倉敷市を歩く⑥~日本唯一であろう【ジーンズミュージアム】で学ぼうw!の巻 | あもん ザ・ワールド

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岡山県倉敷市

港湾と工業が栄え、観光に発展した岡山市の衛星都市である

中国地方で3番目の人口を擁する中核市でもある

倉敷美観地区や瀬戸大橋などが有名な地域であるが

もっと面白いモノが倉敷市にはあった

 

放浪日:2018年1月21日

【ジーンズミュージアム&ビレッジ】に着きました

経営している【ベティスミス】は1962年からある老舗会社です

国産ジーンズ発祥の地である児島を盛り上げようと

“日本初のジーンズ博物館”を2003年に開館してくれました

あもんはジーンズフェチではありません

フェチの方が見たら食いつく“リーバイス501XX”の復刻モデルです

アメリカ開拓時代から第一次世界大戦の間にジーンズの源があったそうです

グッジョブ♪w

ジーンズよりこちらに喰いついていますw

ジーパンが世に登場したのは1870年代

当時ゴールドラッシュに沸く北米の鉱夫が『ズボンが直ぐに擦り切れてしまう』という悩みから生まれたそうです

とある仕立て屋さんがリーバイス社の生地を使用し、銅リベットでポケットの両端を補強した作業用ズボンがジーパンの第一号だったらしい

ネイティブアメリカンですか?初めて見ました

日本でいうアイヌ系のお顔立ちです

ガラガラヘビがやってきてたそうですw

ジーパンが評価されたきっかけは、映画の中のカウボーイ達のファッションで

リベットで馬の鞍を傷つけない様に改良を加えた所

実際のカウボーイにも高評価を受けたそうです

映画を観た富裕層がカウボーイに憧れて、市場に出回ったらしいです

第二次世界大戦による物資統制でリベット等の使用が禁止されますが

これを機にオリジナルなモノへと発展したそうです

そして戦後にジーパンはカジュアルウェア市場に挑戦していきます

日本にジーパンが普及したのは1960年代です

そのきっかけは、終戦後にGHQが古着のジーパンを大量に放出したことらしです

1958年に岡山で日本初の生産を開始し現在に至るそうです

児島は古くから繊維の町として知られており

江戸時代には刀の柄に巻く真田紐の産地として発展

明治大正時代には足袋の産地として発展

1962年開業の大島被服、現在の【ベティスミス】です

昭和時代に入ると児島は学生服の町と呼ばれるほど生産が盛んになりました

働いていた女工の多くは近県の集団就職だったそうです

こっそりと、児島うどんも宣伝中w

最盛期には生産量1千万着超えを記録した学生服ですが

徐々に生産は下降し、そこで代わって盛んになったのがジーンズの生産だそうです

歩むべき道を歩んだ児島の方々の結果だったのですね

えっつ!国生さん!

ジーンズがお似合いですw

ジャケットはMA-1でしょうか?

緒方さんと牧瀬さんも一緒にw

トレンディードラマもジーンズを進化させた要因でしょう

サザエさんのご当地シリーズw

これ、見てましたw

社宅であろう建物壁もオシャレに

さすが、【ジーンズミュージアム&ビレッジ】!

一種のアミューズメントパークとなっております

この他に庭園やドッグラン、参加型農園とかありましたよ

ジーンズ作り体験工場もあったりして

お時間がある方は体験しまくる方が楽しいかも

おっと!【ジーンズミュージアムⅡ】がありました!

これは、迷うことなく入って行くでしょう!

 

ということで、続きます