本日は旧暦12月17日ですが、元禄十四年十二月十七日は(1702年1月14日)は、東山天皇の第五皇子慶仁親王が誕生された日です。

 

慶仁親王は宝永四年(1707年)三月儲君に治定、四月に親王宣下、翌五年二月立太子、同六年六月二十一日父天皇の譲りを受けて践祚、同七年十一月十一日即位式を挙行(中御門天皇)し、翌年正月一日元服の儀が行われています。

 

 

この天皇元服の儀は近来まれなことだったといいます。しかし元服をしてもまだ数えで10歳であったため、はじめは東山上皇、その年の内に父帝崩御後には霊元上皇が院政を行っています。御在位は27年に及びますが霊元法皇が崩御されたのが享保十七年(1732年)ですから、院政がなかったのはわずか3年ほどとなります。


しかし年齢的には壮年の天皇が突然皇太子の昭仁親王(桜町天皇)に譲位されたのは享保二十年(1735年)三月二十一日のことでした。この前年、幕府から一張りの琴が献上されていました。これには「天皇も御在位が長くなったからお疲れであろう。心静かに花月を友とし、琴なりともお楽しみになられてはいかが・・・」という幕府からのなぞかけだったのだと噂されたそうです。


これは真偽はともかくとして、壮年の天皇を警戒する幕府と、幕府の様子を気にかける天皇(朝廷)の関係がみえるといいます。こういう時代を経て、その五代後の光格天皇の時代に朝廷の権威が復活していく時代になっていくわけです。

 

中御門上皇は、譲位の二年後に崩御されました。


中御門天皇は和歌や笛をよくし、キツネも聴きに来たという逸話も伝わるといいます。

 

また将軍吉宗の時に、像が謁見したのは霊元上皇と中御門天皇です。

 

この時は象が無官であるため参内の資格がないという問題が起こり、急遽「広南従四位白象」との称号を与えて参内させています。拝謁した象は前足を折って頭を下げる仕草をし、初めて象をみた天皇はその感銘を御製にしたためました。

 

時しあれは
人の国なるけたものも
けふ九重に
みるがうれしさ

 

なお、天皇は十二支の巳に縁があり、巳年生まれだけでなく、崩御も巳年巳月巳日巳刻であったと側近の広橋兼胤の日記に書かれていたそうです。

 

参照:歴代天皇100話 

 

中御門天皇が琴に気を使われて譲位された逸話から、現在の皇室が思い浮かびます。天皇と皇室の歴史をみると権威にはやはり財政が伴いますから、皇室財政が自立できるよう努力された歴代の天皇がいらっしゃいますし、明治維新の際には新政府がそうした調整を行いました。そうした中でも明治天皇から続く御歴代の天皇と皇室が自分たちの生活には質素を貫いてきたことは有名です。そしてその皇室の財産を使って福祉に力を入れたことが現在の日本の福祉に大きな影響を与えてきたと江崎道朗さんは著書に書かれています。当時の日本政府が行わなかったような福祉も皇室が率先してやってきたのです。それは財産があったからできたことなのです。ところが終戦時皇室の財産は奪われ、そのため宮家が皇室離脱することになりました。天皇と皇室は国家予算で管理され、天皇=国であるにもかかわらず、昭和天皇が崩御された後、上皇陛下は相続税を払ったといいます。宮中祭祀は私事とされ、国の行事と重なる場合も私事との違いの説明に国が苦慮する中、皇室の方々が気を使われてしまうのは必然のことだと誰しも想像がつくことでしょう。ところがそうした中で出たのだと思われる言葉や、もともと御歴代の天皇が質素を貴んできたことからの言葉でさえもまた皇室縮小のために利用されてしまうのです。宮中祭祀のために使う予算は、私事とされても国のためであることに変わりはありません。そのために使われるお金を惜しむなど、日本人として申し訳ないとしかいいようがありません。令和の御代替わりは、世界中から注目され、歴史が古く伝統のある国としての存在感を世界中に見せつけていましたが、その中に国が予算を削ったものがいくつもあり、歴史としてそれがしっかり記録され未来永劫残るのは同時代に生きる者として悔しく残念でなりません。そして、上皇陛下がご自身の御陵について語ったことから、用意されている土地は縮小されたものとなっていることも。その土地については、御陵清掃に参加した際に見せてもらって目の当たりにしてきました。

 

ところで、風水というものがなぜ発展してきたかをご存知でしょうか。実は、風水の始まりはお墓のためにありました。ご先祖様のお墓を立派にすることにより、ご先祖様に喜んでいただき、自分たちを見守ってもらう、というところから始まったものなのです。そして、日本が大きく飛躍した幕末以降の御陵と日本の移り変わりは比例しているのです。風水恐るべし。そうしたものをみたら、これからの未来のためにも、縮小などしてはいけないのではないですか?

 

昨日は、昭和天皇祭が行われました。

昭和天皇の命日の1月7日、皇居や武蔵陵墓地で「昭和天皇祭の儀」が行われた。 昭和天皇の崩御から34年となる7日、八王子市内にある武蔵陵墓地では、佳子内親王殿下さまが「山陵に奉幣の儀」に臨まれた。 午前10時ごろ、黒いロングコートと帽子にマスク姿の佳子内親王殿下さまは、曾祖父にあたる昭和天皇の眠る陵墓の前に進み出て、深く拝礼された。 一方、皇居の宮中三殿でも、「皇霊殿の儀」が行われ、陛下や秋篠宮皇嗣殿下同妃殿下ご夫妻が拝礼され、敬宮愛子内親王殿下さまも2022年に続き参列された。

※敬称を追加訂正しています。

 

拝礼のところがノーカットとなっている映像。三度拝礼され、2番目が一番深くなっています。実は直角にお辞儀するのは意外に難しいので、この拝礼から佳子内親王殿下が日頃から祭祀に真摯に取り組まれていることがよくわかります。

昭和天皇崩御が亡くなってから34年にあたるきょう、秋篠宮家の次女・佳子内親王殿下さまが昭和天皇陵を参拝されました。 佳子内親王殿下さまは、午前10時前、参拝服に黒いコート姿で、東京・八王子市の武蔵陵墓地に到着。歩いて参道を進むと、昭和天皇が埋葬されている武蔵野陵の前で深々と拝礼されました。皇居では、天皇陛下や秋篠宮皇嗣殿下同妃殿下ご夫妻が、昭和天皇がまつられている皇居の「皇霊殿」で「昭和天皇祭」にのぞまれています。

※敬称や言葉の追加訂正をしています。

 

 

近現代の皇室を知る上で欠かせない本、日本人必読書です。特に皇室が嫌いな人、皇室を全く知らない人、また皇室財産の陰謀説にハマっている人にこそ読んで欲しい。なぜならそれこそが、戦後GHQが洗脳した結果だからであり、この本を読むことでその洗脳が解けるのではないかと思うからです。本書を読むと、皇室に興味を持って探求しにいってしまうぐらいに変わってしまうやもしれません。また、そうならなくても、本書を読めば現在の日本をより理解することができるようになります。

 

 

 

 

 

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