広島市内を歩き飲み食べて観る38~広島市中区袋町【工兵橋】~の巻 | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

放浪日:2017年7月16日

 

広島市水道資料館を後にして、少し広島市内方面へ歩いてみました

牛田から白島方面へ歩いています

新こうへい橋がありました

決して、こうへい君が造った橋ではありませんw

新”があるのなら、“旧”があります

それは隣に掛かっていおります

工兵橋です

工兵橋は白島という地区にあった陸軍工兵第5連隊と

牛田という地区にあった演練場を結ぶために

明治22年に架けられたのが歴史の始まりとなります

大正8年に洪水により落橋してしまい、大正10年に現在の吊り橋となりました

京橋川という川に架かっています

カッパがいるぐらい綺麗な川です

せっかくなので、広島市の歴史ある橋を渡ってみましょう

ん?吊り橋のワイヤーが普通に車道を横断していますがw

ワイヤーの先を探してみると、余裕で他の敷地に入っていますw

こちらに限っては、完全に隣の塀の中に入っているではありませんか!

公共施設が民間住戸の敷地にある珍しいシリーズですw

そうですよね!器用な人ならワイヤー渡りが出来そうなシリーズとなっています

でも、それはコチラでブロックですか!効果ありますか?

さて、工兵橋を兵隊さんになったつもりで渡ってみましょう♪

工兵橋の構造は単径間補強吊橋で木製床版です

恐怖を感じるほどではありませんが、吊り橋なので上下に揺れます

橋フェチの方なら心地よいと感じる揺れであります

工兵橋は昭和8年、昭和29年に架け替えられ、昭和61年にケーブル取り換え等の補強が行われています

縦と横のかかる荷重をこの無数のワイヤーで分散して保っています

ワイヤーなので揺れますが、その揺れが外力を吸収してくれて、構造物材料に直接負荷が掛からない様になっているのです

何事も“強いモノは脆いモノ”です

強いということは“耐えている”ということで、それには限界があります

強ければ強いほど“ポキッツ”と折れてしまうんですよね

工兵橋も1990年代に入り老朽化が目立つようになり

広島市は撤去を検討しましたが、地元住民の反対により頓挫しております

そう、工兵橋も被爆建物でした

錯乱状態の大勢の被爆者が何かから逃げるために命懸けで渡った橋でもあります

 

原爆によって爆心地から白島地区までは全焼されました

爆風の方向と平行方向に掛かっていた工兵橋は損傷はあったものの、全壊はしませんでした

火の海となった市街地から火を避けて歩いていると、京橋川から先はまだ火の海となっていない

被爆者は、それはそれは必死だったでしょう

傷ついた体で壊れた橋を渡らないといけない現実を目の前に、生きる気力を失った人もおられるでしょう

怖がる子供を勇気づけて一緒に渡った方もおられるでしょう

また、渡った直後に気力を使い果たし、命絶えた方もおられるでしょう

多くの悲しみに小さな希望を与えるために工兵橋は原爆に耐えました

そして現代でも、多くの広島人に勇気と希望を与えた橋は、静かに広島人を渡しております

さて、アストラムラインの白島駅まで来ました

アストラムラインに乗って、カフェでお茶を飲もうと、八丁堀まで行こうと思っています

八丁堀まではアストラムラインで数分間です

あの時、広島市内から工兵橋までは何時間掛ったのでしょうか?

目をつぶりたくなるぐらいの風景の中を人間の生死を横目に見ながら

自分が生き抜くために歩き続けたのだと思います

誰に怒りをぶつけていいのか、誰に助けを求めればいいのか

それさえも分からず歩き続けたあの時の広島人

目を疑うぐらいの風景が造られた中を人間の生死と向き合いながら

なんとか、生き抜いた未来であったと思います

誰に怒りをぶつけていいのか、誰に助けを求めればいいのか

それさえも分からず生き続けたあの時の広島人

そんな“あの時の広島人”の想いも乗せて

アストラムラインは今日も走っているのだと思います

 

 

 

 

 

 

2017716日 広島県 広島市(カフェエスプレッシーボ2nd )に続く