ノートを更新しました。
マスコミ兼宇宙飛行士の家族席室にある、アポロから送られてくる映像モニター右側。
正面、当時の管制室の、刻一刻と変わるデータ図表。
モニター左側。
また右側。
1969年当時はこんな手作業も・・・・
音声は著作権に引っかかるようなので、無音でお送りいたします。
交信音声は公式のこちらでお聞きいただけますよ:
https://www.nasa.gov/wp-content/uploads/2018/07/62283main_landing.wav
にある英文をグーグル翻訳&ちょいと手直しすると
>初めての月面着陸を試みたアポロ 11 号の成果を世界中が見守る中、NASA ミッション管制センターの職員たちは降下中ずっと息を止めていました。 誰もがアポロ乗組員からの安全な到着の確認を心配して待っていました。
午後3時18分頃 (アメリカ中部時間) 1969 年 7 月 20 日、ニール アームストロングの有名な言葉は永遠に歴史に刻み込まれました。「ヒューストン、ここに静かの基地(しずかのきち、ラテン語: Statio Tranquillitatis、英語: Tranquillity Baseは、1969年7月20日にアポロ11号の月着陸船が着陸した場所)があります。 鷲(アポロ11号の月着陸船イーグル=鷲)は舞いおりた。」
月着陸船から連絡が入ると、カプセルコミュニケーター (CAPCOM) のチャーリー・デュークがアームストロングとバズ・オルドリンに応答しました。 彼は管制室や世界中で感じられた安堵感と興奮の感情を次のように表現した。 「了解、”静かの”。私たちはあなたの言葉を地上でくり返します。 あなたは皆を青ざめさせた。 私たちは再び息をしています。 どうもありがとう。」<
皆が青ざめ、息を止めていた理由は何かというと、こちら:
>NASA のエンジニアと科学者はこれらの画像を使用して、アポロ計画の着陸地点を選択した。 主要な着陸ゾーンは平らであり、着陸時に月着陸船 (LM) 着陸船をひっくり返す可能性のある大きなクレーターや岩がないはず。 このため、滑らかな静寂の海がアポロ 11 号の目標として選ばれた。<
のだが
>人類初の月面接近で降下速度が速すぎたため、目標地点を約4マイル行き過ぎてしまった。<
25万マイルのうち、たったの4マイルなんだけどそれでも!!
>オルドリンとアームストロングが月面に近づくと、ニール・アームストロングは着陸船が大きな岩が散乱する地域に降下していることに気づきました。 そこに着陸すれば大惨事になるかもしれない。 手動制御を使用して、彼はエンジンを点火して着陸を遅らせ、LMを約400フィートの高度に保ち、前方にある大きな岩やクレーターの少ない着陸地点に着陸させた。<
という、手に汗握るというかもう生死を分かつ危険を乗り越えられたんですね。
さて、私たちが座った赤い座席は当時の本物で、遥か昔に見た記憶がある金属製の蓋つき灰皿がついていました。
管制室内には誰もいないけれど、この場所、そして音声やデータ画像の再現により、まるであの時にタイムスリップしたかのような感動を受けました。
備品やデスクの上の物などは、あの時代のものです。
灰皿の中の吸い殻。
電話もダイヤル式!
この先の撮影スポットでの時間も順番にとってもらえました。
コントロールセンターから出たら、何階も階段を降りて
再びトラムに乗り込み帰還。
トラム・ツアーの発着地です。
次回は宇宙センター内の食堂「フード・ラボ」をお見せします。
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↓noteで犬のピピの話を書きとげようとしています