私は3歳から22歳まで、途中ブランク数年挟みながらも

ずっとピアノを続けてきた。

それは寝る前に歯を磨くのと同じくらい日常に溶け込んでいて、

日本から出たあと数年はピアノがなくてとても苦しんだ。

そんな時に旦那の親戚がそんな私の気持ちを汲み取って

30歳の誕生日にプレゼントしてくれた。

 

だから、できれば近い友達に預かってもらう、もしくは譲る。

”預かってもらう”というのも、言葉だけでピアノを手放す勇気がないからというだけのものだったけど、

それはただの私のエゴだったかなと思った。

 

でも、知らない人に譲るのはできない真顔と思っていた。

 

なぜ日本に送らなかったのかっていうと、
日本には実家に3歳から使っていたピアノがまだあるから。
それと私の第二の故郷用にも、そこにピアノがあってほしかったから。

 

そんなこんなで、長男のお友達のお兄さんがピアノを欲しがってるということで

家に見に来てもらった。

ピアノは独学だというのに、触って最初に弾いた曲は、私が学生時代最後の試験で弾いた課題曲。

運命を感じて、”この子にもらってもらおうキラキラ”と思った。

 

ところが、旦那の親友の音楽一家の人が欲しいと言ってきて

最後はその人に譲ってしまった。

 

私が18年費やした時間が、物と共に少しずつ消えてなくなるような感覚だった。

 

 

 

 

 

一番大事な家が決まって気が抜けてしまうチーン

 

いよいよ、本当に引っ越しが目の前に迫ってきた。

無我夢中だったからか、引っ越しを決めてあっという間に時間が過ぎた。

 

日本行きは、私と子供たちが3月1日。
2週間遅れで旦那がくる。

それぞれの役割は

 

女性トイレ家具を全部揃える、学校の準備、携帯やネットetc...

旦那男性トイレ売れ残った家具や雑貨や洋服を処分、車を売るetc...

 

とりあえず出発までに徹底的な断捨離。

 

仲良い友達のチャットグループを作成して
断捨離するものを写真で送信して、どんどんほしい人には取りに来てもらったり。

 

 

この段階で売れていないもの

・車

・長男のベッド

 

そして思い出の詰まったピアノ・・・悲しい

誰にピアノを譲るかでも、このあと色々難題がアセアセ

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

争奪戦手前で不動産屋さんに決めると伝えた後、

いくつかの問題に直面する。

 

①日本の携帯番号がない

②日本国内での収入がない

 

しかも昔はなかった”保険会社の審査”滝汗

 

国内の携帯番号もなければ収入も証明できない状態だと

審査には通らないそうで。

違う保険会社で審査をお願いするようにしてくれた。

この配慮には本当に感謝しかない。

 

この2つの問題の解決方法としては

 

①日本の携帯番号がない→日本に引っ越して来たらすぐに携帯番号を取得して電話をかける(番号証明)事。

②日本国内での収入がない→現在の国外での給料明細を数か月分送る。

 

これをクリアして、無事保険会社の審査は通った。

日本で携帯番号を取得して不動産屋さんの担当者の方に電話をかけることで

最終の契約完了(もちろん書類にもサインして)となる予定。

 

これで日本引っ越し前に住む家が無事決まった。

激戦区の学区内で、古いけど広くてしかも家賃はリーズナブル!

 

あぁ~~~よかった笑い泣き
 

本当にここまでの流れがスムーズで奇跡だとしか思えなかった。

 

 

ついに内見の日。

 

弟が住みたいエリアの近くに家もオフィスもあって、自営業なので時間の都合がつく業種だったこと、

本当にラッキーだったと思うし、色々手伝ってくれて感謝してもしきれない。

以前のようにLINE動画で内見スタートする。
この時既に、”何かよほどの問題がなければここにする”と決めていた。
築年数はかなり経ってるけど、中は比較的綺麗にリフォームされていた。

不動産屋の担当者が

 

「実は同じような方の内見が次に入ってるんですよ~」

 

同じような?真顔

つまりは、現在海外、4月の新学期に合わせて帰国で家探し。

 

あ、ダメだ。

もう今決めると言わないと迷っている状況ではない

 

「決めます!」

 

 




 

 

引っ越しまで残り1か月。

大幅に断捨離しながら、捨てたくないものは友達に来てもらって好きなものを持っていってもらっていた。
今思うと、もうちょっと無理してでもあれやこれ、持ってくればよかったなーって思うものもいくつかあるんだけど、その時はとにかく”極限まで減らす”が目標だったので徹底的に断捨離に励んでいた。

 

家は相変わらず決まらないけど、最悪着いてからゆっくり探せばいいさ、と思っていたある日。

条件にぴったりな家が新しく掲載されていた。

築年数はたっているものの、広さ、立地、家賃の金額、全部理想的だった。

 

今までみた物件で一番理想に近い・・・ラブ

 

こうなったらすぐ弟に連絡。

 

 

海外からの物件探しで一番の難関は

 

”日本の携帯番号がない事”
 

これがないと内見の予約さえできないのだよ笑い泣き

 

 

だから頼れる弟がいて本当~~~によかった。
すぐに事情を話して内見予約を入れてくれた。
 

 

ここまでくると毎日頭はフル回転真顔
いつものように仕事もしながら、家探しをしながら、荷物を整理する。

人生最大の断捨離だ。

比較的売れやすいキッズ用のベッドはすぐに買い手がみつかった。
お気に入りのソファーもすぐに売れた。
ただ、なぜか長男が使っていた新しいセミダブルのベッドが売れない。
車もなかなか売れない。

そんなことの繰り返し。

子供たちがコツコツ集めた大量のトミカやプラレールは日本人のお友達に譲ることができた。
絵本なんかもすぐにもらってもらえた。
こどもちゃれんじのハイクオリティーな知育玩具は姪っ子に。

”物”は最悪、不用品引き取り業者に来てもらえばいい。

大きな問題は、

 

日本で住む家。

 

超難関を突破しなければ見つからない。

 

・希望の学校の学区内

・最低3LDK広め

・もちろん家賃は安いほどよい

 

毎日物件サイトを見て、良い物件(希望の学校の学区外だとしても近くとか)をピックアップして
ありがたいことに、近くに住む弟がLINE動画で繋ぎながら代わりに内見をしてくれて、
いよいよ、いくつか内見をスタートする。






 

国を跨ぐ引っ越しで大きな問題。

 

家具とかどうするの問題。

何を持って行く?
じゃコンテナにするの?
とか色々、それはそれは山ほどの問題をあと3か月で解決しなくてはいけなかった。

結局私たちが出した結論は、

 

大きなものはほぼすべて売ってしまう。

家具のサイズはどう考えても合わない。
ソファーも大きすぎて日本の家には合わないだろうし(そんな大きな家は借りられないだろうし)
中途半端にコンテナの一部を借りるのと、細々したものを段ボールで船便で送るのと

あまり金額的にも変わらないから。

また言うけど、まさに日本に引っ越すなんて思っていなかったから笑い泣き
すっごくお気に入りだった、私の中で完璧なフォルムとカラーの真新しいソファーとか、
買いなおしたばかりの長男の大きなベッドとか、子供たちのオシャレなクローゼットとか、
大好きなシーリングライトとか、まだ買って2年の車とか。

 

究極は、主人の家族と親戚が私の30歳の時の誕生日に買ってくれた

ピアノ・・・泣
たくさんの思い出が詰まった大切なピアノ。
これも誰かに譲るしかないんだ・・・って。

 

ここで初めて18年という長い時間を過ごした思い出が次々蘇って
”本当にこの決断でよかったのだろうか”
と考えたりもした。

 

センチメンタルになってる暇はない。

時間はどんどん過ぎていく。

全て売らなければならない。(もしくは譲る)

日本でいうジモティーのようなサイトにどんどん掲載をしていった。

そのたびに人が見に来る(見てから買うの決めるっていうのもありだった)
それはそれはしんどかった・・・チーン

 

時間だけは過ぎていくのに売れないものもあった。
過ぎる時間とともに焦りもでてきた。

 

 

 


 

毎日ネットと睨めっこで必死に情報取集して整理して決めたエリア。

次の大きな問題。

 

住む家!!

 

今探すのは早すぎる。
こればっかりは運やタイミングもある。
なぜなら、学区域を調べたら超限定されたエリアで家を探さなければいけないことが発覚したから。

しかも聞くところによると、すごく人気のエリアで、わざわざ小学校入学のタイミングで
その辺りに引っ越ししてくる人もいるくらいだから、物件がすぐになくなってしまうらしい。

 

・・・・かなり厳しい戦いになりそう滝汗

最悪、タイミングがあわなかったら実家に行き
そこで毎日物件を探せばいいじゃないか。
と、自分に言い聞かせる。

 

まだ決めるには早いのに、毎日毎日物件サイトと睨めっこした。

もともと文化的に小さいころから自分の部屋を持ってる子供たち。
なので子供たちがそれぞれ部屋を持ち、夫婦の寝室がある最低でも3LDK。
しかも海外の大きな家に慣れている旦那は”できれば広いほうがいい”と。
そりゃそうだ、もちろん私だってそう思う。

でもね、日本だからね笑い泣き

しかもさ、家賃だっていくらでも出せるわけじゃないですよ?

こんな都合いい物件なんて・・・ある気がしないニヤニヤ

 




 

 

 

私は東京の23区の出身。

なのでもちろん慣れ親しみのある東京に住もうと思った。
色々調べているうちに、外国人や帰国子女の多いエリアは公立の学校内で日本語サポート(抜き出しで個別の日本語指導をしてもらえる)があることを知る。

これは絶対あったほうがいいびっくりマーク

日本語サポートがあるエリアで、アジア人ではない外国人が比較的多いエリア・・・
(この時はハーフとわかる外見でいじめられないかも気にしていたため悲しい

その中で日本語サポートがある区。

さらにここから絞る。

日本語サポートがある小学校と中学校の距離が徒歩圏内。


なぜなら多分私がどちらも最初は朝送らないといけないかもしれなかったり、
迎えに行ったり、を考えて。

そして、ひとつの区の限定された地区に決めた。
 



 

日本への引っ越しを心に決めた時に一番に考えたのが子供たちの学校の事。

まさか日本で生活するなんて一ミリも考えてなくて、
日本語を一生懸命に教えていたのは「こどもちゃれんじ」を定期購読していた幼稚園まで・・・。
小学校に入学すると現地の言葉での勉強がスタートして一気に日本語が抜けていってしまった。
私が日本語で話しても返ってくるのが現地の言葉。
しかも日本語学校は現地にはないので、自分でどうにかするしかない環境。

それは半分言い訳だけど、(今考えれば定期的にオンラインで日本語家庭教師をお願いすることもできたはず。)
そんなこんなで日本語の聞き取り少し、話すのはほんの少し、の子供たちをどの学校にいれるか。

どの学校=インター、私立、公立の三択

 

その時すでに10月。

”よし、とりあえず帰国子女や外国人の多いエリアの公立にいったん入れよう。”

公立にいったん入れると決めた理由。

①インター
・日本語どうする問題。

・せっかく日本に住むのに日本語話せない状態が続く。

②私立

・一番魅力的だけどもう準備が間に合わない。
・日本では国際クラスがあるような私立は大人気で、みんな帰国子女専用の塾に通って準備しているのに。
・しかもこれも万が一入ったら日本語どうする問題。国際クラスだって授業は日本語のものもあるはず。

子供たちが日本で生活するなんて思ってもいなかった、という私の判断の大きな間違いが
ここで大きな壁となる。チーン

 

まーもうしょうがないよ。
過ぎてしまった過去だ。

 

ただ、この時の私は人生の中でも大きな決断に頭が冴えていて
ここからのプロセスは自分で言うのもなんだけど早かった。