『最初に父が殺された First They Killed My Father(2017)』を観て | 日本と芸能事が大好きな Ameyuje のブログ

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米合衆国領土グアム島と仏領ポリネシアのタヒチ島とボラボラ島しか訪れた他国無し。比較対象が少ないのに「僕に一番合うのは日本」と思う。反日国に侮辱されても毅然とした態度をとらない現在の母国には「いやんなっちゃうな~」と立腹するけど、やっぱり日本が大好き。

女優でもある アンジェリーナ・ジョリーさんが監督されたこの作品。

357 Colt Python様のブログで紹介されていたのを拝見して、2017年に作られていた映画なのに、私は全くこの映画の記憶が頭に無く、公開されているのも知らなかった自分の油断具合に驚いた次第です。

ネットでタイトル検索すると 今加入しているNetflixで通常配信されている(というか元からNetflixの映画)とわかりました。

 

 

アンジェリーナ・ジョリー監督については、彼女が日本を描いたある作品を観て「これはプロパガンダ映画やんかイラッ」と感じたことから 彼女の監督作品は敬遠していたのですが、 今回の作品はそのアレルギーが出ずに済みました。

 

夜中の自分の仕事準備の合間に、「何してんねん?俺?」と自嘲しながらも、ついつい最後まで鑑賞してしまいました。

 

先に感想を書いておくと、あるカンボジア人女性が少女の頃に巻き込まれた「赤いクメール(Khmer rouge)」時代の実体験を書いた書籍を原作にして作られた映画ということで、「赤いクメール(クメール・ルージュ)」には以前から興味を持っていた私には なかなか見ごたえのある作品でした。

 

仕事準備に追われる中でも、136分という長い時間を割いて観た価値は 私には有ったと思いました。

 


そもそもは、北ベトナムが共産化したことから「インドシナ半島全体の共産化」を恐れたアメリカの軍事介入(南ベトナム共和国への支援)が始まり、ホー・チミンが率いた北ベトナム軍や南ベトナム解放戦線の勢力を相手として 米国や米国の同盟国たる韓国、さらにその他の国も参戦するベトナム戦争が続いていました。

この事が、1970年代にインドシナ半島を大きく揺るがします。米国は、共産主義ベトナムとの戦いだけでなく、隣国のカンボジアに潜む共産主義者たちとも戦うことになり、本来は直接の戦線を設けていないカンボジアに対しても、膨大な量の戦略爆撃を行っていました。

ベトナム戦争や、その余波ともいえる米軍からの空爆攻撃も要因の一つとなって、カンボジアでは王政が廃止され、1970年には政治的混乱と主義主張の違う者たちの内戦状態が続いていました。

 


STAFF

監督 … アンジェリーナ・ジョリー
脚本 … ルオン・ウン
   … アンジェリーナ・ジョリー
原作 … ルオン・ウン
   『最初に父が殺された 飢餓と虐殺の恐怖を越えて』
製作 … アンジェリーナ・ジョリー
   … リティ・パニュ
   … テッド・サランドス
   … マイケル・ヴィエイラ

美術 …トム・ブラウン
衣装 …エレン・マイロニック
編集 …グザビエ・ボックス 

   … パトリシア・ロンメル
音楽 … マルコ・ベルトラミ
撮影 … アンソニー・ドッド・マントル
Netflixオリジナル作品。

 


CAST

ルオン … サリウム・スレイモック
ルオンの父 … ポーン・コンペーク
ルオンの母 … スベン・ソチェアタ
 


カンボジア人少女のルオンが波乱の運命に巻き込まれるまでの時系列を記すと、


1970年 米国ニクソン政権に支持されたロン・ノル(カンボジアの軍人であり、国防相から後に首相)がクーデターで王政を廃止。
    米軍と南ベトナム共和国軍がホーチミンルートのべトコン(南ベトナム解放民族戦線)の追撃でカンボジア領内に侵攻。
    米軍の空爆が人口密集地域を含むカンボジア全域に拡大。
    前王のシハヌークが亡命先の北京でカンプチア王国民族連合政府を結成。
    反ロン・ノル諸派(反米諸派)の統一戦線を呼びかけ。
    3月末にシハヌーク支持者による暴動が国内中央に近い東部のコンポンチャム州で発生するが武力鎮圧される。
    コンポチャム州地域だけで2~3万人の農民が共産主義に感化された。
1973年1月にパリでベトナム和平協定が調印されて米軍がベトナムから撤退。

ということで、


このアメリカがカンボジアの内戦から撤退したことをきっかけにポル・ポト(カンボジアの原始共産主義者、後に独裁者)が率いる赤いクメール(クメール・ルージュ)はカンボジア国内の制圧力を増大化させます。


そして赤いクメールの嵐がやがて、カンボジアの首都プノンペンでロン・ノル政権下の軍人(公務員)である父親以下、9人で暮らす5歳の少女ルオンの家族を襲います。

映画冒頭では1975年の首都プノンペンが映されます。


優しい父親と母親のもと、広くてきれいな住宅の中で楽しく過ごす少女ルオンの姿が描かれるのですが、それもつかの間、ポルポト派のクメールルージュの兵士たちが津波が押し寄せるように街になだれ込んできます。

 

最初は歓迎ムードだった都会の人々は、ことあるごとに 自分たち都会人の生活を否定する赤いクメールの兵士たちに恐怖感を感じていく描写が 緊張感があってとても良かったと思います(雨)

 

赤いクメールの兵士たちは 自分たちをオンカー(クメール語で អង្គ「組織」の意)
と名乗り、プノンペンを占領して住民たちの現金などの財産を没収しました。

少女ルオンの家族一同は最低限の生活必需品だけをに持たされて、プノンペンからの立ち退きを命じられます。

 

上矢印首都プノンペンで商店主に店から出て行けと命じるオンカー兵士の実写と言われる写真


勿論 都会の人々が全員、(当初は3日間だけだという口約束で)住居から追い出されて農村へ追い立てられるのです。

 



家から出た当初はトラックに乗ることができた少女ルオン一家でしたが、、そのトラックも赤いクメールのオンカーに奪われ、徒歩でカンボジアの農村地帯まで歩かされます。

クメール・ルージュは、私有財産を否定し、ルオンの家族も 持ち出してきた中からさらに、ほとんどの私物を没収されます、お父さんは腕時計まで、オンカーの兵士に奪われました。

 

そして富裕層、知識階級の世帯主だと判った家族は選別されて別の場所に連行されます。(のちの史実として 知識人、公務員(教員・兵士など)といった家族の者は処刑されていた事がわかっています)
 


下矢印映画序盤での このシーンもとても印象的でした。

ベトナムでのサイゴン陥落時にもあった本国への脱出を図る米国人や、その関係者の外国人を載せて飛び去る軍用ヘリコプター、ミュージカルの「ミス・サイゴン」の世界ですね。

 

このヘリを観た時から殆ど間を置かずに、赤いクメールという嵐が首都を襲うと判っていたならば、少女は興味本位ではなく、死ぬ気でヘリに手を伸ばしたかもしれません。

 

また、これは良く知られたことですが、ポルポトは 従来の「公務員」、「僧侶」、「教職員などの知識階級」を徹底して弾圧し、のちには計画的に処刑(殺害)していきます。映画でもオンカー兵士たちがオレンジ色の袈裟をまとった僧侶たちを「役立たずめ!」と追い立てるシーンが数度ありました。

 

最初に少女ルオンの一家が収容された農村地区を管理する赤いクメールのオンカーは酷薄な管理体制を敷いていました。

配給する食事も 体力の弱い子供は栄養不良になって下痢を起こしてしまうようなものでした。 白湯のように見える薄いスープがつがれた椀の中に、椀の底が見える程度の赤米が沈んでいるような配給食でした。

 

だから、お父さんは農作業労働をさせられているところから、ポケットに目立たず入るだけの米をこっそり取ってきて子供たちに食べ去るシーンがありました。

その米も手に入らなくなると、ジャングルで捕まえてきた昆虫を金属の皿の上で炒めて子供たちに食べさせるシーンがありました。 都会っ子で虫も触ったことが無いような子供たちも、飢えているので炒めたセミのような昆虫を美味しそうに食べるシーンが印象的でした。

 

一番下に紹介している この地獄の赤いクメールの支配下を生き延びた ただひとりの日本人女性「内藤泰子さん」は、のちのインタビューで「脱走した仲間たちとジャングで捕まえた野ネズミを、焼いて食べた時の味が、私の人生で最高に美味しかった味でした」と語っていらっしゃいます。

余りの空腹に耐えかねて、豆畑で収穫作業をさせられていた時に、その豆を口に入れてしまったルオンの隣のお姉さんが、監視していたオンカーの兵士にしたたかに殴打されるシーンがありました。

ルオンのお兄さんが妹たちのためにとうきびを畑から1つ盗ろうとしたときも見つかって、殴打され、蹴られ、「今度見つけたら 殺す」と言い捨てたオンカーの兵士の言葉が 作者(成人後のルオン)の心にずっと残ったのは、子供たちが農作業に出ていくあぜ道の傍の水路でも、反対分子とされた作業員が後ろ手に縛られて頭を撃たれた死体となって放置されているのを見たりしていたからでしょう。

私が子供の頃に日本には「言葉狩り」という下らないものが無くてよかったのですが、今は伏字にしないとブログにも書けない

『〇チ〇イに刃物』

 という言葉がドンピシャにはまるオンカーの兵士たちの姿が 印象的に描かれている映画でした。

 

ルオンの家族が首都プノンペンから追い出される当初から、都市住民たちを取り囲み、差別の目で見るオンカーの兵士たちが全員ライフルや小銃を手にしているのです。

 

基礎教育もまともに受けていない農民の子弟で、新興宗教ともいえるポル・ポトの原始共産主義思想を妄信するものが 簡単に人間を殺傷できる武器を携行している…、その恐ろしさはいかばかりでしょう。

 

そして まだ世俗に染まっていない 少年・少女たちを選別したのち、原始共産主義を理想とする思想教育と、銃の取り扱いや格闘術の訓練を施していきます。

 

 

まだ小学生くらいの少年にライフルを持たせて行進させたり、(史実ですが)ベトナム軍との戦闘に参加させたり、反乱分子の粛清の手伝いをさせられたりします。

 

 

ヒロインのルオンもオンカーの軍事訓練と思想教育を受けさせられて、「ベトナム人を殺せ!」とスローガンを叫ばされたり、ベトナム軍との戦場に派遣されたり、地雷をジャングルの人間の通り道に埋める作業に従事させられたりします。

 

 


 

私は この映画を観ながら、同じような子供の洗脳教育を 2006年からイラクとシリアで発生したイスラム過激派組織の ISIS が行い、洗脳した子供に銃を持たせて捕虜を処刑する様子をビデオ撮影して公開していたことを思い出しました。(私はISISで洗脳された9歳ぐらいの子供がピストルで捕虜の後頭部を撃って処刑する動画を観ました)

 

赤いクメール、クメールルージュがやっていたのと同じことを、ISISもやっていたし、現在のパレスチナのガザ地区で ハマスがガザ住民たちにやらせていることなども、今回映画の中のいくつかのシーンを見ることで併せて想い出した私です。

 

圧巻は 映画のクライマックスで、少女ルオンたちを保護してくれたベトナム軍が守るカンボジア人難民キャンプへ、赤いクメールが攻め込んできたときの戦闘シーンでした。

 

戦闘といっても、プノンペンのような都会から農村地帯へ強制的に連れてこられて、まともな食事も与えられず、つねに飢えを感じながらオンカーの家畜のようにされて生き延びた後で、皮肉なことに敵であるベトナム軍の捕虜になることでやっと、「カンボジア人の変異種である赤いクメールの頸木から解放され」て、人間らしい生活を取り戻しかけていた少女ルオンをはじめとする一般のカンボジア人たちには 自分と同国人である「赤いクメールの兵士たち」が撃ち込んで来る銃弾や砲弾の嵐から逃げるしか術はありません。

 

そして 彼らが逃げていく背後のジャングルの道には、オンカーに操られていたカンボジア人の子供たちが施設した地雷が埋まっているのです。

 

最初、私はスクリーンの中で 逃げていく普通のカンボジア人の女性や子供たちがジャングルのあちらこちらで、爆発によって足を失ったり、命を失ったりしているシーンを見て、赤いクメールの砲弾の命中精度は凄いなぁ…と思っていたのですが、

 

「あ、ちがう、クメールの砲弾が破裂してるのではなくて、逃げまどうカンボジア難民が地雷を踏んでいるから爆発してるんや…」

 

と、分かりました。

というのも、ヒロインのルオンが「ジャングルには自分たち子供がオンカーに命じられて埋めた地雷がある」ことを思い出し、恐怖する顔の映像が映されたんですね。

 

その回想シーンを見ることで、「あぁ、自分たちが埋めた地雷原の上を、同国人の赤いクメールの銃弾で追われて逃げまどい、まるで自殺でもするように地雷を踏んでいたのか…」とわかったのですね。

 


まだまだ 書きたいことがいっぱいあるのは、30数年の昔に私が下矢印この本を読んでいたからです。

私が当時大好きだった ジャーナリスト 近藤紘一さんのご著書で、この赤いクメールの嵐に巻き込まれた日本女性「内藤泰子さん」から取材した内容が書かれています。

 

内藤さんはクメールルージュのオンカーに管理される中で 国際結婚したカンボジア人の夫と二人の息子さんを失い、たった一人地獄を生き延びた日本人妻でした。

 

 

赤いクメールの狂った支配によって、当時のカンボジア全国民の4人のうち1人が死亡しています。 この凄まじさは 想像を絶しますね。

 

宝石赤宝石緑宝石ブルー宝石紫

 

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