放浪日:2018年5月20日
世界三大墳墓である【仁徳天皇陵】の近くにあった【堺市博物館】で勉強をしています
堺と言う地は平安時代の摂津国、河内国、和泉国の境として始まったと言われています
鎌倉時代以降には荘園となり、その後は東西の幹線の通り道として多くの人が行き交ったそうです
自然な良港として評価され南朝の外港として発展
室町時代には日明貿易の拠点となり、戦国時代に引き継がれます
日本国内からの、そして、世界からの多くのモノの入り口となり、新しいモノが堺に集まるようになります
新しいモノには人が集まるのが常であって、堺で日本文化が生まれていったと言っても過言では無いでしょう
自由都市だった堺がここにはありました
鉄砲が種子島に伝来された時に真っ先に持ち込んだのも堺です
この頃からイケメンが誕生していたのも堺らしいですw
鉄砲足軽でも、主役級のイケメンです
大将はこれほどのイケメンを備えていた超イケメンだったのでしょうか?w
はい♡分かりました♡
予想通りのS寄りキャラで女子は納得でしょうww
鉄砲ネタと思ったら絨毯ネタから掴むとはw
女子の掴みは上手なイケメン足軽さんですねw
イケメンからのゆるキャラで攻めますかw
子供女子の心を掴むのが上手なご様子でw
大航海時代の堺は、さぞかし楽しかったでしょうね~
毎日が『なんですか!これは!』の連続だったでしょうからw
火縄の原理は日本でもあったでしょうが
それが爆発して武器になるとは日本人誰もが思わなかったでしょう
火縄銃伝来によってポーチも進化したようですw
戦場で持ち物が増えましたが、お洒落アイテムが増えたのもポイントですw
外国人が考察した技術を盗むのも日本人の技術です
この時から培われた技術によって、世界が日本を認めることになったのでしょう
まずは、分解からしたのかな?
分解したけど、戻せない!
分かりますw小学生の時によく経験しましたからww
火縄銃の売買が行われことが堺市の発展となりました
安土桃山時代には貿易港としての地位を揺るぎないものとしました
堺市では戦乱から町を守るために商人たちが自治的な都市運営を始めます
町の周囲に堀を巡らせ、会合衆という団結団体も結成
しかし、自治都市まで成長した堺市は
織田信長や豊臣秀吉の制圧を受けてしまいます
ヨーロッパ人も多く訪れ、日本地図を残していました
世界で初めて日本が描かれた地図だそうです
現代の地図と基本的に違いはありませんが、北海道が無いですw
我が中国地方をアップ
読めそうで読めないローマ字で地名が書かれています
ちょっと違うけど、あっているw
美作(みまさか)は“みまふぁか”と
当時の外国人にはこう聞こえていたんですね~
1669年の堺市の風景ですか
外国人が描いたのだと思われます
えっつ!?飛び込み?w
捕虜が逃げている系ですかね?
“モンタヌス日本誌”とはヨーロッパ人が空想で描いた鎖国中の日本を紹介した本だそうです
日本には人面牛がいると空想されたらしいw
おお!堺市の祭礼鉾です
ふとん太鼓と呼ばれています
布団というか、座布団ですねw
重さは1~2tあり、約50~70人で担がれ
ふとんには少年4~8名が乗り込むみたいです
この時の乗り子は舞台化粧並みの厚化粧で、豪華な衣装を着る場合は多いそうです
堺市では明治29年の祭礼の時に狭い道で2つの鉾が鉢合わせとなり
双方道を譲らず死傷者がでるまで喧嘩したそうです
その後、しばらくは鉾曳禁止となったみたいです
大正時代にふとん太鼓が奉納され、堺のふとん太鼓の黄金期を迎えます
昭和に入ると人手不足などでふとん太鼓を手放す人が増え、多くのふとんが吹っ飛んだみたいですw
ふとん太鼓の写真がありました
時代からなのか、みなさん気合が入っていますw
これだけのパンチパーマが集まれば、気合も入りますよね~w
ということで、続きます