吉村広野のブログ -71ページ目

前回公演ダイジェスト映像

http://www.youtube.com/watch?v=Wyd55u8sh40


YouTubeに前回の舞台『アミナダブ』の動画をアップしました。

寝る前に見るのはやめた方が良いかもしれません。
かといって朝見るのもどうかと思います。

参考までに。

アスペルガー症候群

昨日、稽古前に公演に取り組む参考文献として、佐世保小6女児同級生殺害事件に関する本を読みふける。

そしてアスペルガー症候群という言葉を初めて知る。加害女児の彼女がそう診断名がついたらしい。そう書くと、アスペルガー症候群=犯罪予備軍みたいな単純なイメージが広まってしまいそうだが、絶対に違うと、著者も断っていた。

具体的にどの様な状態なのか、昨日読んだ本だけではよくわからない。
先天的な脳の障害だが、知的障害ではない、発達障害。社会に適応するのが著しく困難な場合もあれば、努力と環境次第で適応できる場合もある。

もちろんそれだけが友達に殺意を抱く原因なはずはない。
彼女が2歳の時に父親が脳溢血で倒れ長期入院、半身に障害が残った事、その為父親も母親も幼い彼女を充分に気にかけてあげられなかった事、甘えたりぐずったりしない「大人しく育てやすい子」に見えてしまったこと、お姉さんばかり可愛がる、成績重視型、しつけと称し子に手をあげる父親、耽溺したホラー映画や小説の影響、教育不熱心な担任、様々な不幸な要因があったことはわかる。
けれども、殺人に至る飛躍には手が届かない。そういう環境で育った子はいくらでもいるはずだ。その闇を窺い知ることが、まるでできない。なぜ?への答えは深い深い穴の中のままだ。

大人しい良い子だったこと、愛情不足、成績重視の家庭、友人との関係がうまく作れないことなど、自分の子供時代と重なるところがある。私の場合は、持って生まれた性格特性の範囲内だろう、たぶん・・・。今でも社会不適応者じゃないかと言われれば、どうなんだろう、全否定はできない気がする。かろうじて健康です、といったところか。

役作りという言い方は、嫌いというか、やっていることとそぐわない気がするので使わないが、今自分がやっていることがどういうことなのか、分かる範囲で承知していないと、舞台に立てない。ただ上に乗っかっているだけ。恥ずかしいし、人を傷つける怖れがある。安易に共感するとか気持ちがわかった気になれるという役者は信用できない。わからなければ、わからなささを自覚しておくこと。最低限。十センチのものさしで1メートルの暗闇を計ろうとしている感じだ。時間の許す限り知ろうとするよりほかない。

健康でないと阿彌の芝居はできないが、完全に健康な人間は阿彌の芝居に出ようと思わない。


安易な共感は嫌いだけれど・・・、事件の一週間前、彼女にカッターナイフを振り上げられた、クラスの他の子からもいじめられていた男の子がいたこと、殺されていたのは僕だったかもしれないとPTSD発症、さらに校長先生が「事前にそのカッターナイフを振り上げられた事を報告してくれていれば、事件は未然に防げたかもしれない」と報道陣に向けて発言、「僕のせいで御手洗さんは死んじゃったんだ」と自分を責め、症状悪化という事実を知って、涙が出そうでした。

小学校6年生、友達関係のこと成績のこと体のこと、何も問題なくても真剣に悩む事の多い時期、ましてこんな事件に巻き込まれた36人の同級生。子供の頃を振り返ってみれば、学校と家庭はほとんど全世界だ。家庭に問題のない子ばかりではなかったろう。そして担任教師や学校側の対応に特別な問題はなかったとする、子供の心より自分の立場を守る大人たち。(←これができるのが「社会によく適応した大人」なんだろうか?)一人で生きていけない子供なのに、この先何を信じて生きて行けというのか。
なんだかもう、バカヤローである。
あれから5年、もう高校生になっている頃、みんなバラバラにそれぞれ進学しているのだろうか、事件のことは・・・それぞれが胸にしまって、口に出す事も向かい合うこともできずにいるのだろうか・・・


怖いのは、これが例外的に特別ひどい小学校なんだと思えないこと。
教育現場だけでなく、大人が不適切発言→抗議が殺到→次の日発言撤回もしくは謝罪、という報道にふれるのは、もう日常だ。「教師がわいせつ行為で逮捕」も珍しくない。
ふと、思う。こんなニュースを我が子と見ているお父さんお母さん達は、どうしているのだろう。「先生の言う事を聞きなさい」と何も考えずに言ったら無責任だろう。相手を無条件に信用しなければ教育なんて成り立たないというのも、一面真実だろう。疑ってかかるということでなく「どんな先生なの?」ととにかくよく聞く事、先生も子供も即座に批判せずに、今日何があったか言いやすい親でいることしか、子供を守る方法がないかもしれない。


アラサーの私は子供が産める上限年齢へむかってカウントダウンが始まっている。あと数年が最も良い状態であろう月に一個しか作れない卵子、毎月無駄に排泄し続けてるのも、これはこれで事実。しかし・・・こんな社会をどう信用したら子供なんて産めるんだろう、良くなる希望は、どうやって見出せばいいんだろう。

トラウマの虫干し

私は被害者だーというようなことを声高に言う人間は好きじゃない。自分もそういうあり方はしたくないと思う。

でも、公表できるということは、第一歩なのだね。向かい合えるようになった。知ろうとする事自体に抵抗のあった宮崎勤に関しての本を、読み進めている。昨夜の稽古でも耳にすると胸の重くなるセリフはあったけど、受け取った上で、どのように受けとめるか考える。

公表できるようになったということが、すでに治癒し始めているということかもしれない。すごくポジティブな明るい方へ向っていく夢を立て続けに見ている。
考えてみれば、あらゆる問題がそうで、気付こうとしないで目をそむけたり、問題を隠そうとすることで、かえって深刻化してしまう。

人ひとりの心の問題は、社会全体の問題でもある。

高校生の頃だろうか、偶然入った女子トイレに、「知らないおじさんに強姦されて妊娠しました」という中学二年生の落書きがあって、その周りにいっぱい応援メッセージが落書きされ、「勇気をだして親に泣きながら話して中絶しました。皆さんありがとうございました」と結果報告が書いてあったことがある。
方法はなんでもいいから、誰かに伝える。それで問題が全部解決したとはいえないけど、少なくとも一日も早く手をうつべきことに手が打てている。
「そんなの自分が不注意なんだよ」みたいな心無い書き込みもあったけれど・・・。


今ふと、マイミクさん73人の内、精神科に通院しているまたは通院していたことがある人を数えたら、知っているだけで5人いた。ミクシィをやっていない知人にも数人いるので、知人の一割は心に病を抱えているまたは抱えていたと思っていなければならない。知らないだけとか、病院に行くほどではないという人をいれたらもっと多いだろう。
話を聞いて、何もしてあげられない無力感を感じた事が何度もある。
でも少なくとも、一人で耐えたり隠したりしないでいいことなんだよという風にいてあげることは、少しは良い事だろうか。


闇に向かい合う人数は多い方が良い。
方法もいっぱいあったほうが良い。
誰かの責任にしないで。
現代の闇は手の付けようの無いような闇だけど、みんなで向えば、闇は恐がらなくてもよくなる、こともある。