いわさきちひろさんの挿絵本、二つありました。

 

ここ最近、そういえばしばらく読んでないから読みたいなあ、と考えている本が『青い鳥』です。私の中では『ピーターパン』とセットのイメージがある本なのですが、それは私の初めての本が近所の従妹のおさがりの立派な厚い本で、この二つの物語がセットとなっていたからです。

 

今考えるとなぜこの二つがセットとなっていたのか謎なのですが、もしかしたら二つとも舞台劇として書かれたものだったからかもしれません。

 

さらに、この二つにはそれぞれ青い鳥症候群、ピーターパン症候群という言葉まであるのも似ています。それぞれ、もっと別の幸せがある、と幸せを追い求める人と、精神的に大人になれない、大人になるのを拒む人を指しますが、少なからず誰しもが持っている心理でもあるかと思います。

 

でも子供の頃は、両方の物語とも何も考えずに不思議な世界に行く物語として楽しんでいたのですけれども。

 

『青い鳥』は幸せをもたらすと言う青い鳥を探しに行く幼い兄妹の物語ですが、実は青い鳥は家にいた、という寓話でもあります。

 

隣の芝生は青く見える、と言いますが、人はいつだって他の人の物の方が良く見えたりするものです。しかし、よく知れば実は自分の方が幸せだったり、相手は本当は不幸だったりつらい境遇だったなんてことがあるものです。

 

でも、それも相手を知らなければずっとそう思い続けてしまうものです。だからこそ、知ることが大事なのだと思うのです。だからといって、相手を詮索しろ、というわけではありませんが、色んなことを知ることで、世界には色んな境遇の人がいるということを知ることは大切なことだと思うのです。私の母は、上を見ても下を見てもきりがない、とよく言っていたのですが、私は知らないよりは知っている方がいいとやはり考えるのです。なぜなら、人はそうした自分の知っていることでしか物事を判断する尺度がないからです。

 

当たり前の空気のような存在も、比較するものがあって初めてその存在を知る、認識することもあります。

 

幸いなことに現在は、自分が経験しなくても多くの情報から様々なことを知ることができます。もちろん経験も大切ですが、いつの時代も全てのことを経験することなど誰もできませんでした。しかし、それでも書物などでそうしたことを補ってきたものですが、現在はビジュアルまで含めてそうしたことを知ることができる時代です。それで補えないものもあるかもしれませんが、それでも知らずに判断するよりはいいでしょう。

 

幸せの尺度も人様々ですが、やはり足元がしっかりしている人のほうが幸せである、と私はいい歳になってしまった今、考えるようになっています。つまり、青い鳥はやはり家にいた、あるいは地元にいた、あるいは故郷にいた、ということです。歳を経ると故郷が恋しくなる、といいますが、人は生まれ育った土地にいるのが一番幸せなのではないか、と思うのです。そして、若い頃頃の私になぜ誰もこうしたことを教えてくれなかったのだろう?とも考えるのです。一方で、当時の若い頃の私が、そうしたことを素直に聞かなかったであろうこと、あるいは理解できなかっただろう、ということもわかっています。若いということは、外に出ていくということでもあるからです。そうして経験してこそ、より一層家の大切さ、故郷の大切さがわかるのだとも。故郷は国でもあります。昔でいえば一地方、しかし世界が広がった今、国はそれこそ国、我が国です。

 

私は子供の頃からずっと海外志向が強すぎて、友人たちはいつか私が海外で暮らす、あるいはどこか国の人と結婚するだろう、と考えていたと何人かから言われたことがあります。でも、いずれの道も私は選びませんでした。まあ、選べなかったともいえますが、それで良かったと思うのです。もし、そうなっていたら、私の青い鳥症候群はいつになっても終わらなかっただろうと思うからです。

 

そう考えるのも人それぞれだとも思いますが・・・。

 

青い鳥を探し求める人が、広い世界に飛び立った時、そして比較するものを沢山見出した時、きっと本当の青い鳥の居場所に気づかされ、その時否応なく本当の大人になるのかもしれません。

 

否応なく、自分がいた場所の幸せを知らされるのも経験ですが、失敗を最小限にするためにも、やはり大人の言うこと、先人たちの言っていることを聞くのも大切だと思います。たとえその時理解できなくても、後から理解できるときが必ず訪れるからです。

 

青い鳥をテーマにした歌ってやはり多いですね。ほんの一部ですが↓

 

 

 

 

署名の第一次は終了していますが、二次募集もあるかと思うのでそれまでリンク貼ります↓

 

 

 

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