2022年の10月にコロナ空けて初めての日本一時帰国をした。

次男の誕生日も重なってUSJに行ったり、いつものように色々楽しんだあとに
”次の日本帰国は5年後かなぁ”
なんて思いながら帰った。



帰ってから選挙があった。(もちろん私には選挙権ないけど)

残念ながら一番当選してほしくない人が当選してしまった。

信じられない結果だった。

その人が当選することによって近い未来が想像できた。
一番向いてほしくなかった方向に向かっていくことは確実だった。

しかも同じタイミングで大家さんから出て行ってほしいと言われてしまった。
もともとレストランを経営する裕福な大家さんが、自分の息子のために購入した物件だった。
「いつか息子がここに住みたいって言うまで。その時になったら出て行ってもらう。」という条件だったのが

なんと2年で息子が住みたいと言い出した悲しい

旦那も「もう出よう」って。

今回ばかりは賛成だった。

それに国を引っ越しできる条件が見事に揃っていた。

●私の仕事が日本からでもできる

●旦那の両親が他界している

●義母から譲り受けたアパートの家賃収入がある

もう行動にうつすしかなかった。






 

最後の投稿は4年前ポーン

今どうなっているかって?

2023年3月1日から日本へお引越しびっくりマーク

まさかの日本泣き笑い笑
日本で子育てはしないと思っていたのに、
長男が中学入学という最難関ポイントでの移住。

あまりにも大きな変化に、まず私が5月に帯状疱疹になり
長男も思春期での国のお引越しに色々と壁にぶち当たる。

そんなことも少しずつ残していったほうがいいなぁ~という余裕がやっとでてきたびっくりマーク

インスタやスレッドだと繋がってる人がみんな見てしまうのもあるし、
ここだと数少ない友人しか知らないので気が楽なのよね。

まずは何で日本にお引越しをすることになったか書いておこうかな。
これは自分自身で忘れることはないと思うけど、
細かい心境はやっぱり10年くらいたつと忘れちゃう部分もあるから。

人生って本当何があるかわからない。

私の人生っていつもジェットコースター笑




 

あれから10年。


被災地で高校教師をしていた友達も

やっと最近あの時の出来事を口にするようになった。


あの時に生後2ヶ月だった息子も10歳。

それだけの月日が流れたのだと実感する。


こんなに長い月日が流れても、

元には戻っていないものがたくさんある。


個人的にはね、オリンピック関係で

渋谷とか原宿とかあんな風にするなら

被災地の未だに困っている人のために

税金使って欲しいと心から思う。




アメリカ在住の中村由真さんも1回目のワクチン接種したみたい。

私はというと、日曜日に2回目接種したばかり。1回目、ちょっと疲れた感じでよく眠れたくらいで済んだので、2回目どうかなと思っていたら、、、

先に済ませた友達もけっこう副反応はバラバラで。けっこう仲良い友達がかなり寒気と身体の痛みとなんて言ってたから若干ドキドキしてたんだけど、高熱出した時みたいな感じ、悪寒、筋肉痛、頭痛、倦怠感の勢揃いで1日薬飲みながら過ごして午後ダウン⤵️

でも1日でかなり復活!ウインク

ここだけの話書いちゃおう。
表には出てないけど、女性は1回目の接種の後、不正出血の報告けっこうあるみたい。
あと、私は人生初生理が1週間も早くきた滝汗
友達も早くきた。

やっぱり何か身体は反応しているみたい。
知り合いは顔面半分麻痺してしまったみたい。
そうゆうこともあるのは事実。
でも大多数のひとは大丈夫。
特に若い方が副反応が強く出るデータが出ている。

そして私がワクチン接種を決めた理由。
●小さな国なのにすごい感染者数だから。
●イギリス変種発生からかなり子供への感染率が高まった。
●ワクチン接種することで感染が少しでも収まるなら協力したい。
●子供を守りたい。
●ワクチン接種することで、優先されてできることが増えて生活がしやすくなる。
●ワクチン接種しないと日本に行けないかもしれない。

そして昨日、長男のクラスである教科を教えてた先生の感染が報告された。
生徒達はみんな自己隔離に入った。

先生はワクチン接種していなかった。
学校の教師の80%が接種していたけど。
その教師は20%の中の人だった。

ワクチン接種したくない人の意見は尊重する。
でも子供達に関わる仕事をしている人は
もう少しよく考えてみてほしいと思った。
最後に苦しむのは子供。

既に長男の学年で1人その先生からの感染が確認された生徒が出てしまった。
長男は幸い陰性だったけれど。

私が日本にいたらどうだろう?

人口に対する感染数を考えても
ワクチン接種していないだろうと思う。
しなくて済む状況ならしたくはなかったし。

でも私ひとりのワクチン接種が感染減少に
繋がるのなら、という気持ちだけ。
これで将来何かあろうとも、後悔はしていないけど。

でも恐らく近いうちに子供達のワクチン接種スタートされるような気がする。
これは正直迷うな、、、。
そうなる前に収まって欲しいショボーン



長男のこと、、、全然書いてなかったー滝汗

まぁそれだけスクスクと健やかに育っている証拠かなニヤニヤ

9歳のお誕生日には遂にスマホもゲットしてして
(クラスでは遅いほうだったね!)







9歳になって、やっと外を1人で歩いても法律上オッケーになって、学校にひとりで登校するようになって、1人で道を歩けることに喜んでたよね。

相変わらず、誰に似たのか頭も良く
(旦那は私が一生懸命やったこどもチャレンジのおかげだと言う)
先生からの評価も良く
勉強に関しては、なーんにも言うことなし。

足の大きさはついに私と並び
身長も、私の鼻あたりまで伸びた。

ご飯は白米命で、
毎食白米でも良いと言う。
味覚は完全日本人寄りも変わらず。
スパイスより醤油。
ママのご飯が世界一だと言ってくれるちゅー

気づけば、もうあと3ヶ月で10歳だね〜。

これからの人生も健康で幸せでありますように。






あぁ、、、懐かしい、、、

適当に離乳食やってた次男のほうが
野菜も果物もお兄ちゃんより食べる笑い泣き

出汁も手作り、栄養バランスグラムで測り、
かなり手をかけた長男の離乳食。
その頃は全部食べてくれてたのに
母の努力は水の泡、、、
今は、野菜はブロッコリーとよく煮えた人参(細く切ってあるもの)
果物はりんご🍎しか食べない滝汗

微塵切りで混ぜこまれている野菜は
大丈夫になったかな。
大人になったら誰とご飯食べても
恥ずかしくないように色々食べれるように
なってよ、お願いだから笑い泣き

5年前に思っていたこと、、、
2人で並んで同じご飯。
毎日当たり前の風景、5年前は想像してでしか
なかったんだよね。

どっちが多いとか大きいとか
しょーもない喧嘩も幸せだねニヤニヤ












ロックダウン生活35日目:

Passoverの関係もあって、
いつもデリバリーを頼むスーパーでパンをゲットできず

この機会にずーっとやってみたかったパン作りに挑戦しよう!

と思い立ち、速攻で作った
「初心者向け手ごね丸パン」
ククパ様の人気のレシピ。
これなら安心チュー

子供達にもこねこねしてもらい完成!


美味しすぎて、速攻でなくなり
ここから3日連続で、パン作りをしたのでした、、、笑い泣き

冷蔵庫で一晩発酵もやってみたけど
全然オッケー!


ちなみに息子たちそれぞれ3つずつ
焼き立てに食いつき滝汗
あっという間になくなっちゃうんですけど汗

次はオーガニックショップのデリバリーで
やっと届いたスペルト小麦で
作ってみよう!

来週から正式に学校の授業が
Zoomで行われることが決定👏🏻👏🏻👏🏻
今まで課題ばかりで正式な授業は
なかったからね〜
これでお兄ちゃんのダラダラも少し締まるかな?真顔

あ、あと自宅から100m以上の外出は
基本的に禁止だったのが500mに延長されました笑い泣き
外出ないのであんまり関係ないなっ。笑



ロックダウン生活26日目:

さて、かなり放置していたブログ。

これを残しておかないでどうする、

新型コロナウイルス。

ここにもやってきたのが2月くらいだっただろうか、イタリア帰りの人から次々と感染が広がり、
3月になるといよいよすぐそこまで迫るほど、
状況は深刻になり、遂に政府の決定で学校は休校、
仕事がリモートになった。

特にうちは2人とも気管支弱かったし
というのもあって、家からほぼ出ないように努めている。
もう1ヶ月になる。

子供達もコロナのことを理解しているので
外に出たいとぐずらない。
偉いね、、、

学校の課題はいつもの通りパソコンで。
あとは文部省のようなところから
YouTubeで毎日全国用に授業が流れる。
そして私は仕事。

買い物は全てオンライン。
いつも買ってるお気に入りのデリの卵も
好きなベーカリーのパンもお預け。
仕方ない。
選んでる場合ではない。
オンラインで買えて、なるべくすぐデリバリーしてくれる近所の小さなスーパーで全てをそろえる。
もちろんデリバリー来たら商品は玄関外の床に置いてくれて、自分で家の中に入れる。
拭けるものはアルコールシートで拭く。
全ての作業が終わったら手洗いとアルコールジェル。

そんな毎日で気づいたこと、、、。

今までこんなにも子供達と一緒にいれたのは赤ちゃんのときぶりだ。
なんて幸せなんだろうお願い
兄弟喧嘩もするし、気がつくとテレビつけてたり
管理は大変だけど、なんだかすごく嬉しい。

朝こんなにゆっくりした時間を過ごせるのは
いつぶりだろう。
化粧も不要、子供のランチのサンドイッチも
作らなくていい。
ゆっくりコーヒーを飲んで仕事を始める。
穏やかな朝、、、。

こんなにバルコニーを使ったのは
きっとここに引っ越して初めてだ。
なかなかいい。
近くの木にとまる色々な鳥をゆっくり眺める。

不便は多いし、外に出れないストレスはあるけれど、いつもよりずっと心が落ち着いている気がする。
焦る要素もなくゆったりと、、、
外にさえ出なければ、守られている空間。

子供達の送り迎えもなく
通勤時間もないので時間がある。
だから毎日ヨガもできる、幸せ。


それとは逆に心配なのは日本の家族。
母は仕事を休む気も辞める気もない。
どんなに強く言っても無理だった。
電車で通勤。

志村けんが亡くなって、
自分の母親がこうなったらどうしよう?
と想像してしまう。
年齢も近いし。

政府は国民より経済。

お願いだから乗り越えて欲しい。
無事でいて欲しい。
願うことしかできない。


家の中でキャンプニヤニヤ

1日も早く収束しますように、、、




天国に旅立ったお義母さん。

今までどうもありがとう。

外国人の、しかもアジア人の嫁で
自分と同じポーランド系の
金髪の子を望んでいたのだろうけど、
宗教も違う異国から来た私を
最後は受け入れてくれて、優しくしてくれて
ありがとう。

出産に立ち会ってくれてありがとう。
心強かった。

孫達を可愛がってくれてありがとう。

夜出かけたいとき、
急に言ってもベビーシッター来てくれて
ありがとう。

得意ではないのに、
いつも料理を片手に持って遊びに来てくれて
ありがとう。

優しいのに不器用で頑固だったお義母さん。
どうしても好きになれなかった
手料理が何故か食べたい。

こんなに早くいなくなっちゃうなんて
思わなかったよ。

肝硬変と診断されてから数ヶ月。

どんどん変化していく姿に
途中で、本当にお別れは近いのかもしれないと
感じた時もあったけど、
現実になるって思わないんだよ。

旦那から救急車で運ばれたと電話が来た時、
義弟が泣いて電話をしてきたと聞いた時、
大変な事が起きたとすぐ感じた。

そのあと1時間後、もう一度電話が来て
亡くなったと聞いたとき
「どうにかしなさいよ!もう一度医者に言いなさいよ!」と叫んだ。
こんなに叫ぶほど、お義母さんの存在は
自分の親と変わらないくらいの存在になっていたことに後で気付いた。

居ることが当たり前になってた。

最後に会ったのは1週間前。
いつも週末はゆっくりしたいから
旦那と子供達でゆっくりお義母さんの所に行ってもらうんだけど、その日はなぜか行かないといけないと思った。

いつも通り一緒に過ごして、
子供達は携帯いじったりで、
私と久しぶりにテレビ番組の話とかしたよね。

一緒に住む問題ありのお義兄さんが
食べたいと言ってた果物を2日も買って来てくれなかったと愚痴って、いつでも私と旦那が
買って届けるから、いつでも言って!と言ったよね。

帰るときはいつも「またね!」なのに
何故か私は「お大事にね」って言って
お義母さん一瞬止まったよね。
あれは何だったんだろうね。

食べ物どうにかしなきゃと思って
日曜日ヨガ帰りに大量に野菜を買って
それでバターナッツのポタージュと
レンズ豆とハーブと野菜のスープ、
蕎麦の実とキヌアの炊いたのを作って
旦那に持っていってもらったね。
ちゃんと食べたのかな。

糖尿病と肝硬変両方にオッケーな料理。
お義母さんのためだけに作った料理。
最初で最後だったね。

そう、お葬式はなんと亡くなった4時間後だったね。
シバも入れて計算するとギリギリ私の誕生日前日に終わるようになっていて
お義母さんの優しさかなと思っちゃった。

私と旦那が出会う半年前くらい(18年前?)に
亡くなった
お義父さんをすごく恋しがっていて、
きっと今頃一緒にいるよね?
やっと会えたよね?

私の人生の一部に大きく関わってくれて
支えてくれて、甘えさせてくれて
本当にありがとう。

子供達のことをいつも見守っててねキラキラ





あぁこんなこともあったよなぁ〜。

最後の言葉通り、お兄ちゃんは全然風邪ひかない強い子になってるおねがいキラキラ

今は弟君が交代かのように
肺炎、いつもの気管支喘息、オンパレード笑い泣き

4年後、またそれも懐かしく思うんだよね。
その頃の私はいっぱい寝れていますように笑い泣き
とりあえず7時間誰にもおこされず、
ぶっ通しで寝たい‼️