4月1日は三船敏郎さんの誕生日ですが、三船敏郎さんはエイプリルフールの風習に反対していたらしく語録ツィートがありました。でも、実は本当の誕生日は4月4日だったそうで、お父様が4が二つ重なるのはよくないと1日で届けたんだとか。そうしたらエイプリルフールの日が日本でも広まってしまったわけで、こんな発言となったのでしょう。

 

三船敏郎さんは世界が認める大スター。亡くなられたのちもその作品群は永遠に残っていく、そうした俳優の一人ですから改めて映画につてい語る必要もないでしょう。検索すればたくさんの映像、写真が出てきます。

 

私が最近興味を持っているのは以前その評伝を読んで知った三船敏郎という人間そのものです。とても人間臭く、生真面目で古い時代の男性像そのものの姿と、戦争で色んなものを見てきたその経験による奥深さです。なんといっても衝撃的だったのは、特攻の若い兵士たちの写真を撮っていたことです。つまり、靖国神社にある若い兵士たちの写真の中には三船敏郎さんが撮った写真が何枚もあることを物語っています。そうした死を背負っていたこともその後の生き方に影響があったのではないかと思います。よく書かれていることの一つが、一見粗野に見えながら、一緒に仕事をするとその礼儀正しさに驚かされる、というイメージのギャップですが、きれい好きで世話好きで、事務所の掃除も撮影所で落とされるたばこの吸い殻拾いも、文句も言わず率先して行い、かえって周りの人たちが襟を正していたといいますから、これこそまさしく自分の背中を見せて育てるということだと思うのです。

 

誕生日の逸話について書かれていたのは昨年末出版された「三船敏郎外伝 わたしのトシローさん」で、著者は俳優さんで、三船家や黒沢明監督の黒沢家と同じ秋田ご出身の方。著者が亡くなられたのを機に平成十二年に出版された本書を加筆修正して再出版されたものです。本書は、著者の自伝も含まれた本で、同じ秋田出身であることが三船敏郎さんの史跡を追うきっかけともなったようなのですが、両家の祖先まで辿ったことで、より深く三船敏郎さんや黒澤明監督の背景がつかみやすくなっており、もしかしたらそうした面があったことも黒澤明監督と三船敏郎という黄金コンビを生み出したのかもしれない、と思わせます。

 

三船敏郎さんは大陸で生まれ育ち、そのまま軍隊に入ったことが知られていますが、その父である徳造さんは、義和団事件の時から大陸に渡っていたと三船さんは語っており、明治時代に満州で貿易商をして、日露戦争では従軍キャメラマンのようなこともしていたんだそうです。その徳造さんの写真を見ると端正な顔立ちをしていて、三船さんはお父さんに似ていたことがわかります。なにしろ本家には、三船さんそっくりな従兄がいて、三船敏郎さんによく似ていると言われるたびに、俺が年上なんだからあいつが似たんだ、と応えていたそうです。

 

戦争中にお父様が亡くなられていた三船さんは、戦後まず最初に頼ったのは秋田の本家だったそうです。兵隊になる前、父親に日本を見てこい、と言われて日本に初めて来たとき滞在したのもその本家でした。本家の従兄の娘が東京に出てくるとその面倒もよく見て、ご先祖様のことを知らないというと詳しく三船家のご先祖を代々の名前から教えられたそうです。

 

この本を読むと、「サムライ 評伝 三船敏郎」で知った三船さんの真摯な姿がさらに深まります。それはやはり、三船敏郎さんのご先祖まで追って書かれているからかもしれません。

 

三船敏郎さんは大陸で生まれ育ったからこそ、より一層日本を意識して育ち、また国際都市で生まれ育ったがために生まれながらの国際感覚も養っていた。父親からは「日本人であること」の誇りを何度も教えられたといいます。そうした感覚は代々の三船家のご先祖を教えられたこととも無縁ではないでしょう。それをそのまま従兄の娘に語ったのですから、きっちり教えられたのだということがわかります。そしてだからこそ、国際スターとなっても堂々としていたのでしょう。それはまるで国際スターになるべくしてなったような生い立ちです。

 

「先祖を大切に思え、先祖に恥じる行いはするな」と父徳造が何度も繰り返し言い聞かせた言葉はそのまま父の座右の銘であり、息子へ託す思いでもあったのだといいます。きっとそのままこれは三船敏郎さんの座右の銘だったのではないでしょうか。それはそのまま、戦地で先に逝ってしまった幼い特攻兵たちにもつながったのではないかと思います。

 

25歳で古参兵であるということが兵隊の若さを物語ります。

靖国神社に参拝するとバッシングを受ける現在の芸能界。三船敏郎さんがいたらどう思ったでしょうか?

上島嘉朗さんには、言論人もなぜか今まで一言も触れなかったこの問題に対して、特に三浦春馬さんの異常な状況も含めて詳細に語っていただき、また「日本製」の紹介までしていただき感謝したい動画↓

 

 

そして日本人として演ずるときは日本人であることを忘れなかった。

「日本人として出演する場合は、多くの日本の方もあとで見るわけですからね。日本人としてこんなことは考えられない、日本人に観られて恥ずかしいというようなことはできません。それをはっきり申し入れます。しょっちゅう現場でもめますけどね。」

と語っていますが、日本人としておかしい!とやらなかったことのエピソードはいくつもあります。そして、そうした姿勢があるからこそ、より一層、海外からも崇敬の念を集めたのだとも思うのです。なぜなら、自分の国を大切に思うことは普遍的なことだからです。

 

しかし最近、海外で活躍している俳優たちはどうでしょうか?先祖たちを貶め、日本人を貶めている作品がいくつもあります。ただ海外の作品に出られれば満足なんでしょうか?それでは海外での自分の存在価値を自ら貶めているようなものです。真の国際スターとなるには、グローバルな視野はもちろんローカルな視点を持ち続けることも必要なことだと思うのです。それは三船敏郎さんがご自身の存在で示していたことでもあります。それほどの存在感があったからこそ、誕生日も盛り上がっていたのではないでしょうか?

 

もしかしたら、三船敏郎さんに続く真の国際スターになったのではないかと思われる三浦春馬さんは、海外での活躍を目指して日本について学び、日本について考え、そして語学も磨いていました。それは幼いころから海外ロケ作品に出る機会があったことで、その時は意識してないくても我が国を意識するようになったのではないか、と昨年ツィートしていた方がいました。人は比較して初めてその存在価値を知ることができるといいます。日本にいるだけでは、日本の良さはそしてもちろん日本の良くないところもわからないでしょう。そして、昨今の海外の様子を知れば知るほど、日本は世界中で稀有なほど良いところが多いのだと知られるようになっています。つまりネットという情報ネットワークが発達することによって、これまでは海外に行かなければわからなかった現地の状況が海外経験がなくても多く知られるようになったからです。もちろん実際に経験することとは違いますが、こうした情報が知られるようになって比較できるようになったことは大きな進歩です。しかしそれでも、わが国の存在を認めない自虐史観の人がたくさんいます。そうした中、春馬さんは海外を目指すにはやはり、日本について知らなくては伝えることができない、と着物の着付けや所作をはじめ多くのことを学んでいたのだといいます。

 

春馬さんの日本の未来と自身の未来への展望に満ちた「日本製」

 

そうしたことを知れば知るほど、三船敏郎さんの後継者となるような世界的スターは出てこないのか?と思います。

 

しかし、あらためてこの三船敏郎さんの評伝を読んで、そうだ新田真剣佑は三船さんと同じく海外で生まれ育ったんだった、と思い当たりました。彼も生真面目でストイックでありながら、日々鍛錬していることが知られています。そして、「ブレイブ群青戦記」では春馬さんから継承される役でもありました。そして、満員御礼舞台あいさつでは、春馬さんの意思を継いで海外に出ていきます、と語っています。まだまだ演技伸び盛りの真剣佑なら、春馬さんが果たせなかった想いを果たしてくれるのかもしれない、と最近考えています。

 

 

 

 

一日前後は、三船敏郎さんの誕生日として沢山のツィートがあがっていました。↓これは確かお孫さんがアップしているアカウント。

 

 

 

 

 

去年は三船敏郎さんの生誕百年の年だったのでたくさんの動画が作られています。写真だけでも存在感があるのがよくわかるかと思います。海外でも人気があるので、海外でアップされている映像も多いんですよね、三船敏郎さんは。上記のスイスの告知ポスターが目のアップだけでできてしまうのも、それだけ顔が知られていることの証です。

 

 

映像作品で年代も入っている。25歳で復員したのが1945年、1950年が30歳なので「羅生門」は30歳の時の映画となる。そして「生き物の記録」で老け演技をしたのが1955年だからこの時35歳、やっぱり凄い俳優です。まだ観てない映画が沢山あるので観たいなあ。

三船敏郎さんのキャラクターは陽気な人だったようで、「七人の侍」の菊千代役は実像に近いんだとか。そんな三船さんの面白シーンが集められています。

「羅生門」の京マチ子さんと一緒にロンドンのイベントに招かれた時に受けたインタビュー映像。貴重です。ホテルに到着後、同行の人達が落ち着くまで確認してから自分も落ち着く、付き人は付けないで全て自分で行う、というのは世話好きで何でも自分でできてしまうことからそういうスタイルになったのではないかと思います。片時も離さない煙草が時代を感じさせます。このラストで、三船敏郎さんの魅力について、常に日本人であることを主張し、日本人である誇りを忘れていないことだ、とナレーターが語っています。確かに国際的場で、その個を主張する場合、その民族・国としての背景がその個性を際立たせ主張させるというのは多くの人が語っていることでもあります。この映像ではタキシードを着ていますが、ベネチア映画祭で男優賞受賞時には紋付袴姿で登場しています。

 

 

 

 

 

二日間このアイコンです↓

 

 

 

 

 

 

本日は後鳥羽天皇の祭日、そして護王大祭の日でもあります

 

 

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