大正八年(1919年)第一次世界大戦の講和会議がパリで開かれていましたが、4月11日その国際連盟規約起草委員会の第15回目、最終会合が開かれました。

 

この日、日本政府代表である牧野伸顕(のぶあき)男爵は、連盟規約の前文に人種平等を盛り込むように草案の修正提案をしました。

 

これ以前にも、第10回会合において、連盟規約の第21条の「宗教事項」に人種の平等を認めるよう提案していましたが、「宗教事項」が削除されることとなり日本提案は実っていませんでした。そこで規約の前文に盛り込むよう再度提案したのです。

 

そして、この提案は採択され、当日の出席委員計17名中11票の圧倒的多数により支持されました。

 

ところが議長のアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンが、こうした重要案件については全会一致にすべしとして介入し、牧野とフランス代表のラルノードウの反対を押し切ってこの案を退けました。牧野は強硬な抗議演説をしたのですが、受け入られなかったため、日本の人種差別撤廃提案が多数決の原則からいえば承認されたものだと議事録にはっきり記すことを約束させて引きさがりました。

 

世界初の人種平等(人種差別撤廃)提案は実りませんでしたが、こうして記録に残ることとなりました。

 

 

この時、賛成以外の票はカウントされませんでしたが、その国とは、アメリカ(2)、イギリス(1)、ブラジル(1)、ポーランド(1)、ルーマニア(1)であり、イギリス(1)とベルギー(2)は当日欠席していました。

 

 

 

日本は欧米諸国との不平等条約の改定に半世紀以上を費やしてきました。しかし19世紀中に有色人種として唯一国家の近代化と工業化に成功しており、そうした日本に対する欧米諸国の警戒心や嫉妬心、またそれを背景としたいわれなき各種の人種差別的措置が起きていました。こののち、1924年にはアメリカで排日移民法が成立しており、これには日本の一般市民が激怒し、日米関係は急速に悪化していきます。

 

もしこの時、ウィルソンが全会一致など持ち出さず草案に人種平等が盛り込まれていたら、その後の世界はどうなっていたでしょう?

 

排日移民法など成立したでしょうか?
その後の戦争は起きたでしょうか?

 

産経抄2017.12.16 によれば
昭和天皇は、大東亜戦争の遠因として、第一次大戦後の1919年のパリ講和会議で、日本が提出した人種差別撤廃案が否決されたことを挙げている。それに加えての24年の米排日移民法成立は、「日本国民を憤慨させるに充分(じゅうふん)なもの」だったと。


アメリカは独立宣言に「すべての人は平等につくられている」とありながら、インディアンの土地を奪ったり、黒人奴隷を連れてきて働かせていた国です。つまり白人以外は人間ではなかったのです。そもそもアメリカという国そのものがインディアンから移民が奪いとった国であり名前です。現在ではインディアンをネイティブアメリカンなどと言葉を変えていますが、アメリカンという言葉を使用していることそのものがその傲慢さを表しているといえます。

 

そしてその傲慢さがこのような不名誉な歴史をアメリカに刻ませたのです。

 

英国の男子普通選挙の開始は1918年ですが、日本で25歳以上の男子に選挙権が与えられたのはその7年後の大正14年(1925年)です。一方で、アメリカでの普通選挙の開始は1970年であり、大統領選挙に関しては1972年となります。そのような国の大統領が、人種差別撤廃案を受け入れられるはずがなかったのです。

 

『ウッドロー・ウィルソン 全世界を不幸にした大悪魔』

 

 

 

 

 

 

また当時世界中に植民地がありました。日本では台湾と朝鮮を併合していましたが、併合と植民は違います。日本は開発の遅れた東北地方がありながら、台湾や朝鮮のインフラ設備や開発に膨大な予算をつぎ込み、また教育にも力を入れました。日本の言葉も教えバイリンガル教育も施しています。朝鮮半島に至っては、忘れ去られていたハングルを見つけ出しそれを朝鮮半島の文字として普及もさせました。

 

しかし植民地では搾取のみ行われインフラ設備は必要最低限で、教育は宗主国の言葉を押し付けるだけで行われていなかったのです。だからこそ、こうした日本の、日本人としては当たり前のことが、欧米の脅威となりました。日本の当たり前は、当時の世界にはまだ早かったのです。

 

一方で、この日本の行動が多くの植民地となっていた国々に勇気や希望を与えたことも事実です。私達は当時の日本の先人たちの勇気ある行動にもっと誇りを持ち称えていいのではないかと思います。

 

その後の日本は、この提案をした国らしく行動しました。

 

1942年1月、東條英機総理大臣の国会演説(開戦理由)では、アングロサクソンの植民地主義の統括から諸国の民族を開放することが、共産主義との戦いと一緒にあげられています。また、翌年の大東亜共同宣言においては、アジアの七カ国首脳による「人種差別撤廃宣言」がされました。

 

また第二次世界大戦中、ユダヤ人を受け入れたのは日本ぐらいのものでした。ユダヤ人の英雄としてイスラエルで称えられている樋口季一郎少将や、リトアニア領事だった杉原千畝などの活躍は日本政府が受け入れなければできませんでした。

 

戦後イギリスやフランス、オランダなどは植民地を取り戻そうとアジアに戻ってきました。しかし、多くの国が抵抗し戦い、その後の独立を勝ち取っていきました。


現在もいまだに紛争がある国が多くありますが、その原因として植民地政策を行う際に間に別の国から人を連れてきて、間接統治を行い自分達への恨みを抱かせないような政策を行ったがために、異民族間の恨みや宗教の違いが生じているものがあります。そうした中にはハーフとして生まれた人たちも含まれます。そうすることにより、直接介入していない風を装って自分たちへの直接的な恨みを回避したのです。

 

これは、戦後日本でも行われていることであることは、賢明な人は気づいていることでしょう。日本で起きているおかしなことはこれに起因していることが多いです。

 

そして現在欧州が多くの移民に浸食され問題が多発している原因も、その移民の多くが元の植民地の人達、あるいはその植民地を利用してくるということがあげられています。なぜなら、言葉を知っているからです。言葉の力は大きいといえます。

 

 

そして今もなお人種差別は世界中にあります。しかし、差別というものがなくなることはないでしょう。しかし、それを減らすことはできるはずです。そしてその際に、アメリカで起きているブラックライブズマターのような、黒人だけが人種差別にあったかのような、そして人種差別問題にすり替えれば犯罪を起こしても無罪になるような活動などとは一線を規すべきです。アメリカの動きは目立つので、それに乗る人が多くいますが、犯罪は犯罪であって、人種差別とは関係ありません。こうした活動は新たな差別を生み出すだけです。またこうした派手な騒動に乗じて、テロ活動を行っている人達もいます。そうしたことを認識していくことも重要です。

 

どうすればなくすことができるのか?私たちは先人にみならってそれを考えていくべきではないかと思います。

 

 

 

この本の半分が、世界の植民史です。植民史を知らずに現在の国際史を理解することはできません。

 

「FULL POWER」によれば、先人達について知ることは、私達の自信を培います。家族の歴史を知っている子供は困難なことに直面した時の対応力があり、また回復力がありストレスにも強いといいます。そして、創業史を知っている従業員は意欲的になれるといいます。これは世代を超えた自我や自分よりも大きい何かの一部であると知っていることが自信に結び付くからです。我が国は、「国家」という言葉を造ったように国は家族であるという認識の国です。その大きな国を知ることはつまり私達を強くするということです。つまり逆に言えば、だからこそアメリカは日本弱体化のために国史を教えないようにさせたのであり、それを未だに引きずっているのが日本の教育の現状です。

 

環境が人を造り、その能力を決めます。昨年来の世界中の状況を見ると私達は現在の日本を作り上げた先人達に感謝し、日本人として生まれて良かったと改めて認識する必要があると思います。緊急事態宣言でさえも、世界各国のような強制的な政策でなくても暴動が起きることなく、多くの人達が従っているのは民度と教養の高さがあるからです。こうしたことを含め、先人達を誇りに思い、その功績はきちんと伝えていきたいものだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

🌸🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎