8月15日にこんなツィートがXで話題になりました。玉音放送を生で聴かれた方が8月15日に書かれた日記がみつかったというもの。戦後、素直な気持ちを公にできなくなった時代を経ての当時を体験した人の素直な思いに胸をうたれました。

 

その最後は「どこまでも国の体制を守るために、耐えがたきを耐え忍び、新しい日本の建設に立ち向かおう。 そして子孫たちに、この8月15日を心に深く刻んで忘れないようにし、この無念を晴らそう。」と結ばれています。

 

しかし、GHQの製作により、当時の人々の素直な思いは歪められてきました。だからこそ、素直な思いが書かれた日記に多くの人が感銘を受けたのだと思うのです。また、当時の人々が無念な思いを晴らそうと思ったはずなのに、さらに無念な思いが増しているように思えるのが英霊の方々ではないかと感じています。

 

4年前、終戦から75年目の年のその日にあわせて公開された短編映画、「忘れてはならない歴史がある」が動画公開されました。

 

この動画に参加したお子さんのお父さんが、この映画の趣旨を説明されています。

 

 

先の大戦で戦死した兵士たちに敬意を示し、次世代に語り継ごうと、熊本県の有志が英霊を顕彰する動画を制作する計画を進めている。熊本県護国神社(熊本市)で今春撮影し、終戦から75年となる8月に動画配信サービス「ユーチューブ」やSNS(会員制交流サイト)で公開したい考え。プロジェクトのメンバーは「戦争経験者が減る中、命をかけて国を守った人がいることを若者たちに伝えたい」と話している。(坂田弘幸)

動画制作を準備しているのは、熊本県内の経営者や元学校長、病院理事長ら約10人による「英霊顕彰ショートフィルムプロジェクト」。パラオ共和国のペリリュー島で日米が激戦を繰り広げた「ペリリュー島の戦い」で日本軍の指揮を執った中川州男(くにお)大佐の墓(熊本市)で、清掃活動や墓前祭を開いてきたメンバーたちだ。

きっかけは昨年11月8日、英国陸軍がユーチューブに公開した約2分の動画。忘れ去られたことを悲しむ英国軍兵士の霊が、少女の瞳にだけ映る-といった内容だ。日本国内でもSNSで「国のために死んでいった兵士たちを忘れないで、という英国陸軍の公式動画。短いが心打つ内容」と紹介され、話題に。「ありがとう、紹介してくれて」「命をささげた兵士個人と国の政策は切り離して、彼らを悼むのは当然の感情」「日本は忌避して忘れようとしている」などと反響が広がった。


この動画に心を動かされたのが、プロジェクトの発起人で熊本市の会社経営、鈴木田遵澄(すずきだ・じゅんちょう)さん(31)。「戦勝国の英国でさえ戦没者を忘れつつあると知った。日本でも国のため、家族のために戦地に散った英霊を後世に語り継いでいかねばならない」と考え、中川大佐の命日にあたる昨年11月24日、墓前祭の参列者に企画を持ちかけ、賛同者でプロジェクトが結成された。

制作する動画は約2分を予定。世間から忘れられた英霊が、護国神社で自分の姿に気付く幼いひ孫と出合って、笑顔を取り戻すまでを描く。撮影は若手映像クリエーターに依頼する予定で、制作費用の約100万円はメンバーの自己負担や寄付でまかなうという。現在配役などを調整しており、熊本県護国神社の境内などで3~4月に撮影を予定している。

「国を愛し郷土を愛する、そんな当たり前のことを取り戻したい。若者が何度も再生したくなる動画を目指す」と話す鈴木田さん。舞台となる同神社の坂本泰彦宮司(74)は「英霊顕彰は後世まで引き継がないといけない大切なことだが、戦争を知らない世代に伝えるのは難しい。動画で若い人たちに興味を持ってもらえるのはありがたい」と話している。

 

きっかけとなった英国陸軍作成、2019年11月公開の動画

 

戦勝国のイギリスでさえ、こうした動画を作成しなければならない状態ですから、軍のなくなった日本はさらに酷い状態なわけですが、さらに悪いことに日本は敗戦国であるがためにこの英霊の方々を貶める人たちまでもがいます。しかしどこの国も、自国のために戦った兵士を貶める国は古今東西存在しません・・・日本を除いては。いかにこれが異常なことであるか。

 

しかし、きちんと歴史を知れば英霊の方々を貶めようなどと思えるはずがありません。日本中にある護国神社、そして靖国神社には、日本を護り、家族とその子孫のために戦われた英霊の方々が祀られているのですから。兵士というのは古今東西若いものですから、英霊の方々の多くは当時若かった、幼いほど若かった人たちがたくさんいます。靖国神社の遊就館には英霊の方々の写真がありますが、幼いといえる顔の方々がなんと多いことか。こうした方々のおかげで、日本は一度も植民地になることなく終戦後も蹂躙されることなくなんとか平和に79年が過ぎたのです。それは、英霊の方々の戦いぶりが苛烈であったため敗戦国であってもその我が国を恐れたのだともいいます。

 

とはいえ、戦後の我が国はGHQのウオーギルドインフォメーションプログラムにより、日本が全て悪いという自虐史観を植え込まれてしまい、我が国を護るために戦った英霊の方々を祀る護国神社や靖国神社をなにか悪い場所のようにいう人達がいる始末です。

 

私が以前ショックを受けたのが、神社巡りが好きで何度か一緒に神社を巡ったり、お薦め神社を教えあっていた同僚が旅行をするというので、そこの護国神社を薦めたら、「それはちょっと・・・」と断られたことでした。そういう場所は行かない、と言われたのです。神社が好きであっても護国神社は嫌だというのです。その時凄く驚いたのですが、こちらの説明も聞く耳をもたなかったのが凄く残念でした。

 

しかし、きちんと知ればそんな意識はなくなるはずです。

 

靖国神社をはじめとする護国神社は、慰霊だけではなく慰霊顕彰の場であるというのも重要なことです。なぜ顕彰がいるかというと、ただの慰霊の場合、その言葉で英霊の方々を貶める人々があまりにも多いからです。最初の動画も「英霊顕彰ショートフィルムプロジェクト」と「顕彰」の言葉が入っているプロジェクトですが、なぜ「顕彰」の言葉を入れなければならないのか?それは、あまりにもこうした貶める発言が多いことによります。

 

「慰霊顕彰」についてずっと語ってきた久野潤氏が動画にて詳細に説明されています。

 

4年前三浦春馬さんの月命日に誰かがツィートされていたのが、靖国神社に参拝している写真ですが、映画「永遠の0」出演後、靖国参拝を欠かさなかったそうです。三浦さんは作品ごとに真摯に取り組まれ準備されたことで知られていますから、この時も相当勉強されたのではないでしょうか?最後に公開の映画「太陽の子」では特攻予備の兵士役で出演され死に向かう苦しみを演じられていました。役を演じるにあたり相当考えられていたと伝えられています。

 

「永遠の0」のラスト。

 

こうした役柄から、靖国神社、護国神社にお参りする方は多いと思うのですが、毎年靖国神社のみたままつりに提灯を奉納されている俳優の堤大二郎さんや伊藤つかささんは、やはり作品がきっかけだったのだろうと思います。毎年提灯を観るたびに、どういう縁なのか?と考えていたら、お二人がそれぞれ、堤大二郎さんは映画「零戦燃ゆ」に出演し、伊藤つかささんは舞台「帰ってきた蛍」に何年も出演されていることがわかったからです。作品を通して当時を知れば、英霊の方々には感謝しか生まれないと思うのです。

 

そして、2年前のみたままつりでは、ある現象が起きていました。この提灯を奉納されている方々の中に、今まで奉納されていない俳優の名前が何人もあったのです。一人か二人なら、そういうことは今までもありましたが、何人も一度に増えるというのは、毎年確認している私からすると凄く目を引くものでした。もしかしたら、何かが変わってきているのかもしれません。

 

さらに昨年は俳優以外にも新しく目を引く方の奉納がありました。人出もとても多く賑わっていましたし、祭りを楽しむだけでなくちゃんとお参りしている人も本当に多かったのです。今年のみたままつりは、一度夜のお参りをしただけで、すぐ帰ってきてしまいましたが、昨年以上に人出が多く、コロナ禍以前に戻った感がありました。

 

また、8月15日の参拝者もとても多く、暑い中大勢の方が並んでいましたし、夕方になっても多くの方がまだまだ参拝に向かっていました。

 

私はほぼ毎年、みたま祭りと8月15日、またそれ以外にも慰霊の日や節目の時、またはふと思い立ってと、1年の内何度も靖国神社にはお参りを続けていますので、近年の靖国神社の人気ぶりには注目しています。特に若い世代の方達が増えているのが素晴らしいです。もしかしたら、今まで通われていたご遺族の方々の世代交代もあるかとは思いますが、そうではない若い世代の方々も増えているのだと思うのです。また外国人の方々のお参りもとても多い神社です。これについては、言霊効果で、名前が知られた神社であるからではないかとずっと考えています。毎年毎年ニュースに名前が出てくる神社としては、一番の神社ではないかと思うからです。

 

そしてここから後はスピリチュアル的な話になるのですが、見えない世界について書かれている桜井識子さんの『神様のためにあなたができること』に書かれてあった靖国神社のことが頭に浮かびます。3年前の発売ですが昨年には文庫化されています。本書の内容はここで何度もとりあげている「神は人の敬によりて威を増し人は神の特によりて運を添ふ」と一致しています。桜井さんがブログやたくさんの書籍に書かれたことから、その神社にお参りする人が増え、その後再訪した神社が変化しているというお話なのです。そしてその中に、靖国神社も含まれているのです。

以前も、本書については本ブログで取り上げました↓

 

本書を読んだとき、私が靖国神社がどんどん変化していて最近それが加速しているように思えたのは、こういうことなのか、と考えたものでした。もちろんスピリチュアルな話ですから、信じられないという人もいるかもしれませんし、私自身こういう世界はみえないのでそれが事実かどうかもわかりません。しかし、靖国神社が昔のような寂れ感がなくなり、普段も途切れることなく参拝者がいるのは事実ですし、雰囲気が以前とずいぶん変わってきているように感じられることも事実です。

境内の整備が進み、食事処などリニューアルされたからだろうと物理的に考える人もいるかもしれませんが、それだけでは計り知れないのがその場の雰囲気ではないでしょうか。そして、参拝者の増加は目に見えて感じられるものです。

 

私は今、ジワジワと日本は変化しているのではないか、と考えています。まだまだ、まだまだまだまだ元々の日本人の誇りや考え方が取り戻せるまでの回復はしていませんが、それでも現代的に日本の心を取り戻せてきているのではないか、とお参りする度に期待しているのです。そこには、敬意をもって参拝する多くの方々と、それに応えてくださる英霊の方々の紐帯によって靖国神社のパワーが変化していることが関係しているように思えるのです。


 

なお、本日は、真岡郵便電信局事件が起きた日です。南樺太には40万人の日本の民間人がいましたが、占守島への攻略後、南樺太の第二の都市である真岡への上陸が始まったのが8月20日の早朝だったのです。当時の真岡は日本への引き上げの拠点となっておりこの時点で1万5千人以上の日本人がいたそうです。この時電話交換業務を担っていたのは若い女性職員たちでした。当時の電話は手動で接続する必要があり、電話交換業務はソ連に移管するまで継続する必要があるため残留者を募った所ほぼ全員が手を挙げたそうです。しかしこの日ソ連軍の攻撃は激烈を極め真岡郵便局も被弾するようになり、最後を悟った交換手たちは交換台の前で青酸カリを飲み、自ら命を絶ちました。この時服毒量が少なくて助かった者が一名いましたが、九名が自決し、この9人の乙女たちは靖国神社に合祀されています。

 

この時24歳の高石ミキ班長の机には、20日の交換証の綴りと事務日誌がきちんと重ねられ、21歳の吉田八重子と17歳の渡辺照は交換台でブレストを頭に付けたまま倒れていたそうです。

 

東日本大震災の時に、最後まで避難アナウンスをされて波にのまれた南三陸町の職員の遠藤未希さんがいましたが、79年前にもこうした方々がいたのです。

 

このように命を懸けた方々を貶める人はいません。英霊の方々とはこのように有難い方々です。

 

詳細を語る竹田恒泰氏

 

 

竹田恒泰氏の『天皇の国史』では、2頁半が割かれていて最後に昭和43年に樺太が見渡せる高台に立った昭和天皇と香淳皇后が、樺太に向かって深く拝礼し、詠まれた御製と御歌が載っています。

 

昭和天皇

樺太に命をすてしたをやめの

心を思へばむねせまりくる

 

香淳皇后

樺太につゆと消えたる乙女らの

みたまやすかれとたゞいのりぬる

 

 

サンマリノ共和国のサンマリノ神社建立に尽くされたマンリオ・カデロさんが、靖國神社や護国神社への誤解を解きたいと書かれた本書。一部認識の違うところもありますが、こうした海外の方からの意見の方が理解しやすい面もありますので、こうした本は有難いと思います。

 

今月出版された麗澤大学国際学部准教授で歴史研究者ジェイソン・モーガン氏著書『私はなぜ靖国神社で頭を垂れるのか』。

アメリカ人であるモーガン氏がなぜ、このように考えるにいたったかを知ることで、日本では知られていない、教えられていない歴史を知ることができます。なお、先日の15日、氏が戦没馬慰霊像の前にたたずんでいるのをお見掛けして、やはり15日に靖国神社へいらっしゃるのだなあ、と考えていました。靖国神社で見かける外国人は夏の暑い時期とてもラフな格好ですが、流石にきちんとした格好でした。声をかけてお話をしてみたいと思ったのですが、名前がその時出てこなくてあきらめてしまいました。

 

モーガン氏については以前、当ブログで紹介させていただきましたが、その後も御著書は増えています。

 

 

 

15日に、靖国神社を出た後近くのカフェにいたところ、デモが目の前を通り過ぎていきました。静かに慰霊する日を狙ってこうしたことを続けている輩がいなくなり、静かに、慰霊顕彰できるのが当たり前の日本、本来の日本に戻る日が早く訪れる日を願ってやみませんが、そのためにも忘れてはならない歴史をしっかり伝えていくべきと考えています。

 

 

 

 

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