今日は山の日、そして今年もフライング気味に、山の上の方にある〇〇家のお墓で〇〇を祈る | 日本と芸能事が大好きな Ameyuje のブログ

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米合衆国領土グアム島と仏領ポリネシアのタヒチ島とボラボラ島しか訪れた他国無し。比較対象が少ないのに「僕に一番合うのは日本」と思う。反日国に侮辱されても毅然とした態度をとらない現在の母国には「いやんなっちゃうな~」と立腹するけど、やっぱり日本が大好き。

山登ったことある?

 

恥ずかしいことに いまだに富士山を登ったことがありません。

我らが地元の六甲山くらいならば、阪急岡本駅の方から登山して、六甲山頂上をへて宝塚に降りるという東六甲縦断を何度かしましたけどね。

 

さて、昨年もフライングしたけれど、今年も父の命日の1週間前にあたる今日、朝5時半にマンションをHONDAのスクターLEAD125に乗って墓参りにでかけました。

 

はやいもので、来週の18日で父が亡くなってから5年の時が過ぎることになります。

お墓の掃除は草抜きが中心になるのはわかっているので、なるべく気温の低い朝のうちに墓園に着きたいと思っていました。

 

新開地交差点。ここを右折すると北区へ向かう北上ルートになります。

 

目的地は 神戸市北区山田町下谷上中一里山12−1の「神戸市立鵯越墓園」内の「あじさい地区」です。 

 

神戸市立鵯越墓園の南門を通って急な坂を上ると、神戸市内と大阪湾を望めます

 

昨年と同様に甲子園から国道43号線を西進して、神戸市の新開地交差点を右折して、そこからはしあわせの村方面に向かって山側へと北上していきます。

 

わが〇〇家のお墓は「あじさい地区」内に設けられた車道のすぐ横にあるので、いつものように区画の真横まで行ってバイクを停めました。その時で6時15分くらいだったでしょうか。墓園の南門の開門はお盆期間とされる8月15日までは午前6時になっていました。

 

草刈り鎌、枝切りハサミ、作業手袋、45Lビニルごみ袋、そしてハンディーブラシなどを取りだして、20mほど離れたところに在る取水場にいって、バケツ2つを拝借して水を満たし、柄杓1本も借りてきました。

 

そこからはひたすらお墓の外柵内の雑草を片っ端から抜いたり、頑丈な雑草は鎌で根元から切ったりしました。

 

私はTシャツの上に、いつも仕事で着ている夏用作業着を着ていたのですが、草抜きを30分も続けていると、上着の中のTシャツがびしょ濡れ状態になりました

 

それでも、こまめに水分補給しながら雑草を抜いた後は、見苦しく枝が伸びていた植木も、枝切りハサミで夏向きにショートカットにしてあげました。

 

1時間ほどの時間があっという間に過ぎました。空はもうすっかり明るく晴れ上がっていまして私の後から地区に入ってきたご家族の自動車が5台ほどに増えていました。

 

抜いたり刈ったりした草木は持参したごみ袋に入れ、地区入り口のところに用意されている大型コンテナボックスの中に廃棄させていただきました。

 

 

そこからは バケツの水を柄杓で墓石(竿石)の上からかけながら、持参したブラシでごしごしと、上台、中台、芝台と洗い、つづいて墓誌も洗います。

 

 

やっと一段落ついたところで、水鉢、花立をザッと洗ってに新しい水を注ぎこみました。

お線香を供えて、墓石に向かって手を合わせるのですが、私はそこで いつも故人達を思い出しながら「みんな無事に暮らしていること、それはあなたたちのおかげであること、厚かましいお願いなんだけどこれからも見守っていてもらいたいこと」などを祈っています。

 

自分自身に置き換えると「自分が死んだら無に帰るだけ。自分の魂も消えるだけ」なんて思っているくせに、自分の好きだった人たちのためには「天国」のような安らぎの存在があって、皆はそこにいてほしい…などという矛盾した考えを抱えながら生きている私です。

 

 

綺麗になった〇〇家の墓石を前にして、しゃがみこんだ私は両方の掌を合わせ、目を閉じて、父、母、二人の弟、祖母、祖父、叔父、叔母たち、そして2013年の8月19日に亡くなられた山名空くんの面影を脳裏に浮かべながら、自分が無事に暮らせていることへの感謝の言葉を述べました。

 

「自分は無宗教です」なんて声高に言うと海外だと「気色悪い奴!」と思われそうなので、私自身は山本七平氏が書かれていた「日本教(人間教)の信徒」だと自分では思っています。

 

 

私の祈りの対象は「絶対存在としての神」ではなく、 私の生を生み出したご先祖様の系譜であり、今日までの私の人生を豊かにしてくれた先人たちです。

 

そんなだから、ゴータマ・シッダールタの言葉にも感動するし、ナザレの大工の息子イエスの言葉にも感動するし、米国の神学者で神学校教授だった ラインホルド・ニーバー Karl Paul Reinhold Niebuhr (1892年6月21日~1971年6月1日)の作とされるキリスト教の神に祈る「ニーバーの祈り」にも感動してしまいます。 

別に悪いことじゃありませんよね?うーん

 

「Serenity Prayer(安らぎの祈り)」

God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed,
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください

Courage to change the things which should be changed,
変えるべきものを変える勇気を与えてください、

and the Wisdom to distinguish the one from the other.
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。

Living one day at a time,
一日一日を生き、

Enjoying one moment at a time,
この時をつねに喜びをもって受け入れ、

Accepting hardship as a pathway to peace,
困難は平穏への道として受け入れさせてください。

 

 

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