CHAPLIN AND HIS SHADOW (17) 「第10話 息子(1)」 | 日本と芸能事が大好きな Ameyuje のブログ

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米合衆国領土グアム島と仏領ポリネシアのタヒチ島とボラボラ島しか訪れた他国無し。比較対象が少ないのに「僕に一番合うのは日本」と思う。反日国に侮辱されても毅然とした態度をとらない現在の母国には「いやんなっちゃうな~」と立腹するけど、やっぱり日本が大好き。

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(17)

 

【 第10話 息子(1) 】 

 

 ここに1枚の写真がある。チャーリーの2度目の結婚相手、リリータ・マクマレイを挟んで、夫婦がもうけた二人の幼い息子達、チャールズ・スペンサー・チャップリン・ジュニア Charles S. Chaplin, Jr. とシドニー Sydney Chaplin が立っている写真である。 

 

Charles S. Chaplin Jr. , Lillita, Sydney Chaplin

 

 この写真は夫婦が離婚してからのちに撮影されたものだが、チャーリーにとって非常にタフ・タイムであった2度目の離婚騒動が終結してからもずっと、この息子達の存在は人間チャーリー・チャップリンの成長に大きく寄与することになる。


 シドニーやチャールズ・スペンサー・ジュニアが 後の名作、Limelight (1952) でチャーリー本人や、最後の妻となったウーナ夫人が産んだ義弟妹達と共演しているのもよく知られていることである。こと子供に関しては、チャーリーは自分が不幸な幼少期を経て辛酸を舐め尽くしてきた人間だけに、「我が子を思いやり、正しく導こうとする意志」を常に持ち続けていたようであり、老いてからはこの息子達を頼りにするようにさえなった。 


 MY FATHER, CHARLIE CHAPLIN 、(「わが父チャップリン~息子が見た喜劇王の素顔」)は、チャールズ・スペンサー・ジュニアとN.&M.Rau 共著の書籍であり、日本では恒文社から木槿三郎氏の和訳で出版されている。表紙の推薦の言葉にもあるように、チャールズ・ジュニアという人は素直な性格の人物だったようで、父母への愛情量も豊かに備えた人物であることを、私も読後に強く感じたものである。

 

 

 1925年5月5日生まれ(us.imdb.comデータベースによる。自著、或いは他の書籍では6月生まれとなっている。マスコミ発表用だろうか…?)のチャールズ・ジュニアは、大変残念なことに1968年3月20日に40歳代前半という若さで、怪我がもとの敗血症が原因で亡くなられている。


 チャーリーびいきの側に立って2度目の結婚を観れば、どうしたってリリータ側が悪役になってしまうが、このチャールズ・スペンサー・ジュニアの目を通せば「悪妻リリータ」も「かわいそうな、うら若き母」であり、やっかいな姑のマクマレイ夫人も「やさしいナナお祖母ちゃん」ということになる。ジュニアの筆は、第三者の人生を他人(例えばAmeyujeなど) がとやかく批評することの身勝手さと危険性というものを私に教えてくれたように思う。


 そこで今回は息子と題して、ジュニアが語った「父 チャーリーへの思い」などを基にして、2度目の結婚生活とその後のチャーリーの人生を眺めてみたいと思う。 

 


 キッドに出てくる誘惑の天使… 。何度も書いたが、その誘惑の天使を演じた少女がリリータであり、当時のチャーリーはミルドレッド・ハリスと結婚していた。チャールズ・ジュニアは父親の最初の結婚と、その後の離婚までの顛末について以下のように書いている。 

 

 

 『その頃二十九歳だった父は、映画女優だった十六歳のミルドレッド・ハリスとすでに結婚していました。後年離婚してから、ハリス嬢は父との不幸な結婚についてひどい新聞種を提供しました。 それによると父のことを、 


 ・ひどい孤独主義者で
 ・気分屋で異常なほどのむっつり屋であり
 ・夜中に長い間、独り歩きをしたり
 ・気味悪いくらい悲しい即興的な作曲をやる

 

 …などと暴露しております。

 結婚直後、父は映画を作り始めると昼夜お構いなくそれに没頭してハリス嬢を無視したと主張しました。
 1919年夏、必然的に離婚問題が生じました。二人の間に赤ん坊が誕生しましたが、数日後に死んだのです。
 



最初の子供(ねずみちゃん:男子)のお墓


  この離婚事件は、ものすごいほどの大見出しで書き立てられ、各新聞社とも賛否両派に分かれました。父の経歴まで織り交ぜて一年余りも新聞の連続もののトップ記事にまでなってしまいました。


 父が人一倍私事の秘密を重んずる人であるにもかかわらず、いざこざを書き立てられ、その記事を黙って観ていなければならなかったとはなんという矛盾でしょう。
 

 このミルドレッド・ハリス騒動で、父は映画「キッド」のことや、自分の人気や成功に影響しやしないかと心配しました。
 

 1920年11月になって、10万ドルと共有財産の分配という条件でこの事件も解決し、ようやく離婚が成立しました。世間の噂も下火になり、父も安心して映画に専心できるようになりました。

 

 

 

 私は今、この「キッド」の夢の場面でひらひらと飛んでいた可愛い黒髪の十二歳の天使がその後、父の後添いになり、しかも私の生母となったことは、なかなか興味深いと考えざるを得ないのです』 

 


 

 成長したリリータとチャーリーの再会については前回紹介したが、すでに大作「黄金狂時代 The Gold Rush (1925)」の撮影に入っていたチャーリーは、ローランド・トザローなど周りの信頼できるスタッフ達が反対したにもかかわらず主演女優としてリリータと契約した。そしてプライベートでは未成年の彼女と肉体関係を持つまでに至っていた。


 「黄金狂時代」の撮影ではスタジオセットも素晴らしく凝ったものになったが、カリフォルニアのトルーキーをロケ地と定めて、ロケにおいても凄まじい巨額の制作費をつぎこんだ。 撮影初期の頃にはリリータも母親と一緒にロケ先まで女優として出向いたりしているが、やがてトラブルが発生することになる・・・。(つづく) 
 

 

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Published : 4/16(Fri), 2004 by Ameyuje
Last Update : 6/13(Sat), 2020 by Ameyuje

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