今上天皇徳仁さまのお誕生日を寿ぎ、われらが皇室と日本国の弥栄を祈る朝。
Ameba Blog のホームで、
富士山登ったことある?
▼本日限定!ブログスタンプ
という、「今日は富士山の日」という案内を観てAmeba Blog の限界を感じました(笑)
以下、こういうことを書くと、
「おめでたい日に馬鹿な奴!」とか、
「お前は戦争賛美者か?」などと、
馬鹿にされ、嫌われることを解っていて書きます。
私は「軍艦行進曲 Warship March」というマーチの曲も歌詞も好きなんです。
きっと、死線を乗り越えんとするときに 生存への希望や家族への思いの他に、このマーチの歌詞や曲を心の支えにして戦ったであろう、過去の普通の日本の兵隊さんたちの姿が目に浮かぶからです。
いつものように話が飛びますが、
その戦争は明治37年(1904年)2月の開戦から翌明治38年(1905年)8月のポーツマス講和会議で日露講和条約(ポーツマス条約)が締結されるまで、我が日本国と当時ロマノフ朝ロシアとの間で戦われたものでした。
それでも、米国大統領セオドア・ルーズベルトの援助を得てポーツマス講和条約まで持ち込めたのは、ひとえに大日本帝国海軍司令長官 東郷平八郎麾下 連合艦隊の二等水兵に至るまでの全乗組員が「祖国を守り、そして家族を守る」為に命を懸けて、ロシアのバルチック艦隊と日本海海戦を繰り広げ、勝利してくれたおかげでした。
砲弾飛び交う艦上の水兵さん達もきっと軍楽隊の演奏でこのマーチを聞いた時から、歌詞に歌われていることと同じ思いを心に抱いて戦っていたに違いないと私は勝手に信じているのが、「軍艦行進曲」なんです。だからこのマーチが好きなんですね。
今で例えれば 皇国(われら和をもって尊しとなす家族の国)の四方を守るべし という歌詞は、日本国の排他的経済水域への「支那の海警や支那漁民の勝手な侵入」を許すな と歌っているわけですし、
日の本に仇なす敵を攻めよかし という歌詞は、日本国に危害を加えて来る外国が在るならばこちらも攻めて打ち払え! という、いたって世界常識にマッチした訴えを 我らが祖先たちは歌って、神代から続く世界史的にも稀有な祖国と家族の為に、たったひとつしかない自分の命を捧げていたわけです。
- 守るも攻むるも黑鐵の
浮󠄁かべる城ぞ賴みなる
浮󠄁かべるその城日の本の
皇國の四方を守るべし
眞鐵のその艦日の本に
仇なす國を攻めよかし - 石炭󠄁の煙󠄁は大洋の
龍󠄂かとばかり靡くなり
彈擊つ響󠄃きは雷の
聲かとばかり響󠄃むなり
萬里の波濤を乘り越えて
皇國の光輝かせ
![宝石赤](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/118.gif)
![宝石緑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/116.gif)
![宝石ブルー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/115.gif)
![宝石紫](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/117.gif)
1893年(明治26年)鳥山啓作詞の「軍艦」に曲を付けて軍歌とし、後の1897年(明治30年)頃に、准士官相当官の軍楽師(この当時、軍楽科の最高階級)だった瀬戸口藤吉が新たに作曲し、1900年(明治33年)に「軍艦行進曲」として誕生した。
初演は、同年4月、戦艦富士乗組の軍楽隊によって行われたが、民間も含め広く演奏されるようになったのは1910年(明治43年)に妹尾楽譜店から楽譜が出版された以降。