CHAPLIN AND HIS SHADOW (11) 「第7話 運命(1)」 | 日本と芸能事が大好きな Ameyuje のブログ

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米合衆国領土グアム島と仏領ポリネシアのタヒチ島とボラボラ島しか訪れた他国無し。比較対象が少ないのに「僕に一番合うのは日本」と思う。反日国に侮辱されても毅然とした態度をとらない現在の母国には「いやんなっちゃうな~」と立腹するけど、やっぱり日本が大好き。

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【 第8話 火種(1)】 【 第8話 火種(2)】 【 第9話 誘惑(1) 】 


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(11)

 

【 第7話 運命(1) 】 

 

 ORPHAN(孤児、片親のない子)・・・。これは、チャーリーに関して調べものをしたりすると、伝記や略歴の最初などによく見られる単語である。
 

 

 母ハンナがレオ・ドライデンの内縁の妻であった頃に、チャーリーの幼児期における束の間の幸福は存在した。しかし、母がドライデンと別れ、実父チャールズ・チャップリン・シニアも亡くなってからというものは、幼・少・青年期のチャーリーには人生との闘いが延々と続いていた。彼には母ハンナと兄シドニーという家族は存在しても、「家庭」と呼べる存在はずぅっと長い期間にわたって無かったのだ。

 

  「孤独とはいやなもの。なんとなく悲しいもの。人はそれにかすかに引け目を感じる」といったような書き出しで新潮文庫のチャップリン自伝下巻(栄光の日々)は始まる。


 しかし、1915年のチャーリーはエッサネイとの契約を果たすべく映画作りに邁進していた。スタッフの中に主演女優「エドナ・パーヴァイアンス Edna Purviance」の名前が現れるのもこの年からである。(ただしキャメラはまだハリー・エンサイン Harry Ensign が担当しており、後のベストパートナーであるローランド・トザロー Roland H. Totheroh は同社のブロンコ・ビリー連続活劇の撮影を主に担当していた) 

 

Roland Totheroh

 

 つかの間の恋。キーストン時代には同社の喜劇女優ペギー・ピアース Peggy Pearce とそんな恋愛も経験したチャーリーだったが、エッサネイ時代から始まるエドナとの付合いはまったくの恋人同士のものといえるだろう。チャーリーがのちにミルドレッド・ハリス Mildred Harris と最初の結婚をするまで、ふたりはひっついたり離れたりと、気になる関係を続けることになる。

 

Charlie & Edna from Behind the Screen (1916)

 

 チャップリン自伝によると、キーストン、そしてエッサネイとそれぞれ1年ずつ映画製作とその中での演技に関わり、経験と人気をも積み重ねたチャーリーは、3年目(1916年2月)にはミューチュアルとの契約に当たるため、サンタ・モニカからニューヨークに向かう列車に乗っていた。

 

 それまで西海岸における自分の人気の高まりについては多少自覚もしていたのだが、この5日間にわたるニューヨーク行き鈍行列車の旅の途中、テキサス州アマリロ、カンザス・シティ、シカゴといった各地において、チャーリーは民衆の熱狂的な支持が自分の想像を遙かに超えていることを目の当たりにするのだった。 

 

 「胸でも張りたい得意さと、滅入るばかりの悲しさ・・・」。チャーリーはとまどい、混乱する意識の中である種恐怖のようなもの、つまり無神論者だったチャーリーが「自分の運命」が轟々と音を立てて旋回するのを聞いてしまったような恐怖感を少し感じたのかもしれない。

 

 カンザスからシカゴまでの乗換駅でも、そして線路沿線の畑でも、通り過ぎる自分の列車に向かって手を振る大勢の人々を見て「これは世界中がどうかなってしまうのではないか?」と彼は真剣に考える。「たかがドタバタ喜劇ぐらいでこんな騒ぎになるというのは、なにかそもそも名声というものにイカモノ(如何…イカガ…と思わせるもの、本物に似せたまがい物)的要素があるということではないのか?」と分析もしているが、自分が求め続けた大衆からの好意を手に入れた瞬間に、底なしの孤独を感じるチャーリーだった。


 ニューヨークで会いたい人物と言えば、たったひとり「ヘティー・ケリー」が思い浮かぶ程度だったが、それでもヘティーが彼女の姉と住んでいるはずの家の前までは訪ねたものの、ドアをノックすることもできずに彼はその場所を立ち去った。(実はこれより前年の8月27日にヘティーはアラン・エドガー・ホーン Alan Edgar Horne 中尉という軍人とすでに結婚していた)

 

New York City 1916


 ニューヨークにおいて、年俸67万ドル(一般労働者の年収360ドルの1861倍)という巨額の契約(1916年2月26日)にサインし、名声も、そして若さもありながら、その傍らを歩く友達はいなかった。 ここで言う友達とは、ひとりの人間としてのチャーリーを理解してくれている友達のことである。

 

ミューチュアル社との巨額の契約にサインする様子は写真報道された

 

 ミューチュアルとの契約にサインするまでに彼はニューヨークでほぼ1ヶ月を過ごしたわけだが、彼を錬金術の種にすることを企んで近づく映画界のモーガル(大立者)達はその間にチャーリーを主賓にした晩餐会を連日繰り返しており、彼を取り巻くだけの人間ならば山のようにいた。このような歓待のおかげでチャーリーは殆ど身銭を切ることなくブロードウェイ界隈を渡り歩くことが可能だったようで、カリフォルニア州に帰るころには彼の鞄は高価な贈り物で一杯になっていたという。 

 

 「私の仕事は五年後には週100ドルの価値さえないかもしれない。そしてそのことに私以上に気づいている人はいないだろう。私はただ日の照るうちに草を干そうとしているだけなのだ」・・・これは巨額の契約金に興奮と疑問の両方をぶつけてくるマスコミのインタビューに対するチャーリーの返答である。
 

 

 さらに彼は「お金は常に念頭に置くべき物だが、それがすべてではない。人間はほかの何よりも仕事の中に最も大きな満足を見出すことができるものだ」と、優等生のような返答もしている。

 そして、奇妙というか理解に苦しむのは、自伝で「なるだけ人ごみは避けて過ごし、孤独感に苛まれることもあった」などと書きながら、この時点での恋人とも呼べるエドナには電報一本を打っただけで、手紙の一通も書かなかったチャーリーの筆不精のはなはだしさと、その心根の辛さであろう。

 彼は生涯を通じて、自身では十数通も手紙を書いていないほどの筆不精だったそうだが、それでも当時ロサンゼルスのアスレチック・クラブで毎晩のように食事を伴にしたというエドナに手紙の一通も書かないで1ヶ月も過ごした…という事実は、当時のエドナの思いとの間に言いようのない温度差を感じたりもする。

 彼が真実孤独であったのか、そうでもなかったのか、いずれにせよ本当の友と呼べるものを持たない自分を省みて、チャーリーの中に金銭では満たされない欲求不満が積み重なっていったのは確かだ。

 孤独を忘れるためには、やはりエドナやスタッフが待っている西海岸のスタジオに帰って、映画づくりという仕事に打ち込むことが一番てっとりばやい方法だったようである。 

 「ミューチュアル社で働いていた頃が、今にして思うと、一番幸福な時期だったかもしれない」・・・と、前話でも紹介したが、これは27歳の頃の自分を思いだしたチャーリーの言葉である。

 1916年はその1月末に英国でケイト叔母さん(ロンドン在住の母ハンナの妹)が亡くなるという不幸も起こっていたが、アメリカで暮らすチャーリーの仕事自体は順調な滑り出しをみせた。
 ミューチュアル社代表のジョン・R・フロイラー John R. Freuler 社長は、彼のためにロサンゼルスにあるローン・スター撮影所を整備してくれた。

 「THE FLOORWALKER(邦題:チャップリンの替玉)」から始めて、年末に「THE RINK(邦題:チャップリンのスケート)」が封切られるまで馬車馬のように働くチャーリーだったが、この年末12月にチャーリーは彼の生活を支えてくれるスタッフを2人雇い入れることができた。それは有能な執事兼秘書となるトム・ハリントン Tom Harrington と、運転手(のちに秘書)の高野虎市の両名であった。
 

Kono Toraichi (高野虎市)

 

 そして翌1917年の6月17日に「THE IMMIGRANT(邦題:チャップリンの移民)」が封切られるまでのミューチュアル時代を通して、チャーリーは試行錯誤の中で自分の映画スタイルを確立してゆくのだ。

 さらにこの頃、彼の運命は「新しい人間との出会い」によって彩を添えられてゆく。


 コンスタンス・コリア Constance Collier 
 サー・ハーバート・ビアボーム・トリー Sir Herbert Beerbohm Tree 
 ダグラス・フェアバンクス Douglas Fairbanks 


 最初はコンスタンス・コリアからの紹介でつながってゆくこれらの人々は、チャーリーの人生を豊かにすべく現れたような人々であった。特にダグラス・フェアバンクス(1883-1939)とは、チャーリー自身が晩年に「ダグこそは、わが生涯でただ一人の親友だった」と語るほどに強い絆で結ばれることになる。

 


Best Friend Doug , Mary And Charlie 

 

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Published :8/17(Sun), 2003 by Ameyuje
Update  : 5/24(Sun), 2020 by Ameyuje

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