4年前の今日はこんなことを書いていました。

 

 

これはここで何度も取り上げている「御成敗式目」の言葉をどんどん言い換えていったもので、最終的に「日本は国民の敬によりて威を増し、国民は日本の徳によりて運を添ふ」となりました。簡単に言えば、すべての者は依存しあって成り立っており、独立して存在しているものなどないということを語っている言葉です。

 

そしてこれを裏テーマとしてわかりやすく物語化したもの。たとえ最初はわからなくても、最後には理解できるよう物語化されていたのが『神様の御用人』シリーズです。

 

 

これは、例えば会社勤めの人には会社に当てはまるでしょう。

「会社は社員の敬いによって威を増し、社員は会社の徳によって運を添ふ」

 

あるいは学校でもあてはまるでしょう。

「学校は生徒の敬いによって威を増し、生徒は学校の徳によって運を添ふ」

 

全ての人が何らかの組織に属しています。二重、三重に属しているものものあります。なぜなら、私たちはそうした社会で生きているからです。そしてそこには何らかの敬いや徳があってこそ、人々の繋がりも保たれ、また自信の尊厳も維持できるのではないかと思います。

 

しかし、そうした敬いがない組織、自身の尊厳を保てない組織であったなら・・・

 

私は、今の日本がこうしたことからはずれてしまっているから、今のような状況に陥っているのではないか?と考えています。

 

世の中には、仕事に誇りが持てず、また社員などを駒としか見ていない企業や組織がたくさんありますし、世の中に貢献しようなどという意識のない組織も多いです。外面はよくても、内実はという組織が多いからこそ、不満を抱えている人が増えているのではないかと思うのです。

 

最近、『400年前なのに最先端!江戸式マーケ』という本が出版されているのですが、この本を読むと近江商人の四方良しだけでなく、昔から日本人が徳をもって生きてきたことを読み取ることができます。人は「自分のため」よりも「人のため」に何かをするときのほうが強い、とはよく言われますが、こうした徳をもって仕事をするとさらに強いのだということが、歴史で証明されているのが興味深いです。

 

 

そして徳を持っていたところは今も存続しているところが多いんですね。

 

つまり、徳のない企業・組織はいずれ淘汰されるということです。人々に不幸をもたらすような組織が続くはずなどないのです。たとえ今安泰に思えても、内部が腐っているようなところは崩壊していくのが目に見えてます。

 

 

こうした徳を持った組織、私はここにやはり潜在的に民を想う天皇の存在の力を感じます。

 

江戸時代、関西圏以外の人々は普段天皇の存在など考えずに生活していたと思います。やはり普段は直接の為政者である幕府の存在が大きかったからです。でも、幕末になると志士が向かったのは京都です。それを町民たちが知らないはずはないでしょう。日本ではなにかあると、天皇の存在が浮き上がってくるのです。

 

つまり、日々日本のため祈られている天皇という存在です。そこには無私の心しかありません。

 

普通の人は、無私で生きることはできません。なぜなら生きていくために働き、生活していかなければならないからです。しかし、天皇は祈ることが本来の仕事であり、それを今も続けられていらっしゃいます。そうしたことは普段表に出てきませんが、例えば新嘗祭の時に祈られることは、国のため国民のため、そして全て繋がっている世界のため祈られています。日本だけで国は成り立たないからです。

 

天皇、そして皇室は有難い存在です。

 

つまり、日本を崩壊させたい輩にとっては、天皇と皇室を狙えばやりやすいわけです。しかも、天皇と皇室は基本何を言ってもほとんど反論してきません。言いたい放題となっているのが現在の日本です。日本のメディアは、いえ日本だけでなく米大統領選で世界のメディアの状況も浮かび上がりましたが、書きたいことだけ書いて、必要なことは報道しないことが本当に多いです。

 

だからこそ、そうした書かれていることを鵜吞みにしていいのか?と。

 

こうしたときこそ、我々が天皇と皇室をお守りすべきではないか、と思うのです。なにも表立って何かをしようというのではありません。ただ、書き放題のメディアの言うことなど一蹴すべきではないか、と思うのです。

 

また、天皇と皇室が完璧であるように考えるのも間違いです。完璧なものなどこの世に存在しません。私たちと同じような存在でありながら、より良いものを目指して日々努力をされている。そして私たちにはできないような祈りを続けていらっしゃる。それこそが尊いと私たちは考える国だったのではないでしょうか?

 

依存しあい補い合って存在する、それを日本的表現として言葉にされたのが『御成敗式目』の言葉であり、今もこの言葉が私たちに訴えているのです。

 

「神は人の敬いに依りて威を増し、人は神の徳に依りて運を添ふ」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

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