A MAN IN SUSTAINABLE SOCIETY -35ページ目

西武の金銭供与問題に見る親としてのモラル

まあ、こういう話は、他にもあるでしょう。

逆指名、希望自由枠…名前を変えつつも続くシステム。

このシステムが問題の一端を担っていることは確かでしょう。

ただ、それが全てではないのでは?とも思ったりします。


もちろん、西武は悪い。

自分は横浜ファンなので、

一場問題の時は恥ずかしくて仕方なかった。


西武のファンの方も、同じような心境かもしれません。




ニュースを見ていて気になったのは、

金銭供与を受けていた内の、

早稲田大学の選手の親。


「息子は知らなかった。」

「俺が勝手に貰っていた。」


そして、息子は現在謹慎中。



大学生の子どもがいるということは、

もうそれ相応の年齢の方だと思います。


(もちろん、息子を庇う為に嘘をついているという可能性もありますが、)

これが本当に事実だったとしたら、

息子さんは何もしようがないですよね。



モラルというのは、

人間同士が助け合いながら生きていく中で、

根本的に必要なもの。


親は子どもに、子どもはその子どもに、

伝えていかなくてはならない。



なのに、自ら率先してモラルを破る親。

モラルを破る親の背中を見て育った子どもが、

モラルを守るようになるんでしょうか?


給食費を払わない親もそう。

同じ問題のような気がしてなりません。



自分が親であれば、

もし自分ではなく、子どもがそうやって大金を貰ってきたら、

子どもを叱り、すぐに一緒にお金を返しに行くと思います。


もちろん、そういうケースに出くわした事が無いし、

そもそも、自分にはまだ子どもがいないので、

100%そう言い切れる訳ではないですが、

そういう親であろうとは100%思っています。



人の大半は誰かの親になります。

親のモラルは社会のモラルと近いでしょう。


野球界が今回の問題を解決しようとした時に、

「自由枠撤廃、完全ウェーバー制」と切り替えても、

確かに、自由枠があるよりは良い状態になるかもしれませんが、

こういう問題は繰り返されると思います。


そのシステムを運用する人間そのものが、

モラルを失いつつある現状では、

その内、またこのような問題が起こるでしょう。



もう、これは野球界だけの問題ではないような気がします。

人としてのモラルを守ろうとする心。

これが無くなれば、

球界どころか、何も成り立たなくなってしまう。



では、球界を何をすべきか?

スポーツは子どもの頃、学生時代の教育にも非常に役立つ。

スポーツは、体もそうだけど、

本当に心が鍛えられる。


その鑑となるべきプロスポーツ界がこれでは、

役立つものも役立たない。



「金銭供与を無くす」という部分最適ではなく、

実はプロスポーツ界が背負っている使命を、

どうやって実現していくか、という視点に立って、

野球界を盛り上げていって欲しい。


全体最適を考えられる、そんな球界であって欲しい。

そんな風に思いました。

人に教えるという学習スタイル

人に何かを教える、伝える。
この作業は教える側にとっても勉強になる。

この作業を教育にどんどん取り込んでいくべき。
家庭教師をやりながら、
つくづく感じた。

「自分が好き」?

私は自分のことがあまり好きではない。
昔は嫌いだった。

ただ、嫌ってる自分が謙虚に思えて、
そういう自分であろうとした。
ならば、自分を嫌ってる自分を、
好きだったのかもしれない。

無限ループだ。
そもそも、自分自身を、好きだとか嫌いだとかいう、
主観的な感覚で測ろうとするのが、
おかしさの発端と考えられる。

他人に対する好き嫌いを言うのもあまり良い行為と思えないが、
自分に対する好き嫌いを言うのは不毛だ。


あえて言うなら、
自分を嫌いと言う人も、
「他人として自分のような人と付き合うのは嫌。
でも、自分のことは好き」
という辺りに落ち着く気がする。


自我に対して、
むやみに客観的であろうとしなくていい。

それよりも、
周りの人の声に謙虚に耳を傾けようとする姿勢を保つこと。
そして積極的に自分を変えていこうとすること。

そうすることが、
自分に対して客観的になる一番の近道。
そんな気がする。


かと言って、
「もっと自分を好きになって」
というようなメッセージは、
悪くないと思う。

どうせ考えても一緒なんだから、
より良いイメージを自分に持っておく方がずっと良い。

今はそう考えている。