もうすぐ節分ですが、この節分には麦とろを食べませんか?

 

 

有職故実研究家、八條忠基氏の著書『「勘違い」だらけの日本文化史』によれば、本来の節分の行事食は麦とろだそうです。

 

 

目次PDF 第三章の「日本人が愛した美味と珍味」の中に「節分は恵方巻より麦とろろが本式」と書かれています。ここには、恵方巻はお大尽が芸妓衆に無理を強いた色町らしいお遊びが発祥で、昭和初期に大阪の花柳界で始まり大阪の寿司店がその後広めたとあります。やっぱり下品なお遊びがもとです。

 

平安貴族のテーブルマナーの項目では、時の流れでマナーも変化しているとあるのですが、そんな中でも変わっていないのが、「正式な宴席では大口を開けて食べてはいけない」で、これは今も変わらないマナーです。

 

そう考えると、恵方が神様のいる方角ということから考えても、大口開ける行事は普通の日本人にはなじまないものであることがよくわかります。だからこそ、こうした商法がコンビニにより広まった時違和感を感じた人が多くいて、おかしいとなったわけです。

 

こうした新たに下品な風習を定着させたのは、日本を貶めようという力が働いているようにも感じています。

 

広告戦略ですっかり定着した感がある恵方巻ですが太巻きで食べるならまだしも、未だに恵方に向かって食べるというやり方を喧伝するこの広告戦略は下品すぎて止めてほしいとずっと願っていました。私は太巻きは好きなので、太巻きという風にシフトしていってほしいと考えていたのですが、どうせなら本来の行事に戻した方がいいのではないか、とあらためてこの習慣を知って考えました。

 

 

 

麦とろの風習は少なくとも室町時代後期には定着していて『年中恒例記』には「節分むぎの食御いも、大草家がこれを調理する」とあるそうです。

 

江戸後期の『守貞漫稿』には「三都(京・江戸・大坂)でも麦飯を食べることがあるが、たいていはとろろをかけて食べる」とし、「節分の日は恒例としてこれを食べる。食べるときはとろろか出汁を用いる。養生のために普段から食べるものもいる」とあったそうです。

 

さらに幕末の大阪の風俗を記した『浪花の風』には、「節分と大晦日には必ず麦飯を炊いて赤イワシを添えて祝い食べる。都で年越しに麦飯を食べることは貧富を問わずに一律である。江戸で蕎麦を食べるのと同じである。」と書かれていたそうです。

 

つまり、現在大晦日に蕎麦を食べる風習は、立春前日に蕎麦を食べた名残のようだともあります。

 

当時の都会人は、粗末な副食で大量の白米を食べていたため、ビタミンB1の不足を招き、「江戸患い」「大阪腫れ」などといわれる脚気の原因となっていました。脚気が栄養不足によるものと判明したのは明治43年のことです。しかし、昔の人々は経験値でときどき麦飯や蕎麦を食べることが、その症状に効くことを知っていたのでしょう。そういうこと、たくさんありますよね。昔から体にいいと伝わるものが、現在では科学的に証明されている時代ですが、とろろはそうした栄養素の他にも、アンチエイジング効果のある若返りホルモンでも最近では知られています。その滋養は良く知られている食品です。だからこそ、当時粗食といわれていたものが、今では贅沢な料理ともなっています。私は子供の頃からとろろが大好きだったので、とろろがウリのお店をいくつか知っているのですが、超高級ではないにしても、廉価な店でもありません。

 

でも、家で作ればそんなに高くつくわけでもありませんし、とろろは簡単にいってしまえば擦れば食べられる簡単な調理です。家庭料理でしたら、そんなに高くはつきません。まあ力はつかうかもしれませんけれども。

 

ということで、この寒い季節に滋養をつけるためにも節分の日はとろろを食べるのがいいのではないでしょうか。

 

これに賛同される方は、これを今からでも拡散してほしいです。

 

麦とろレシピ、検索してみました↓

 

 

 

すりたてをすぐ食べるのが重要!とのこと↓

おろして作るとろろ↓

 

創業426年!東海道五十三次にも描かれた、とろろ料理の老舗「元祖丁子屋」↓

 

慶長元年(1596年)。時は猛々しい戦国時代。
駿府の町が目の前で焼き払われ、豊臣秀吉は小田原城征伐のため兵を挙げ宇津谷峠を通過。そのような中、初代・平吉はのれんを掲げ、ここに丁子屋が創業しました。
今でこそ「とろろ汁の丁子屋」として親しまれていますが、当時はお茶屋として開業したようです。
その後、富士山の大噴火、大政奉還、世界大戦など時代の転換期にも直面。
初代がどのような“想いや希望”を抱いて創業したのかを知る由もありませんが、丁子屋は現在まで場所を変えること無く、ここ東海道の丸子宿で400余年を過ごしてまいりました。

丸子宿と言えば、とろろ汁。
とろろ汁と言えば、丁子屋。

松尾芭蕉翁、十返舎一九、歌川広重、様々な紀行物語や俳句、随筆、浮世絵でも残されているように、当時の身分や立場に関係なく、行き交う旅人の道中の無事を祈り、一時のおもてなしを続けております。

 

 

資料館もあったりして、お土産も歴史観があって、いつか食べに行きたいです\(^o^)/

 

建物が国の文化財に指定されています↓

 

 

 

 

 

 

 

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