ありがとうございました』と最後に挨拶をすると
『ここら辺は、昔、遊郭じゃったけぇね~』
『えっつ!マジですか!』
『今は何も残ってないけど、あの辺にあったんよ』
『軍人さんも外人さんも、あの頃はようけ歩きよったわ~』
と最後に有力な情報をゲットしたのでしたw
通りにお店は少ないですが、実力のある建物が残っています
まだまだ手を掛ければ、昭和30年代の復興が出来そうな気がします
これは、もしや、元置屋ですか?
この通りが遊郭跡地だと知った途端にそう観えてきますねw
“写場”がまだ存在している!
デジタルが主流となった今でも“写場”が存在している!
素敵なデザインですね~
雑に描いているようで、繊細な筆使いでもあります
さりげなく立っている電柱は木柱です
かなり久しぶりに観た気がします
良い感じに緑に苔っていますね~
木電柱にお店の看板も昭和遺産のひとつです
これは、電力会社が点検をしたという証です
木柱も建物と同じで、きちんとメンテナンスをすれば長生きするモノなのですね~
これも、明治時代を匂わせる門ですね
これが、もしや入り口ですか?
いえ!違いました!“音戸高校校門”でした
昭和15年から沿革のある高校です
あの、おばあちゃんが育てた高校生もここに通っていたのですね~
普通のお宅でしたが、一部だけ歴史的建築物ですw
勝手口にあるガスの給湯器口でしょうか?
今や懐かしい赤ポストが何も違和感が無い通りです
それより、違和感があるのは手前の電柱でしょう
どうして、こうなったのでしょう?
後から建物を造ったシリーズですか?
そして、何故、短い?
ワイヤーが張られているので
対面にある電柱の支えとして活躍しています
そして、この木柱もきちんと点検済みですね~
ということで、続きます