今、北半球は、夏です。7月、8月、9月は、概(おおむ)ね、暑いです。
75年前、1944(昭和19)年の7月1日から7月22日まで、翌年には戦勝国となる連合国側の44か国の代表が、米国ニューハンプシャー州北部、ブレトンウッズの風光明媚で人里離れたところにあるマウントワシントン・ホテルに集まって会議をし、いわゆるブレトンウッズ協定が結ばれました。こうして、当時、経済的にも軍事的にも一強であった米国のドルと金(ゴールド)の交換比率を固定し、ドルと各国通貨の交換比率を固定するという、いびつな金本位制(the gold standard)、ブレトンウッズ体制が取り決められました。
ベトナム戦争の末期で財政赤字と国際収支の赤字(必然的に、金(ゴールド)の保有量の減少)に悩み、(*)ドルの切り下げ、ドルの価値の低下、今でいうドル安を目指すリチャード・ニクソン米国大統領が、48年前、1971(昭和46)年の8月15日、日曜日の夜に、つまりは、日本以外の先進国のマーケットが開いていない時間帯を狙って、突然、ドルと金(ゴールド)の交換の一時停止などを発表し、ブレトンウッズ 体制を終わらせました。
(*)同大統領は、「The Challenge of Peace」演説の中で、
"I have directed the Secretary to take the action necessary to defend the dollar against the speculators."と、
仰っていますが、僕は、「大統領という立場上、ドル切り下げに誘導したいと、表立って言えないから、ドルを投機家から防衛すると仰っているだけ」と、解釈しています。
34年前、1985(昭和60)年の9月22日に、英国、西ドイツ、日本、フランス、米国(あいうえお順)の財務相、中央銀行総裁が、米国ニューヨーク市のセントラルパークのそばにあるプラザホテル(The Plaza)に集まり、ブリーフィングと呼んだほうがいいのではと思うくらい短い会議が行われ、その後の為替レート(通貨間の交換比率)の操作、誘導に関する合意、具体的に申し上げれば、円高ドル安への誘導に関する合意が、なされました。
米中の貿易摩擦と香港人の民主化運動について、書き進めている途中ですが、長くなってしまいましたので、この話題は、投稿を2回に分けさせてください。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則
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