3年前公開された映画「天外者」は五代友厚の生涯を描いた映画でした。これは、幕末から明治期にかけての日本の政治経済に功績がある割に知られてこなかった五代友厚を世に知らしめたいという人々の熱意で作り上げられた映画で、その期待に応えたのが主演の三浦春馬さんです。

五代友厚プロジェクト

 

「天外者(てんがらもん)」とは薩摩の方言で、お利口さん、関心な子、功績をあげた人、イタズラ小僧を指すそうです。その語源は「天からの子」、あるいは「典雅な者」、または「手柄者」など諸説あるようです。いずれにしても、「お利口さん」と「イタズラ小僧」の相反する意味をあわせもつところは、お茶目な感じもして愛され感のある言葉なんだろうと思います。漢字の字面が良く、音感もいいこの方言を知った時に、監督が映画のタイトルはこれしかないと考えたのもうなずける言葉だと思います。

 

 

 

映画公開を前に、このようなプロジェクトが立ち上げられた五代友厚に興味を持ち、五代友厚についての本を数冊読んで知って驚かされたのは、例えば今では坂本龍馬の功績のようになっていることが、実は五代友厚が動いていたことがあったり、破天荒の代名詞のような高杉晋作が影響を受けた人物が五代友厚であったことです。

 

そして、薩摩藩の転機となった薩英戦争で大きな役割を果たした人物が五代友厚であったであろうこと、等々。なぜ今まで知られていなかったのであろうかと思うぐらい、エピソードが盛りだくさんな人物でした。

 

しかも、その薩英戦争のきっかけとなった生麦事件で殺された英国商人はなんと五代友厚が上海に密航した時のイギリス商船の船長であったことや、薩英戦争時には二人捕虜となった内の一人であり、さらにそこでイギリス側への停戦の働きかけを行っていたことにも驚かされました。

 

五代友厚を知ると、坂本竜馬のエピソードがなんと色褪せてしまうことか。坂本龍馬が幕末の功績者として、これだけ多くの物語で描かれるのであれば、実質的に幕末明治の時代に目に見える功績を残した五代友厚はもっともっと描かれていいはずだと今では考えています。しかも、薩摩の中枢で重要な位置にいて、若くして亡くなったためにあまり歴史の表面に出てこなかった小松帯刀とは同じ年の幼馴染で、この二人の繋がりが薩摩藩では重要であったこともわかってきました。西郷隆盛が表面で動いていたことのそのバッグに小松帯刀がいたということが多いということを知ると、その小松帯刀と仲の良かった五代の力も図れるというものです。もし小松が長生きしていたら、五代友厚が下野することはなかったかもしれません。さらに海外留学の先駆となった長州と薩摩の内、薩摩の留学の立役者が五代友厚であったということはもっともっと世に知られていてもいいのではないかと思うのです。大阪では、薩摩出身の五代友厚のことを大阪経済を復興させた人物として大阪の恩人と呼んでいるようですが、大阪だけに収まらず日本の恩人であるのが五代友厚です。

 

 

五代友厚は、明治18年(1885年)9月25日東京で療養生活中に亡くなりました。映画の「天外者」では労咳にかかっているかのように描かれていましたが、実際には糖尿病だったようです。つまり、本日は五代友厚さんの命日です。大阪府阿倍野にある墓所では毎年法要が営まれているようですが、4年前の2019年の9月25日には、三浦春馬さんも参列され、その後に映画撮影に臨んだといいます。

大阪市南霊園(阿倍野)

 

そして三浦春馬さんの一周忌もここで営まれたといいます。それは五代友厚プロジェクトの方々が行われたのだそうです。それを知って涙が出ました。本来は、三浦春馬さんの人生を長く一緒に歩まれた人たちが行うべきものであるものが行われず、また無念で傷心のご家族にはその気力もないと思われる中、五代友厚を映画の中で生き切った三浦春馬さんのためにプロジェクトの方々が立ち上がった。なんて素晴らしいことなんでしょうか。

 

昨年の 墓前祭の動画↓

 

五代友厚が作った大阪商工会議所。ここのHPには五代友厚に関するページがあります。

 

大阪商工会議所とは地域おこしの場でもありますから、まさしく三浦春馬さんが気にかけてらした『日本製』の精神にも繋がっており、こうした作品が最後の主演映画になったのもまた縁のように思えてきます。

 

 

 

大阪商工会議所にある若宮商工稲荷神社は、五代友厚が大阪の商工業の発展を祈念して奉祀した「商工稲荷神社」が現在の地に移転された時に移転先にあった若宮稲荷神社と合祀されたものだそうです。なお若宮稲荷神社は豊臣秀吉が大阪城築城にあたって奉祀しその加護を祈願したことに始まる社です。

 

五代友厚の月命日にあたる25日には毎月幟が建てられるそうですから、9月25日には祭日として祭りも行われているのではないかと思います。

 

 

 

映画「天外者」は五代友厚を要約した単純化した物語となっていて、五代友厚の人生がこの映画でわかるものではありません。しかし、五代友厚を演じた三浦春馬さんにより、今まで知られてこなかったその魅力や味わったであろう人生の悲哀が凝縮されたものとなって見応えのあるものとなっています。今後少なくとも、2,30年はもし五代友厚が描かれるとしても、その役を演じることに俳優が躊躇するだろう五代友厚像を作り上げていますし、未来永劫三浦春馬さんを超える五代友厚俳優は二度と現れないだろうと断言できます。

 

私はこの「天外者」の映画がなければ、五代友厚に今も興味を持っていなかったと思います。そうした意味でも三浦春馬さんに、そして三浦春馬さんに役を依頼した方達には感謝しています。また、幕末明治という時代の転換期を描いた映画が、まさに現代の時代の転換期に公開されたその符号には、日本の不思議の様なものを感じています。

 

五代友厚プロジェクトには、七夕上映会や三浦春馬さんの誕生日、また12月の公開日記念上映を続けられていることに感謝しています。五代友厚は、日本の近代化、そして経済の基盤づくりに大きな功績があったにも関わらず、長らく忘れ去られてきた偉人ですが、なぜ忘れ去られてきたのかといえば北海道開拓使官有物払下げ事件に関わっていたからだと言います。この時、五代は何の弁明もしなかったといいますが、近年ではその汚名も晴れているといいます。没後130年以上を経ても真実が明らかになるということは救いですが、願わくは今すぐにでも三浦春馬さんの最期についての多くの不審が晴れることを祈っています。

見てみぬふりをしても結局は暴かれてしまうもの、抑えていた人がいなくなればそれを背負わされてしまうのは引き継がされたものだということが現在誰の目にも明らかになっています。そんな負の遺産など残さないほうがいいのではないでしょうか。

 

一方で、懸命に生きた方を知ることは玉手箱を開けるようなものなのです。

 

 

 

 

 

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