not ready to make nice
http://www.youtube.com/watch?v=o-lJu5ibAM8
ちょっと時期は外れてしまったのだが、
今年のグラミー賞で5部門獲得のディクシー・チックス。
2003年に、コンサート中に、
"Just so you know, we're ashamed that the president of the United States is from Texas."
と戦争にひた走ろうとするブッシュを批判。
彼らの属するカントリー界というのは、
国至上的、保守的なファンが多いので、
彼らは批判にさらされ、脅迫もかなり受けたらしい。
しかし、彼女達はくじけなかった。
そして、見事復活。
このnot ready to make niceでは、
その頃の悩み、苦しみ、怒り…
あらゆる感情が表現されている。
そして、この曲調、ハーモニー、
これだから、洋楽が良いんだよなー、
と再確認。
何が良いのか、説明は出来ないんだけど。
アルバムの説明に、
「伝えたいメッセージが出来て、
彼女達は本当の歌手になった」
なんて書いてあったけど、
本当にそうだよなと思う。
歌の上手い人間なんて、探せばいくらでもいるけど、
結局、プロの歌手と一般の歌の上手い人の違いは、
「メッセージ」だと思う。
歌詞を自分で書いているかどうかという表面的なことではない。
心の中にあるものを、
上手く表現できない人もいる。
逆に、本当に上手に表現できる人もいる。
自分が共感できて、
伝えたいと思えるメッセージを含む歌詞を作る人の歌詞を使うのは、
全く構わないことだと思う。
メッセージのある人間は強い。
ホテル・ルワンダ
1994年のルワンダ内戦。
フツ族によるツチ族大量虐殺。
そんな中、ツチ族1200人もの命を、
自らが支配人であるホテル・ミルコリンにて救った、
フツ族ホテルマンの話。
長々と説明する時間がないので、
凄く短くまとめてみたが、
実際は、こんなに単純な話ではないと思いますが。
最近は、勉強のため、あまり時間が無く、
この映画も、録画しておいたヤツを、
朝食と昼食を摂っている間、
2回に分けて見ました。
食事中にみるべきではなかった…
というか、見ている間、食事できなかった。。
毎度のことながら、映画の批評はしません。
他人のことを批評できるほど偉くないんで。
感想だけ記しておきます。
いや、感想を記そうとすると、
映画とは全く離れた路線に走っていきそうなので、
先に一言。
個人的には、見応えを感じたので、
実際に見てみることをオススメします。
さて。感想を記しますと…
人は、存在する限り、争い続けるものなのでしょうか?
歴史から、そうだと学ばなければならないのかもしれない。
では、何を学ぶのか?
「争いがあるのは仕方ないこと」という教訓を得るのか。
あるいは、
「あるとしても出来るだけ争いを止めようとすることが大切」と感じるのか。
どちらが正解とか不正解とかはない。
それぞれがどう感じるかは自由だし、
他人がそう感じるのを止める術を、未熟な自分は知らない。
自分は後者の方を感じた。
だからと言って、
前者を否定するほどの考えを持ち合わせている訳ではない。
「現実論の前にまず理想論ありき」
というのが自分の考え。
そして、「争いがないのが理想」
というのも自分の考え。
だから、そう感じてしまうのだろう。
自分が正しいと思うことだけを貫き通すのは危険だ。
物事に純粋な意味での「正解」はないと思うから。
だからと言って、放棄することが良いのか?
そうではないと思う。
なので、純粋な「正解」ではないと分かった上で、
自分が正しいと思える道に1人1人誘っていくしかない。
では、どういう道に誘うのか?
それは、
「恨み」という感情を捨て去る
という道。
恨みを持つのは、その時の弱者だ。
弱者が弱者で無くなった時に、
その恨みを晴らそうとする。
すると、結局、
その恨みが相手に移るだけ。
その繰り返し。
恨みという感情を使った鬼ごっこみたいなものだ。
相手にタッチしては、またタッチし返される。
人は飽きることなくずっと繰り返している。
一旦、その鬼ごっこを止めてみないか?
鬼ごっこは、最後に鬼に罰ゲームがあったりする。
そうすると、
みんな最後の鬼になりたくないから、必死に逃げる。
終わる直前に鬼になった人は、
自分が鬼で終わりたくないから、
時間を延ばそうとする。
人の争いもそれと同じじゃないか?
恨みを晴らせないことが、罰ゲームだ。
弱者が罰ゲームを甘んじて受け入れることこそが、
実は争いを止める鍵なんじゃないか?
弱者は可哀想だ。そうも考えられる。
でも、弱者が、
「もう罰ゲームは俺でいいから、やめようよ」って言ってくれないと、
鬼ごっこは終わらない。
弱者でない者から、
「鬼ごっこをもう止めよう」なんて言えっこない。
弱者はそう言うことで、真の勝者になれる。
自分の周りで争いがあった時には、
「もう俺が罰ゲームで良いから、
鬼ごっこを止めよう」
と言える人間になりたい。
「不都合な真実」
前々から見たいと思っていた映画。
昨日、遂に見てきた。
クリントン時代の副大統領アル・ゴアが、
自らのライフワークとしている地球温暖化問題について、
教えてくれるドキュメンタリー。
映画を見た結果、
自分の問題意識は、彼と非常に近いと感じた。
人は知らず知らずの内に環境と対立関係にある。
人口増加は地球滅亡につながる。
でも、共存できる余地は残っている。
だから、そこを目指してトライしていかなくてはならない。
彼は、既に1000回以上も開いている講演会を通じて、
草の根活動的に、その考えを広げている。
そういう行動を起こしている。
とても素晴らしいことだと思う。
最近、ゴア氏の邸宅・車がとても立派で、
凄く電気・ガスを使っている、というニュースをやっていた。
脇が甘いな、という印象も受けるが、
一方で、彼は、講演会という形で行動を起こしている。
はっきりと算定することはできないが、
彼の講演会を聞いて環境に気をつけるようになった人々が、
環境への負荷を減らした分と、
彼が使っている電気代を比較考量して、
前者の方が多いのなら、それでまずは良いと思う。
もちろん、講演会+自分の使う電気・ガス削減、
と両方をやるに越したことはない。
ただ、彼もそう言っているし、自分もそう思っているのだが、
最終的な理想は共存。
むやみに環境のことばかり考えようとしても、
結局疲れて逆に浪費してしまったら意味が無い。
まず、自分が環境にかけているマイナスを認識した上で、
それを超えるプラスを環境にもたらせば良いのだと思う。
そういうニュースを流すことでゴア氏が使う電気・ガスが減れば、
そのメディアはそれだけプラスをもたらしたと言える。
でも、それは所詮1人分。
そのメディア内の人間が普段から環境にかけている負荷を考えれば、
とても、合計がプラスになっているとは言えない。
その点を認識すべきだと思ったりする。
近い将来、あるいは、そこまで近くはない将来かもしれないが、
今のまま、科学技術が発展していくままに、
ライフスタイルを「向上」させていけば、
地球は荒れ狂い、人は滅びるだろう。
ただ、これも大きな1つのサイクルだと思ったりする。
人が滅びれば、かなり環境への負荷が減り、
結果として、地球は元通りになるかもしれない。
そして、また新たな生態系が生み出される…
では、なぜ「地球環境問題」を訴えるのか?
それは、地球の為ではなく、
それ以前に、人類の為だからである。
地球にとっては、
本気で荒れ狂って、
人類を滅ぼした方がずっと良いのかもしれない。
「別に人類が好き勝手やる分には、
どうせこいつら滅びるだけだから、構わないし」
なんて地球さんが思っているかもしれない。
でも、自分は、1人の人間として、
まだ生き続けたいと思うし、
以後の世代にこの美しい地球を残したいと思う。
だからこその地球環境問題なのだと思っている。
地球環境の問題なのではなく、
人類の問題なのだと考えている。
さらに、道義的に考えれば、
人類が滅びるのであれば、
他の多くの生物も道連れにされるので、
これまた忍びない。
こういった事態を避ける為には、
気付いた時から行動を始めるしかない。
「もう手遅れ」という考えは捨て去るべきだ。
そう考えること、そう考える時間こそが、
一番、手遅れにしてしまう要因であろう。
自分の生きる道がようやく見えてきている。
そして、その道を、この映画はさらに照らしてくれた。
この映画との出会いを感謝したい。
まだ見ていない方は、是非見て欲しいと思う。
どう思うかは自由だけど、とにかく見てから考えれば良い。
「とりあえずやってみよう!」

