大阪府堺市を歩く4~密かに“日本唯一”である【自転車博物館】に入って観よう!~の巻 | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

放浪日:2018年5月20日

 

世界三大墳墓である【仁徳天皇陵】の近くにあった【堺市博物館】で

堺の歴史を楽しく勉強をしています

堺市にとって江戸時代の鎖国制度は大ダメージでした

貿易が無くなった事により経済の中心が大阪に移り

その上、大和川の付け替え工事により陸続きであった堺と大阪が分断されたのでした

江戸後期になると醸造業などで活気を取り戻すようになります

幕末の欧米列強の大阪開港要求が出た時に堺市が第一候補に挙がりますが

堺周辺にある古墳が外国人に荒らされるのでは?という懸念から

第二候補の神戸が開港地に選ばれたのでした

それでも、明治時代以降からは紡績や煉瓦産業を中心に工業都市へと変貌を遂げ

阪神工業地帯の一角を占める都市として成長していきます

古墳を壊さないように町づくりをしているのが分かりますね

なんですか?これは?

おお!日本最古の木造洋式灯台の頭ですか?

貿易や産業の発展より、やはり堺と言えば仁徳天皇陵です

現代ではCGによる再現で、誰もが簡単に妄想することが出来るようになりました

江戸時代ではこのレベルでしたw

ちょっと違う気がするけど、当時は空が飛べなかったので、しょうがないw

島のような城のように描かれています

写真技術が発達しても、その全容は掴めなかったご様子

どう見ても島か城

全ては言い伝えでしかなかったのでしょう

そして、人が空を飛べるようになった時

『なんですか!これはっつ!』となったのでしょう

『なんで、こんな形なの?』『鍵??』

『昔の日本人は、どう確認してこれを完成形だと思ったの?』

なんて感じで、全世界が驚いたでしょうね~

“古墳時代”という概念も生まれて、“日本人の謎”が深まった結果に

エジプトのピラミッドや中国の始皇帝陵なども凄いお墓ですが

ネットの無かったこの時代に、誰と競い合ってこのお墓を企画したのでしょうか?

誰も真相を知らないという浪漫があって良いですよね~

【大仙公園】にはその他のお墓がさりげなくありました

小さな柵があるだけで、その付近で皆さんがくつろいでいます

『あれ、お墓なんよ~』

『えっ?石じゃないん?』

『そうなんよ~昔の人のお墓はね~大きいんよ~』

なんて、親子の会話が聞こえてきそうw

『お墓に入って、木に生まれ変わったん?』

『うん、そうかもしれんね~』

『うちも木になりたい~』

『ほうじゃね~いい子にしとったら、なれるかもしれんね~』

古代の人はこういう団欒を期待したのかもしれませんねw

近代的な古墳ですか?w

よく見たら“平和塔”でありました

堺市は5回の空襲被害を受けています

軍需工場を壊滅させる目的の空襲と言うのは表向きで

実際は非戦闘員を目標にした無差別激爆であったみたいです

1971年昭和46年に高さ60mのシンボルタワーとして建てられました

内部は非公開ですが、階段で頂上へ上るのが可能だそうです

頂上から仁徳天皇陵が見えるかもしれませんね~

ほほぅ~熊野古道への道が続いているのですね~

公園内には【自転車博物館】がありました

密かに“日本唯一”だそうですよ!

【自転車博物館】は1992年に出来た自転車に関する博物館です

世界最古の自転車からオリンピック出場車までの自転車歴史車を約300台実物展示されているそうです

予定にはありませんでしたが、入場無料だったので潜入して観ましょう!

まずは堺市の自転車の歴史から

貸し自転車屋さんっていうのがあったんですね

今でいうレンタカーですね

自転車の部品を作ることから始まり、国産自転車を作れるようになりました

昔から鉄砲をさんざん見てきたので、お茶の子さいさいだったのでしょうw

昭和30年にサイクリングブーム到来でしたか!

そして、高度成長期に発展できたのは団地のおばちゃんに人気だったことが!w

皇太子殿下に献上された補助輪付きの自転車ですか!

今の上皇様が3歳の時に乗っていた自転車です!



こちらは上皇様がご成婚された時に記念自転車!

堺市の自転車は皇室の方々の自転車テクを進歩させていたみたいです!

仲睦まじい平和の象徴のような写真です

平和になった日本を表現するのに堺市の自転車は役立っていたのですね!

この二人乗りはOKだったのでしょう

戦後復興の平和象徴ですから、OKだったのでしょうw

 

ということで、続きます