2006年9月にDVDで観た「トム・ホーン(1980)」は哀しい映画でした | 日本と芸能事が大好きな Ameyuje のブログ

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米合衆国領土グアム島と仏領ポリネシアのタヒチ島とボラボラ島しか訪れた他国無し。比較対象が少ないのに「僕に一番合うのは日本」と思う。反日国に侮辱されても毅然とした態度をとらない現在の母国には「いやんなっちゃうな~」と立腹するけど、やっぱり日本が大好き。

この映画は大学生の頃にリアルタイムで映画館で観ました。


S・マックィーン最後の作品「ハンター」も映画館で観たけど、「トム・ホーン」鑑賞後には、俳優マックイーンの老いた姿とトムのイメージとが重なるようで(トムの享年は42歳だったけど)、「スティーブはなんでこんな作品に出たのかなぁ」と切なく、哀しい気持ちになったものです。

 


しかし、2006年には私も定年前の年になっていて、19世紀末の合衆国の政情等の前知識も少しは有る状態でDVDを再鑑賞すると、昔とは別の味わいがあり、スティーブの全盛期の作品群と比較して☆3.5個程の満足度は得られました。



自ら製作を兼ねるほどにマックイーン自身が惚れ込んだ映画であり、当初の監督はダーティー・ハリー生みの親のドン・シーゲルだったこと(結局は様々な事情から監督は3度も変わって4人目がW・ウィアード)や、トムの最晩年を描くのがマックィーンの情熱の矛先だったことなどが今では知られています。

 

 

ただ、既にこの映画撮影の最中からスティーブの肺は今で言うアスベストによる中皮種からの肺癌に蝕まれていた事が、彼の演技から往年のシャープさを奪っていて、昔の僕には哀しさを感じさせた老いのイメージは今観てもつらいですね。



主人公のトム自身は、1860年11月21日にミズーリ州の農家に生まれ、学校嫌いの少年だったそうで、マックィーンと同様に早くから家出して駅馬車の御者やら雑務やら、職を転々としました。

 

17歳で米軍に斥候兵として雇われましたが、彼の経歴に箔をつけたアパッチ酋長ジェロニモとの降伏条件の交渉役を務めた頃のトムは若干26歳でした。


映画ワイルド・バンチ(1969)でも古き西部開拓時代の終わりと、その中で生きた男達が時代の終焉とともに生を終えてゆく姿が描かれていたけれど、トム・ホーンも同様の最後を迎えます。

 

 

ただし、史実では1901年にワイオミングの牧場主の息子(14歳)を牧場主の父と間違えて射殺した容疑で投獄されたが、烈しくに容疑を否認したとあります。

そして一度は脱走を企てたものの、即座に捕らえられました。それから後は自分の絞首刑に使われる縄を自ら織りつつ刑の執行までをすごしたそうですね。

映画の中では脱走前から「罠にはめられた自分を見切ってしまった」ように描かれていたトムは、この脱走後のイメージだったのかな?

 

だからトムがなぜ「脱走」するのか、「山の向こうで自由だった自分を取り戻すため」という理由なら、ちょっと弱いような気がしました。

 

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