第十五代応神(おうじん)天皇は古代の天皇です。

 

御名は品陀和気命/誉田別命(ほむだわけのみこと)。

 

御父は仲哀天皇、御母は息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)/神功(じんぐう)皇后。仲哀天皇の御父、つまり応神天皇の祖父は日本武尊、神功皇后は開化天皇の玄孫の息長宿禰王の娘です。

 

品陀和気命が生まれる前に仲哀天皇は崩御されました。また神託により母のお腹の中にいる時天皇への即位が決まっていましたので、「胎中天皇」とも言われます。
 
神功皇后が新羅を討たれた年に品陀和気命は誕生しました。
 
なお母の神功皇后の母方は九代ほど前の祖先が天之日予(あめのひぼこ)という新羅の皇子で日本に渡来し妻を娶り子孫が続きました。そのため神功皇后が朝鮮半島と関わるのは必然となったといいます。

 

都は軽島豊明宮(奈良県橿原市大軽町)に置かれました。ここは現在春日神社があり石碑が置かれていますが後の時代のものとなっているようです。また後に離宮として難波の大隅宮(大阪市東淀川区)が造られました。現在その跡地には大隅神社があり、御祭神は応神天皇です。次代の仁徳天皇の宮も難波の高津宮ですから、現在の大阪の発展の第一歩は応神天皇から始まったと言って過言ではないと思います。

 

 

 

応神天皇はその母のあとを受けて積極的な外交を行いました。

百済の王が薨じると、その王子を位に位に就かせ、またその王が薨じた後の年若い王が家臣に無礼にされていると、その家臣を呼び諌めています。

高句麗、百済、新羅から朝貢があり、それにともない伝えられた文化や技術がありました。儒学はこの時期に伝えられたといいます。
 
また秦の始皇帝の子孫の秦氏が渡来したのもこの頃で、養蚕や機織りの技術が伝わったといいます。

これらのことからわかることは、古代日本が当時の大国だったということです。半島からは朝貢があり秦からも一目置かれる国でした。
 
応神天皇は後継者の三皇子に分治させました。大山守命は山海の政(部民をおさめること)。大雀命(後の仁徳天皇)は食国(おすくに)の政(天下の政治をとること)。宇遅能和紀郎子は皇位の継承として太子(天下を知らすこと)。これは天下統治の在り方を示しているともいわれます。


応神天皇四十一年二月十五日、明宮(豊明宮)にて崩御されました。

 

古事記によれば百三十歳、日本書記によれば百十歳で崩御されました。かつて日本では半年を1年と数えられた(春秋歴)ことをあてはめれば、古事記では65歳、日本書紀では55歳で崩御されたと読み解くことも出来ます。あるいは日本で今も伝わる襲名制度なども古代天皇にはあったのではないかともいいます。

 

 

御陵は惠我藻状崗陵、大阪府曳野市誉田6丁目にあります。御陵には誉田八幡宮が隣接しています。神社の御由緒にはここにご幼少の頃居住し、この地の仲津姫を皇后にされたと書かれており欽明天皇の勅定により創建された神社です。

 

 


 

なお、応神天皇陵は仁徳天皇陵に次ぐ大きさです。世界三大墳墓と比較するとクフ王や始皇帝陵よりも大きく、実は世界三大のうち一位と二位は日本の墳墓となります。
 
世界最大は仁徳天皇陵
世界第二位は応神天皇陵
さらに
世界第四位は履中天皇陵

 

つまり応神天皇からの親子孫の三代が、世界第四位までの3つを占めています。これは応神天皇の御世から農業振興用の用水池を作るなど土木灌漑に励まれてきたのが、仁徳天皇の御世にはさらに進み、その流れが次の履中天皇まで続いたことを示しています。
 
こうしたことは世界五大墳墓として履中天皇陵と一緒に日本国内でしっかり伝えるべきものだと思います。

 

 

 

さらに、時代を経て造られた御陵を比較するとその土木工事技術の発展が素人でもわかります。我が国はこうした土木技術の発展により国づくりを行ってきた国であり、いつの時代も土木技術で災害とも戦ってきています。後の世に各地の豪族・大名等が土木灌漑事業で国を整えて行ったのもこうした時代からの積み重ねがあればこそでしょう。まさに古事記の始まりにある「国を固め成せ」そのものの歴史がこうして引き継がれてきています。

 

羽曳野市にはその地名の由来となった応神天皇の祖父である日本武尊の墓と伝わる白鳥陵(前の山古墳)他、古代の天皇陵も含め沢山の古墳がある古市古墳群があります。堺市の百舌鳥古墳群と合わせて一度は訪れたい場所です。こういう場所こそ修学旅行等で行くべき場所の一つかと思います。

 

 

 

百舌鳥古市古墳群は世界遺産となりましたが、こうしたことを教えもせず、また今も皇室のご先祖としてお祀りされているお墓である御陵を観光客目当ての場所にするなどということは日本人の感覚からすればありえないことだと思います。
 
なお、稲荷神社に次いで日本で多いと言われる八幡神社は全国に四万四千社あるとされています。その八幡神社に祀られている八幡神は応神天皇のことです。ご近所の八幡神社にお参りする時、日本人は応神天皇にお参りしていることになります。さらに、八幡神社に若宮社があったらそれは仁徳天皇のことです。応神天皇の若宮(皇子)が仁徳天皇だからです。地名でも八幡町などよくありますが、そうした地名があったらそこに八幡神社があります。稲荷町とあったらお稲荷社があるのと同様です。

 

本日は近くの八幡神社にお参りする予定です。
 

なお、三大八幡宮は総本宮である宇佐と石清水に筥崎か鶴岡を組み合わせたものだそうです。誉田八幡宮は入らないのです。なお、応神天皇祭としてのお祭りが行われているのは宇佐神宮だけです。また誉田八幡宮はHPに祭りの記載がないので不明です。

 

宇佐神宮では本日、御正忌祭が行われます

 

 

 

鶴岡八幡宮
 

参照:「宮中祭祀」
「天皇のすべて」
「現代語古事記」
「全現代語日本書記」
「よみがえる神武天皇」

 
古代の天皇について面白いほどよくわかる本

 

 

もうすぐ神武天皇祭↓

 

 

 

 

 

 

 

🌸🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎